余話 〜 Boy meets girl 〜 C&E
クラリス&エルトナの話です。
エルトナ視点
【side:E】
その日は珍しく、親父が朝から家にいた。
そうなると……うちは騎士の家系なので、早朝から鬼の訓練祭りが開催される。五歳になった俺も例外なく……強制参加だ。
訓練後の朝食は…… 十歳と八歳の二人の兄をも無口にさせる。
俺なんかは疲れて眠くて、椅子から転げ落ちそうだ……だからといって、食べるのをやめるという選択肢はないが。
お通夜のような朝食が終わる頃、母上が言った。
「三ヶ月前に、エリーゼが女の子を出産したでしょう? 今日は、そのお祝いを持って遊びに行くわよ」
エリーゼ……あぁ、リゲルの母親か……そう言えば、リゲルが遊びに来た時言ってたな。弟がよかったのに、また妹だったと。
そういった割には、嬉しそうに笑ってたっけ……。
「母上、私はレグルス殿下と剣の稽古の約束をしていますので、残念ですが……今日は行けません」
「私もです。今日は、セリオス殿下と馬を見に行く約束があります」
呑気に回想などしていたら、二人の兄は母上の付き添いをするりとかわしていた。
……あっ……俺は……アズナイル殿下につくことはほぼ決まっているが、相手はまだたったの二歳……顔見せすら済んでいない。
「あら? そうなの? 可愛い赤ちゃんを見られないなんて可哀想だけど……殿下との約束なら仕方ないわね。じゃあ今日は三人で行きましょうか」
三人……親父も行くのか。一人だけ逃げ遅れたけど……それならまぁいいか。本当は昼寝をしたいけど。
◇◇◇
母上が嘘などつくはずはないけれど……赤ちゃんなんてどこにもいなかった。
ベビーベッドに寝かされていたのは、よく出来た天使の人形だけ。
俺の兄弟は男だけだから、うちには人形がない。
リゲルには三歳になる妹がいるけど、俺を見ると逃げて行くから話をしたことはない……あの子の人形だろうか?
柔らかそうなプラチナブロンドの髪も、薄いバラ色に染まったほっぺたも……まるで生きているように見える。
自分では気づかなかったけれど、かなり熱心に覗き込んでいたらしい……。
「ふふふ 可愛いでしょう? クラリスっていうのよ」
おばさんが笑う。
「ハハハ うちのお姫様が気に入ったのかい? じゃあ、貰ってくれるかな?」
おじさんが笑う。
貰ってくれるかな……ってことは、俺にくれるという事だ。
人形で遊ぶ趣味はないが……これくらいよく出来た人形なら、一つくらい部屋に置いておいてもいいなと思った。
親父がいつも、身につける物や飾り物は本物を選べと言っているし。
だから──
俺は黙って頷くと、人形を抱き上げた。
大人達が、すぐ側で悲鳴を上げたりしていて騒がしいが……殆ど耳には入ってこなかった。
人形が目を開けたからだ。
琥珀色の大きな瞳に、驚いた俺の顔が映っている。
(目も開くのか!?)
驚き固まる俺にさらなる衝撃が走る。
人形が、パァァァァ〜 っと……嬉しそうに笑ったから…。
五歳にして剣バカの俺でも、ここまでくれば……流石にこれが人形ではないことを理解したが──
理解した瞬間、天使は俺の手を離れ、かわりに拳骨が落ちてきた。
「バカ者! 赤ん坊をいきなり抱き上げたりして! 落っことしでもしたらどう責任を取るつもりだ!」
「いやいや、リゲルじゃあるまいし。リゲルが同じ事をしたら、今頃そこら辺に転がっているだろうよ」
親父からリゲルの母親の手に渡された天使は、こっちをキョトンとした顔で見ている。
「ふふふ 流石は騎士団長様の息子ね。エルトナは頼もしいわ。そうね〜 大きくなって、お父様を負かすくらいに強くなったら……本当に貰ってもらおうかしら?」
「まあ! 素敵! そうしたら、エリーゼと私は親友で親戚になるのね! 素敵〜! エルトナ! 頑張るのよ!」
盛り上がる大人達を他所に、俺たちは吸い寄せられるように……
ただ…お互いを見ていた。
◇◇◇
アズナイルが三歳になると、将来の側近候補を選ぶ為の顔見せが行われ、相性の良かったノリスとクルス、そして俺の三人が選ばれた。
が……それから二〜三年はそれほど忙しくなかったから、毎日のようにクラリスの顔を見に行っていた。
入り浸っていた……と言っても過言ではない。
寝転んでいるだけの赤ん坊を見て何が楽しいんだ? と兄達は言っていたが、寝転んでいるだけじゃない! 頭を撫でてやれば泣いていても泣き止むし、俺の髪の毛をグシャグシャにしては、キャッキャッと楽しそうに笑ったりもする。
昨日できなかったことが、今日はできるようになっていたりと……日に日にできることが増えていって……可愛さは増す一方だ。
しかし、年齢が上がるに連れ、少しずつ時間的な余裕がなくなってきた。いつの日か必ず親父を負かす! という目標もあるから、剣の稽古をサボる訳にもいかない。
それでも、時間を見つけてはクラリスに会いに行った。
普通なら、今日はちょっと……と思うような時でも、家が隣だから何の苦にもならない。
逆に、丸一日会えなかったりすると……誰かに盗られてはいないかと気が気ではなかった。
◇◇◇
もうすぐ、クラリスの八歳の誕生日だ。
俺は王立学園の一回生になっていた。
「何か欲しい物があるか?」
「……物よりも……おじ様と勝負して? そして、勝って頂戴!」
じっと顔を見ていたから、高価な物でも要求されるのかと思えば…。
「あのなぁ、俺はまだ騎士見習いだぞ? 騎士団長相手に勝てるわけないだろう?」
「そんなの、やってみなければ分からないわ!」
可愛い天使は……言い出したら聞かないお姫様になっていた。
まぁ、俺限定だから、そんなところも可愛いんだけどね。
「ハァー 親父と勝負すればいいんだな? だけど、それとは別に何か記念になる物も──」
「いらない」
「……分かりましたよ、お姫様」
とは言ったけど……実はもう買ってある。
指輪……は、まだ早いから、俺の瞳の色に一番近いアクアマリンが付いたネックレスにした。
いらないって言ったのに! とプリプリ怒りながらも、嬉しそうに笑う顔が簡単に想像できて……胸の内だけで、そっと笑った。
◇◇◇
ガシャン ── 俺の手から剣が滑り落ちる。が──
それを拾い上げる力など残っていない。
けど、クラリスの前で膝だけはつきたくなくて……両膝に手をついて耐える。
クソ親父! 何を考えているんだ! クラリスが泣くと分かっていて、ここまでする必要があるのか!? 母上と喧嘩でもしたのか! 八つ当たりかっ!
