余話 〜 Girl meets boy 〜 C&E
クラリス&エルトナの話です。
クラリス視点
【side:C】
幼い頃……お昼寝のあとによく見た景色は……銀一色の世界だった。
私が寝ているベッドに、上半身を預けて眠っているエルトナ。
何故かいつも、頭の天辺が私の鼻先にくっついていた。
通い過ぎだと……おば様に何度叱られても、おじ様から山の様に拳骨を貰っても、全く懲りた様子もなく……そうする事が当たり前のようにやって来ては、飽きる事なく私を眺めていたらしい。
そんなエルトナに両親は呆れていたようだけど、追い返したりはしなかった。
「私が、貰ってくれるかい? なんて言ってしまったからな…」
「私だって、お父様を負かすくらいに強くなったら……なんて言ったもの。ふふふ エルトナは本気みたいよ? 剣の稽古を頑張っているらしいの。将来が楽しみだわ〜」
当時、生後三ヶ月だった私を家に連れて帰ろうとしていた話──
今考えると……ドン引き案件だ。
それも、妹としてではなく……人形だと思っての事だったそうなのだから。
それでもエルトナは── 三男だから侯爵位は継げないけれど── 大親友の息子と言うだけで絶大の信頼を得ている。
下手したら、同い年のリゲルお兄様より信頼されているかも知れない…。
◇◇◇
今日も目覚めると、サラサラの銀の髪が視界一杯に広がっていた。
お日様の匂いのする銀の髪を、小さな手ですくい上げると……それは指の間をスルスルと滑り落ちていく。
シャラシャラと聞こえないはずの音まで聴こえてきそうで……嬉しくってキャー ってなって……楽しくってワシャワシャしてたら──
「イテッ!」
エルトナが目を覚ました。
「ナー 痛い? どこ?」
痛いところを探そうと、更に髪の毛をワシャワシャしたら──
「だからー 痛いって」
クスクスと笑いながら、指を握られた。
お姉様が怖いと言う── エルトナの冬の空のようなスカイブルーの瞳が、柔らかく細められる。
私だけに見せてくれる特別な笑顔。
この顔をお姉様は知らないから……だけど、見せたくはない。
他の誰にも。
「父さんが、ま〜た拳骨をくれたんだよ」
「どうして?」
「んー クラリスの所に行くのは、せめて一日置きにしなさいって言うからさ、嫌だって言ったんだ。そしたら“ゴッチーン”だよ」
「一日置き?」
「そう……今日行ったら、明日は行っちゃダメってこと」
「ダメ! そんなのダメ!」
「だろ? 大丈夫だよ、明日もちゃんと来るから。ほら、約束」
「うん! 約束! ナー 大好き!」
言葉が出るようになっても、初めはうまく喋れない。
『エルトナ』と言えなくて、『ナー』と呼んでいた。
三歳になっても……そう呼んでいた。
◇◇◇
私が五歳になる頃には、エルトナも『王子様のお世話』という仕事が忙しくなったようで、少しずつ遊びに来てくれる時間が短くなっていった。
それでも、殆ど毎日 ──『おはよう』と『おやすみ』だけ言って帰る日もあったけど── 顔を見に来てくれた。
その分お休みの日には、朝から晩まで一緒に過ごしてくれたから、淋しくても我慢できていた。
だけど、ある日──
「どうして! 今日は一緒に公園に行くって約束してたのに!」
「……ごめん。急に仕事が入って……だから、公園には行けないけど晩御飯は一緒に食べよう? 美味しいケーキを買ってくるから」
「嫌だ! 公園に行く! 約束したもん!」
「……クラリス…」
結局……仕事をサボる訳にはいかないエルトナは── 絶対に美味しいケーキを買ってくるから。待っててね。── そう言って出掛けてしまった。
その後、お母様やエーデルは何とか宥めすかして、私にお昼寝をさせようとしていたけれど……怒っていた私は、お昼寝なんてできない!
と思っていた。
そうだ! エルトナが行かないなら、一人で行けばいいんだ!
そして、ケーキを持って来たエルトナに、公園は楽しかったよ〜 って言ってやるんだ!
