『11』
一方のユリウスたちはというと――
「お前に拒否権があると思うか?」
そんな高圧的な台詞とともに、半ば強引にレイヴン家へ連れて来られ、とある客室へ通されていた。
驚いたのは部屋の落ち着きよう。以前案内された応接室は、悪趣味の極みとも言える毒々しい装飾に満ちていたが、今回の部屋は木目調の家具が並び、控えめな灯りが柔らかく室内に満たしている。
(意外ですわね。あれだけ悪趣味な応接室を見せられた後ですもの。センスの良い従者が一人くらい、いらっしゃるのかしら?)
軽く扇を閉じ、ユリウスは訝しげな表情を浮かべた。
「何か問題があれば知らせろ」
しかし、トワはそれだけ告げるとあっさり部屋を後にする。
ユリウスはそんな彼の背中を見送りながらも、扇の開閉を繰り返す。その仕草はどこか、焦燥感を紛らわせているかのよう。
(あの男、やはり簡単には動じませんわね。あれほど私を警戒していたはずなのに、途中からまるで興味を失ったよう。存外単純なのかしら)
胸の内で皮肉るが、敵の根城であるはずの場所に妙な安堵を感じている自分に気づき、ユリウスは思わず眉をひそめた。
(何故、私はホッとしているのかしら? 一種の油断から来るもの?)
感情を押し込めるかのように深く息を吸い込むと、用意された寝巻きを手に取った。
保温性に優れたシルク。ユリウスはそんな服に腕を通すと、微かな孤独感を覚えながら天蓋付きの広いベッドへと体を横たえる。
だが、どうにも眠気は訪れない。
そのせいか、ユリウスの脳裏には今日の出来事が浮かんでは消えていく。
ドゥレッツア家の令嬢、エレーデの失踪事件の調査のため訪れた屋敷。最初はお互い別行動をしながらも、最終的に同じ部屋へと辿り着き、そこで繰り広げられたのは互いを試すような心理戦。
だが突然、自身の体調が崩れ、彼に助けられることになった。
それから、トワだけが嗅ぎ取った妙な香り。
強引にレイヴン家へと連れて来られた理由は……まったくわからない。それがかえって、彼女の胸に冷たな影を落としていく。
「本当に、強引な男ですわ……」
ユリウスは寝返りを打ちながら小さく呟くが、彼のことを考えるだけ無駄でしかない。
(今日の収穫は……)
そう内心で呟きながら頭の中で整理を始めた。
しかし、脳裏に過ぎるのは何故か、彼の影。
「はあ……」
なぜトワの姿がこれほどまでにチラつくのか――ユリウスは大きく溜め息を洩らすと目を閉じた。
しかし――
(ここではやはり、安眠など望めませんわね。こうなれば強硬手段しかありませんわ)
数秒後には体を起こし、彼女は窓からレイヴン家を抜け出そうという不穏な計画を立て始めてしまう。
「彼もどうせ就寝しているでしょう。申し訳ないですが、帰らせて頂きますわ」
そう小さく呟くと、早速高さを確認するため窓辺へ歩み寄り、外の様子をそっと覗き込んだ。
瞬間――
トントンッ。
まるで見計らったかのように、扉を叩く音が響く。
「……っ!」
その音とともに、ユリウスの肩が反射的に小さく跳ね上がり、一気に血の気が引いていく。
(こんな時間に、一体誰ですの!?)
時刻は夜の十時過ぎ。
女の部屋に突然の訪問者。
どのような意図を持っているのか――それを考えるだけで神経がピリピリと張り詰めていく。
ユリウスは扉をじっと見つめ、一瞬、無視を決め込むか迷う。
しかし、ここは自身の家ではない。意を決して冷静を装った声で問いかけた。
「……どなたかしら?」
だが返事はない。扉越しの沈黙が重くのしかかり、微かな不安が胸を締め付けていく。
これはただの悪戯か、それとも……。
ユリウスは眉を僅かに寄せ、扉の向こう側の静けさに耳を澄ました。
だが、人がいるような気配が感じられない。
(まさか怪奇現象だったり……? いえ、お化けなんてものはこの世に存在しないわ。大丈夫、大丈夫ですわ……)
脳裏に浮かぶ馬鹿馬鹿しい不安を必死に否定し、震える指先を抑えながら、ユリウスは必死に冷静さを取り戻そうと努めた。
(き、きっと扉を開ければ従者がいるだけですわよ)
自分に言い聞かせるように心の中で呟き、ゴクリと唾を飲み込むと、彼女は勢いよく扉を開け――ドンッ!
