『17』
「今日はここまでにしましょうか」
淀んだ空気に耐えきれなくなったエーデルが解散を告げると、皆が一斉に席を立つ。
部屋の窓から外を眺めると、既に日は落ちかけ、分厚い雲に覆われた宵闇が空を支配しようとしていた。
(今日はここに泊まることになりそうだな)
トワは内心で小さく呟くと、周囲に倣って部屋を出る。
ユアマーシャル家の従者に案内され、客室へと向かったものの、その位置は明らかに邸宅の端に近かった。
(まあ、この状況では無理もないか……)
彼は皮肉げに、しかしどこか諦めたように内心で呟いた。
室内は質素ながらも清潔で、白を基調とした調度品が整然と並び、薄緑色のカーテンが微かに揺れている。
だがその居心地の良さそうな外見とは裏腹に、ここに通された意味を考えると、どこか拒絶めいた冷たさが感じられた。
(静かすぎるな……)
張り詰めたような静寂が、トワの胸を冷たい鎖のように締め付ける。
「はあ……」
思わず漏れた溜め息が、孤独を一層際立たせる。
普段なら何も思わぬ静寂。だが今は、それが虚無感を増幅させていく。
(……今までこんなにも虚しい気持ちになったことなどなかったが――)
胸の奥に広がる虚脱感を振り払おうとしても、鉛のような重みは剥がれ落ちず、心の底へと沈み込む。
恐らく、反動形成が作用しているせいだろう。
「少し歩くか……」
独り言を零し、トワは部屋を出た。
暗い影を落とす廊下。そこは、まるで牢獄のように静まり返り、近くに人影など見当たらない。
なんとも言えない虚しさを押し込めるように、あてもなく歩いていると、ふとある部屋の前で足が止まった。
(確かここは――)
ユリウスを屋敷へと呼ぶ前、ユアマーシャル家が抱える事件の内容以外に、彼は事前に様々な情報を仕入れていた。
その中には、屋敷の内装も。
トワは、なぜここに来たのかと一瞬、自身の行動に訝しげるが、彼女のことなどどうでもいい。
そう判断して踵を返そうとした。
しかし――彼の脳はそれを許してはくれないらしい。
トントンッ
意識しないまま扉を軽く叩く。
「誰? お父様?」
すると、優しい声とともに扉がゆっくり開き、ユリウスが顔を覗かせた。
その無防備な姿にトワの胸はわずかに跳ねるが、すぐに視線が交わると、鋭い視線がぐさり。
「何か御用かしら?」
先ほどまでの優しさは一瞬で消え、鋭利な冷たさが声に宿る。
その敵意に満ちた青い瞳が、トワを排除しようと迫ってくるよう。
「まだ俺が犯人だと思っているのか?」
低く紡がれた声。そこには、かすかな苦みが混じっていた。
「語弊がありますわね。私はまだ、“容疑者”としか言っておりませんわ。ですが、聞いた話から察するに、遅かれ早かれ――貴方が犯人になりそうですわね」
「なぜそう思う?」
「だって、赤目という特徴な瞳は極めて珍しい色ですから。貴方以上に当てはまる人が存在するとは――思えませんわね」
ユリウスの声は冷たく澄み渡り、その揺るぎない確信が吹雪となってトワの耳を貫く。
「“赤目”に加え“悪魔”から導き出したと、なるほどな。しかし、お前はその二つのみしか知らない。それだけで決めつけるのは、いささか安直すぎないか?」
トワは薄く冷笑を浮かべ、皮肉混じりに言い返した。
「……そう、ですわね。ですが人はそうだと思えば思うほど、固定概念がまとわりつくもの。どうせ弁明するおつもりもないのでしょう? それが答えなのではありませんか?」
ユリウスの声は淡々としているが、的確に逃げ場を塞いでいく。
トワは目を伏せ、吐き捨てるように答える。
「……そうだな。しかし、ここで俺がいくら弁明したところで、お前は聞く耳を持つのか? 違うだろ?」
かすかに自嘲めいた黒が混じるその言葉。
瞬間、ユリウスは複雑な心境を抱え込むように黙り込んだ。
いや、もしかすると――あえて口を閉ざしただけかもしれない。
「何故黙る? いつものようになにか言えばいいんじゃないのか?」
その声にはわずかな挑発と自暴自棄が混じり合う。
しかし、彼自身も理解できない苦しみを、ただ普段通りを装い、怒りとしてぶつけているにすぎなかった。
ユリウスは眉を微かに動かしたが、表情を崩してはいけないと言い聞かせるように、冷たく言い放つ。
「そうですわね。聞くだけ時間の無駄ですから。では」
彼女は僅かに唇を噛み、扉に手をかけ、小さな声でポツリ。
しかしその呟きは、扉が閉じる音にかき消され、トワの耳には何も届かない。
そして――パタンッ。
僅かに開かれていた扉は、完全に閉ざされてしまう、
その瞬間、トワは物理的な隔たり以上に、彼女との間に決定的な溝ができてしまったように感じられた。
だが――今更それに気づいても、もう遅い。
(俺は何をしている? あいつに会う意思がなかったとしても、扉を叩いてしまった以上、弁明すればよかっただろ? なのに、何故? 俺はあんなことを……)
後悔を繰り返しても、彼女には届かない。
トワは胸元をぎゅっと掴み、閉ざされた扉の前でしばらく立ち尽くすのだった。
◇
彼女との溝は日に日に深まり、トワの心を静かに蝕んでいく。
それは、自身の気持ちからも逃げるように、視界に映るユリウスの姿を、儚い幻想のように霧の中へ隠し、トワは目を逸らし続けた。
その行為自体が、彼自身を傷つけていることにも気づかないまま――
◇