大人しく寝たフリをして……上手く邸を抜け出した私は、近くの大きな公園に来ていた。
今日行くはずだった公園ではないけれど、ここには何回も来たことがあるから一人でも平気だ。
池の魚に餌をあげて、温室の花を見て回り、小さな植込みの迷路で遊んだ。
親子連れがピクニックにも利用する公園だから、子供が一人で遊んでいても誰も気にしない。
公園中を歩き回って疲れた私は、お昼寝をしていなかったのもあって眠くなってきた。── ちょっとだけ寝てから帰ろう。
そう思って……温室に戻ると一番奥のバラのアーチの後ろに回り込んだ。前にここでかくれんぼをした時に、見つかりにくかった場所だ。
本当に、ちょっとだけ……のつもりだった。
ブルッ と寒気がして目を覚ますと、辺りはもう薄暗くなっていた。
大変だ! 早く帰らないと叱られる!
急いで温室の入り口に向かったけど、ドアが開かない。
しばらくガチャガチャとノブを回してみて……鍵がかかっていることに気が付いた。
「ここを開けて! 開けてー!」
ガラスの扉をバンバン叩いて叫んでみたけど……あんなに賑わっていた公園には、今はもう誰もいないようだった。
どうしよう……怖いよ……寒いよ……。
さんざん叫んだせいで、喉が痛くなっていた。
扉を叩き続けた手も赤く腫れている。
バラのアーチの後ろで膝を抱えた。
バチが当たったんだ…。我儘を言ってエルトナを困らせたから。……このままエルトナに会えなくなったらどうしよう…。
「ウウゥッ……ごめんなさい。ウック…エルトナ……ごめんなさい。
……ごめんなさい、ナー ……助けて…怖いよ… ナー …」
ガッシャーーン!!
入口の方からガラスの割れる音が聞こえた。
大きな音に怖さが増す…。
膝をギュッと抱え込み、息を殺した。
呼び掛けもなしに段々近付いて来る足音に悲鳴を上げそうになったけど、膝に額を押し付けて、抱えた腕に爪を立てて必死に飲み込む。
(来ないで! 来ないで! ナー! 助けて!)
「……見つけた…」
一番聞きたかった声が聞こえて、弾かれたように顔を上げると──
月明かりに……大好きな銀の色が揺れていた。
「ナー!!」
立ち上がった瞬間、苦しいほどに抱きしめられて……すぐに離された。
「バカヤロー!! どうして一人で外に出た!! 家に行ったら、お前がいなくなったって聞いて……俺が…皆がどれだけ心配したと思ってるんだ!! 待ってろと、言っただろうが!!」
エルトナに怒られるなんて初めてで……ビックリし過ぎて涙が止まった。
これは本当にエルトナだろうかと、顔をまじまじと見つめてハッ! とする。
冬の空のようなスカイブルーの瞳が、見たこともない濃い青色になっていたから。
それだけで……本気で怒っていることが分かってしまって……嫌われた! と思った。
その事が怖くて、どうしたらいいか分からなくなって…… 一歩後ずさると、掴まれたままの腕を引かれて……再びキツく抱きしめられた。
「……クラリス……お願いだから……心配させるな。お前は、まだたったの五歳なんだぞ?……なんで… 一人で…………お前に何かあったら……俺は…」
それっきり黙ってしまったエルトナが……震えている…。
やっと分かった。私はとんでもない事をしてしまったのだと。
家の近くだからと……何回も来たことがあるからといって…。
どうして大丈夫だと思ったのだろう。
もしかしたら、誰かに連れ去られて……本当にもう二度と、エルトナと会えなくなったかも知れないのに…。
止まっていた涙が溢れ出す。
「ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい!! エルトナ! 嫌いにならないで!! もう、一人で外に出たりしないから! 約束するから! 嫌いにならないで!!」
壊れたように泣き叫ぶ私の頭を、温かな手が優しく撫でる。
「バカ……嫌いになんてなるはずないだろ?……本当に……無事で良かった…」
エルトナにおんぶされて家に戻ったら、両親からすごく怒られて……そのあと泣きつかれた。
私は泣きながら謝っているうちに倒れて……目が覚めたのは翌日の昼過ぎだった。
◇◇◇
ぼんやりとした視界には、見慣れた銀色の世界が広がっている。
私よりも大きくて温かい手が……小さな手をしっかりと握りしめている。
それだけは……いつもと違う光景だった。
「……エルトナ…」
口の中だけでの呟きに……すぐに反応した銀の波が揺れて持ち上がり、スカイブルーの瞳が私を捉える。少しだけ、心配の色をのせて。
「気分はどう? 頭は痛くない? 熱は…………下がったね。何か飲む? 食べる? あっ、おばさん達を呼んで──」
「……エルトナ…」
まるでお母様のような世話の焼き方に、思わず笑いそうになる。
けど……聞いてみたい事があった。
「エルトナ。どうして私が温室にいるって分かったの?」
「ん? ああ……俺は耳がいいんだ。多分…他の誰よりもずっと。……特に……お前の…俺を呼ぶ声は、よく聞こえる」
初めて聞く話に驚く。お前の声は……よく聞こえる…。!!!