何かが強打する音が、静寂の中に響く。
「ヒャッ……!」
小さく悲鳴をあげながらも恐る恐る扉を引き、そっと扉を覗き込むと、鼻面を強打したであろうトワの姿が。
「……貴方でしたのね」
ユリウスは呆れ交じりの息を洩らすと、半歩下がりわずかに内省する。
(まさか、彼だとは思いませんでしたわ。そもそも、そんな至近距離にいるとは思いませんわよ。ですが……あの音は、さぞかし痛かったでしょうね)
そんなことを小さく呟きながら、謝罪を口にしようとしたのだが……。
「こんな夜になんの用でしょうか?」
出てきたのはソレ。あっ……と気づいてももう遅く、ユリウスは平静を装うように澄まし顔で目を逸らした。そんな彼女の態度にトワは短く息を吐くと、口ごもりながら言葉を投じる。
「……慣れない場所だろうと思ってな。寝れそうか?」
その声は事務的で、一切の感情が読み取れない。
(……は? えっと……睡眠の心配ですか? いや、そもそもお顔を強打されていますわよね? そこで普通ならば文句のひとつやふたつでても良いとは思いますが……)
ユリウスはトワの意図がまったく掴めず、内心で戸惑ったが、やはりどこにいても完璧でありたいのだろう。軽く扇を広げると、冷ややかな皮肉を返した。
「私のことを子供かなにかだと勘違いしてらっしゃるのですか?」
そんな彼女の態度にトワは僅かに肩をすくめると、どこか言い淀んだ様子で言葉を返す。
「いや、そういうわけでは――」
しかし、その態度はユリウスが知る冷静沈着なトワとは程遠く、どこか挙動不審にさえ映る。
ユリウスは警戒心と拭いきれぬ戸惑いを覚えながらも、僅かな興味を抱いた。
とはいえ、それは“好意”としてではなく、彼の内心を探ろうとする探求心の表れに過ぎない。
(どうしてそのような言動を取るのか、理論的に考えて理解不能ではありますが――。なにも、心配して来たわけではないでしょう。ですが、ここはどのような反応をするのか試してみるのも良いかもしれませんわね)
ユリウスは小さく息をつくとポツリ。
「そうでしたわ。ちょうど良いのでお願いを少々」
「……なんだ?」
「私、枕が変わると寝付けないのです。愛用の枕に似た性質の物を用意できませんか?」
わざとらしく溜め息をつき、彼の真意を探った。
しかし、彼からすると予想外の発言だったらしい。
「……枕か?」
明らかに拍子抜けしたような声で問い返し、困惑したように瞬きを繰り返している。
(ふふ。そのような反応をなさるとは、随分お可愛らしいですこと)
ユリウスは内心で微笑すると、次の一手に移るべく、あざとく彼を見上げ、そっと下唇に指を添え誘うように囁く。
「ですが……急なお願いですもの。さすがのトワ様でも、難しいですわよね……?」
「はあ……。分かった、用意させよう」
「ありがとうございます」
予想よりもずっとつまらない反応に、ユリウスは内心で小さく落胆した。だがそんな彼女とは裏腹に、トワもまた微かな苛立ちを覚えたような様子を見せている。
(まだ何か探りたいのでしょうか?)
そう思ったのも束の間、彼は小さく首を横に振ると、踵を返してしまう。
瞬間。
「トワ様、少々お待ちになられまして?」
ユリウスは咄嗟に彼の服に手を伸ばしていた。
(……? なぜ私は彼を引止めたのでしょう? まだ知りたいことが? いいえ、私は彼に興味がありません。では、なぜこんな行動に?)
内心で訝しげていると、トワがゆっくりと振り返る。
そんな彼の表情には、ほんの僅かな期待とも取れる色が見えるが――
(ど、ど、どうしましょうか? 私にも分からぬ行動のため、下手なことはできませんわ)
自身の行動の不可解さに目をぐるぐる回したくなる気持ちを抑え、ユリウスは理性の仮面を装備して言い放つ。
「寝付きを良くするハーブティーも頼めますか?」
まったく可愛げのない台詞。しかし、彼女はそれを普段通りだと自分に言い聞かせるように、無理矢理納得を試みた。
そんなユリウスの言葉に、彼はわずかに訝しげな表情を見せたが、すぐに軽く笑みを浮かべ一言。
「……ああ、わかった。そちらも用意させよう」
静かに踵を返して去っていった。
静寂が戻った廊下。薄暗い月明かりが差し込む中、ユリウスは漠然とした違和感を抱いていた。
(先程の私の行動はなんだったのでしょう? そもそも昼間に抱きかかえられただけのお相手。何かを感じるようなことはないはずなのだけれども……)
彼を引止めた時に微かに震えていた指先は、今も尚小さく揺れ、心のどこかで理解できないモヤモヤ感が広がっていく。
それが何なのか、具体的な形を掴めないまま、ユリウスは胸元を押さえ、薄暗い廊下に一人、ポツンと佇むのだった。
◇
一方のトワはというと。
(……あいつ、容赦なく俺を狙っていただろ)
そんな不満を内心で連ねながらも、月明かりが差す廊下を、コツ、コツと音を立てながら歩いていた。
その背中にはどこか硬さがあり、胸の内では先ほどのやり取りが繰り返し浮かんでいる。
(はあ……。本当は、倒れそうになったあいつをなぜ助けたのか――確認するためだったんだが……。その謎は深まるばかり。というか、顔面に扉が飛んでくるのは予想外でしかなかった。そもそも、あの時言い返せばよかっただけ。なのになぜ、俺はあいつの言動一つで落胆したり嬉しいと感じたんだ? ただの駒に過ぎないあいつに、俺は一体何を期待している?)
自問するたびに生じる違和感。思考の迷路に入り込むたびに、トワの歩みは微かに鈍っていく。それを振り払うように、一度深く息を吐いた。
「くだらない。俺はあいつを守るためにここに置いているわけではない。問題が生じれば切り捨てるまでのことだ」
自分に言い聞かせるように呟くが、胸の奥底に潜む得体の知れない熱を完全に消し去ることはできない。
(俺の中にある、この奇妙な感覚は一体なんだ? ずっと、手にあいつの温もりが残り、妙に冷静さを欠こうとしてくる)
自身でも知らないうちに何か――まるで、錆びついて動きを止めていた“運命”という名の歯車が、軋みながらも再び回り始めたような違和感を覚えつつ、トワはヒリヒリと痛む鼻面を軽く擦りながら、足早に廊下を去っていくのだった。
◇




