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30・天使が生まれた日

 静まり返った執務室で三人が思い出しているのは──


「あの時代、あの森で過ごした二ヶ月が一番穏やかな日々だった気がします」


 アクトゥール様も同じことを思っていたらしい。


 手つかずの原生林の奥には、長年使われていないような狩猟小屋があった。

ホコリだらけだったが壊れた箇所は見当たらず、相当狭かったが大人二人と子供二人ならなんとか凌げそうだった。


 ひっそりと流れる小川には魚もいたし、森には木の実や果物が豊富にあって、食べる物にも困らなかった。


 火を使うのは最小限にして、四人で肩を寄せ合って過ごす日々は不便といえば不便だったけれど、私よりも三つも下なのに、長い間逃げ回って疲れ切っていたアクトゥール様にとっては居心地が良かったのだろう。


 南の村で再会した時には、笑顔もなくほとんど喋ることもなかった。それがここに来てからは笑顔を取り戻し、早く寝なさいと叱られるほどお喋りになっていた。


 大きな魚を捕まえたのに、桶に入れようとしたら逃げられたとか、同じ木の実でもこっちの木よりあっちの木になる実の方が美味しいだとか、そんな他愛もない話ばかりだったが、元気を取り戻した息子の話を二人は嬉しそうに聞いていた。



 ◇◇◇



 穏やかな日々が流れるある日、遂にアメニア様の陣痛が始まった。

 お湯を沸かしたり、数日前から洗って干しておいた布を畳んだりと僕達にもできる手伝いが済んだあと、アクトゥールと二人で外に出ておくように言われた。


(あとから聞いた話だが……こういう場面を想定して、辺境伯邸に滞在中に出産に関しての手順を詳しく聞いていたらしい。

 それでも『日本』を知った今では、男手一つで赤ん坊を取り上げたなんて……本当に凄いことだと思う)


 眠りにつく頃に始まった陣痛は、夜が更けても空が白み始めても終わらなかった。小屋の扉に背を預け、アクトゥールと手を握り合ってその時を待っていたが……いつの間にか眠っていたらしい。


 突然響いた『おんぎゃゃゃゃゃぁーー』という泣き声にびっくりして飛び起きて── アクトゥールと顔を見合わせたあと、抱き合って泣いた。


 暫くして、サイラス様の許可が出て小屋の中に入ると── 粗末な小屋の中に、聖母様に抱かれた光り輝く天使がいた……。


 それを見て、入り口に突っ立ったまま又アクトゥールと手を握り合って泣いた。

泣くばかりで中に入ってこない僕達が落ち着くまで、苦笑を浮かべ優しい顔で見守っていたサイラス様とアメニア様の目も涙に濡れていた。


 漸く落ち着きを取り戻して天使に近づくと、抱いてみるかと問われたが……赤ん坊を抱いたことがなかったので躊躇した。

アクトゥールが生まれた時は、自分もまだ三歳だったからだ。


 アクトゥールを見ると、お先にどうぞと言わんばかりに一歩後ずさったので、勇気を出してサイラス様から受け取った。


 天使は羽のように軽くて、フニャフニャと柔らかく不安定で、落とさないかとヒヤヒヤした。本当に落としそうで怖くなって、そっと腰を下ろすと安定したのでホッとした。


 真っ白で柔らかそうなほっぺたに触ってみたくなって指を近づけると── パチッと目が開いて、透き通った輝くアメジストの瞳が僕を捉えた。


 吸い込まれそうなその瞳に驚いて、固まってしまった僕の指を……

すごく小さくてシワシワの白い指がキュッと掴んだ。


 そして……フニャッと笑ったのだ! その瞬間、僕の目からはまた涙が溢れてきて、ずっと見ていたいのに天使はぼやけて見えなくなった。


 そのあと、僕よりもこわごわと生まれたばかりの妹を抱いたアクトゥールが同じように固まったのを見て、ちょっと笑った。


(これも『日本』で知ったことだが、生まれたばかりの赤ん坊の目はまだぼんやりとしか見えないし、笑ったように見えるのも『生理的微笑』と言って本当に笑っているのではないらしい)