「じゃ、じゃあ、いっつも、ケーキをもう一つ食べたい! とか、プリンをボウル一杯食べたい! とか言ってるのも聞こえるの!?」
プッ! と笑われた。
「そんな事を プッ ククッ 『いっつも』言っているのか?」
「!! ちっ、違う! た、たまにだもん! だから…そんなに笑わなくていいじゃない! エルトナの意地悪!」
プン! と怒って見せると……笑うのを止めたエルトナに、じっと見つめられて……不安になる。
「……な、何? 本当に意地悪だなんて……思ってないよ…」
「分かってるよ。そうじゃなくて……昨日は久し振りに『ナー』って呼んでくれたのに、今日はもう呼んでくれないんだなーって思って」
あっ……。ずっとそう呼んでいた。
だけど一年位前にそう呼んでいたところを── 何かにつけ絡んでくるリバーマス公爵家のマデリンに『子供っぽい』── と笑われて……
それっきり、そう呼ばなくなった。
「だって……エルトナは五つも年上だもん。『ナー』なんて呼ばれるの……子供っぽくて嫌でしょう?」
「ぜーんぜん。クラリスだけが呼んでくれる特別な呼び名だからな。俺は気に入っている。それに『五つも』じゃなくて『たったの』だろ?」
気に入っている? 本当かな? 本当にそうなら…。
「……じゃあ…えっと……二人だけの時なら、そう呼んであげてもいいよ!」
エルトナが『たったの』なんて言うから── 呼んであげてもいいよ── なんて偉そうに言ったけど…。
「二人だけの時か……うん。その方がより特別感が増すな。いいな、そうしよう!」
そう言って……本当に嬉しそうに笑う姿は、今でも目に焼き付いている。
その後 ── じゃあ俺は『スー』って呼ぶな! ── と言われて、ちょっと揉めたけど。
◇◇◇
あの時、砕け散ったガラスの破片で手を切っていたエルトナを見て、もう二度と我儘は言わない! と決めた。
私が我儘を言うと、エルトナが傷つくと思ったから──
それなのに……。
『おじ様と勝負して。勝って頂戴』── って我儘を言ったから。
エルトナは、また傷ついた。また……傷つけた…。
落とした剣も拾えない程にボロボロになったエルトナを見て……
涙が溢れてくる。
けど…… それでも! 嫌だったんだもの!
エルトナでないと! エルトナじゃなきゃ!! 嫌なんだもの!!
エルトナがおじ様に勝ったところで……どうにもならない事も……
心のどこかで分かっていたのに。
私の我儘のせいで……。
話し掛けるのをやめた。目も合わさない。自分から遠ざかった。
そうしないと、駆け寄りたくなるから。温かい手で頭を撫でて欲しくなるから。そんな事をしてはいけないと……分かっているから。
なのに……王都にいないと聞いただけで、不安で淋しくなる。
困った時、悲しい時、淋しい時には俺の名を呼べと言ったくせに。
どこにいても、すぐに駆けつけるからと言ったくせに。
暗がりの中、目を凝らしても……銀は……どこにも見えない。
見えない事が、淋しさを募らせるから……目を閉じて……閉じ込めていた姿を映し出す…。
「ナー」
『気に入っている』── と言ってくれた名を呼ぶ。
大好きな温かい手が……そっと頭を撫でてくれた気がした。