クラリスは、俺にしがみついて泣きじゃくっている。
ドレスが汚れるからと窘めても、首を横に振るばかりで離れようとしない。
一人で立っているのもやっとなのに、お姫様を突き放すわけにもいかず……勝てなくてごめんな……弱くてごめんな……そう言って、軽く抱きしめて頭を撫でてやることしかできない。
どれくらいそうしていただろう……漸く泣き止んだクラリスが、俺の服を握りしめたまま顔を上げた。
生後三ヶ月の時から、俺を捉えて離さない琥珀色の大きな瞳に、ボロボロの俺が映っている。
涙に濡れた瞳で、言葉もなく……俺の姿を……その瞳に閉じ込めるかのように……ただ……じっと見つめていた。
二人の間に差し込む夕陽が、クラリスの大きな琥珀色の瞳を、プラチナブロンドの髪を……キラキラと煌めかせ……
本物の天使が舞い降りてきたのだと……そう思った。
ふっ と小さく笑ってから──
「汗臭いし、汚いわ。着替えてきて」
そう言うと── クラリスは、俺にも滅多に見せない── 太陽のように光り輝く眩しい笑顔を見せてくれた。
◇◇◇
「……クラリスは?」
うちで夕飯を食べて帰ると言っていたのに、シャワーを浴びて着替えてからダイニングに行くと、そこにクラリスの姿はなかった。
「……あぁ…帰ったぞ」
はっ!? まだプレゼントを渡していないのに……。
まぁ、明日渡せばいいか。そう考えて席に着いたが──
「母上は?」
「……少し…体調が悪くてな……夕飯はいらないそうだ」
「そうですか……あとで様子を見に行ってみます」
「今日はもう休んでいるから、明日にしなさい」
「……はい」
いつも一人で賑やかな母上がいないと調子が狂う。
男四人……誰一人、口を開かない。食事をとる以外は……。
母上がいない夜はたまにある。
どこかの晩餐会に呼ばれていたり、観劇に行ったりして。
そんな夜は……そんな夜は? ここまで……静かだっただろうか?
── ザワリ ── 心臓が……ザラつき……揺れる。
今すぐ……ここから離れるべきだと……そう感じた。
「ご馳走さまでした。今日は疲れたので、先に失礼します」
急いで席を立ち、テーブルに背を向けたが……その背に親父の声がかかる。
「エルトナ」
やめてくれ……
「クラリス── ローゼンシュタイン嬢だがな…」
やめてくれ!
「今日……正式に…」
聞きたくない!!
「アズナイル殿下の……婚約者候補の一人に選ばれたそうだ」
── 『おじ様と勝負して……勝って…』 俺にしがみついて……泣きじゃくっている姿 閉じ込めるように俺を見つめる……大きな琥珀色の瞳 最後に見せた……光り輝く眩しい笑顔 ──
あれは……お前の……
「そうですか。アズナイル殿下なら……ローゼンシュタイン嬢も幸せになれるでしょう」
それだけ言うと、振り返らずにダイニングを後にした。
◇◇◇
呼ばれたような気がして── 目を覚ます。
……ハハッ……随分と懐かしい夢を見たな…。
アズナイルがサーフィニア嬢のことを『天使』と言うから、負けず嫌いの『俺の天使』も夢の中に出てきたのか?
それとも……王都を離れている今、その間にクラリスに何かあったら……と思う不安な心が見せたものなのか…。
あの日以来、琥珀色の瞳が俺を映すことはない。
挨拶くらいは交わすが、視線が交わることもない。
ふと、春のお茶会を思い出した。
『いくら可愛くてもあの性格ではな』
フッ……ガキだな。あれは、琥珀色の視界に入り込み、気安く声をかけようとする男達への嫉妬から出た言葉だ。
『俺が追い払ってこようか』
ハッ……よく言う。ただ……話がしたかっただけのくせに。
渡せなかったネックレスは、鎖だけ替えて俺の胸元で揺れている。
琥珀色の石と一緒に。
『…… ナー …』
愛おしくて堪らない可愛い声が……小さく…小さく…俺を呼ぶ。
……そこにいるのか? なんで泣いてる?
ハァー 相変わらずだな、お前は…。
その瞳に…俺を映さないくせに。
名前すら…呼んでくれないくせに。
お前の泣き顔なんて、見たくないんだぞ? 分かってるのか?
全く……しょうがない奴だな……
今行くから待ってろ。
嬉しそうに笑う顔が見たくて──
俺は…静かに目を閉じた。