 だけど、あの時は確かに僕を見て笑ってくれた……と思ったんだ…。


 天使は、その日のうちに『ミーニア』と名付けられた。

 アクトゥールは妹だからミーニアと呼んでいたが、僕はとてもじゃないけど天使を呼び捨てにすることなどできなかった。


 それで『天使様』と呼んだら、サイラス様とアメニア様にそれは勘弁してほしいと言われたので、悩んだ末に『お嬢様』と呼ぶことにした。名前を呼ぶことさえ畏れ多いことに思えたからだ。


 宰相であるゼイン様の息子にお嬢様と呼んでもらえるなんて、ミーニアは贅沢者だなぁ── とサイラス様が笑っていた。


 スヤスヤと眠る天使を間に挟んで、アクトゥールと僕はこれから先何があっても天使を守り抜こうと誓いあった。


 父に言われたからではなく、天使であるお嬢様を守るために僕は生まれてきたのではないか? と思ったら……それは驚くほどストンと胸に落ちた。


 だから、命をかけても守り抜く! と……そう強く誓ったのに……。



 ◇◇◇



 広げた手をじっと見ていたら、アクトゥール様がこっちを見ているのに気がついた。

彼の手はお嬢様に届いたが……守りきれなかった思いは同じだ。

生まれてたったのひと月で……お嬢様は……。


 自分の手で取り上げた我が子が……目の前で消えていくのを、ただ見ている事しかできなかった旦那様も、丁度その時を思い出していたのだろう……タオルで目頭を押さえていた。


 お嬢様の体は丈夫だとは言い難いが、今は平和に幸せに暮らしている。

お嬢様が生まれてひと月と一日が過ぎた夜……みんなで泣いた。


 もう、誰にも邪魔はさせない。

家族同様に育ててくれたプラント一家は、今度こそ私が守る。


 守るためには強くならなければ! ありとあらゆる武術を学んだ。

不可能を可能にする力が欲しい! そう強く願うと、魔力がどんどん強くなった。


 今……何故またこの世界に生かされたのかは分からない。

分からないが……このことに意味があろうとなかろうと、自分のやるべき事に変わりはない。




 それぞれが辛い記憶を辿っていて……執務室の空気は重苦しい。


 そろそろお開きにするべきか? 男爵がそう考えていると── 唐突にアクトゥールが聞いてきた……触れて欲しくなかった事を。


「僕は幼かったから憶えていないのですが……ミレニア様は双子の妹である母上や、母上にそっくりなニアと似ているのですか?」


「…………」


「?? 似ていないのですか?」


「あー ……なんと言うか……私もはっきり憶えていなくて…」

「えっ!? 父上はミレニア様の護衛騎士だったんですよね!?」

「うっ……それは、そうなんだが……三百年も前の話だし……セバスは憶えているか?」


「……それが……私も記憶が曖昧というか……アメニア様ははっきり……とまでは言えませんが憶えています。ですがミレニア様は……思い出せないと言うか、靄がかかっていると言うか……私も五歳で王都を出ていますので…」


 家族ではないのだから毎日一緒にいた訳でもないし、五歳くらいでは誰が誰に似てるとか、そんな──


 ……そう言えば……お嬢様が生まれて数日が過ぎた頃、お嬢様は誰に似ているのだろうと思ったことがある。サイラス様ともアメニア様とも違う髪の色……瞳の色は……あっ! と思った。


「今思い出したのですが、お嬢様が生まれた……三百年前ですが……その時サイラス様── 旦那様の瞳の色は既にアメジストでした」

「!!? そんなバカな! あの頃の私はパステルブルーだったはずだ!」


「いいえ、間違いありません。パステルブルーだったかどうかは……憶えていませんが、確かにアメジストでした。子供は両親のどちらかの髪色を持って生まれるのが普通です。ですが、お嬢様は違ったので不思議だったんです。それでお二人に似ているところを探したら……瞳の色がサイラス様と同じでした」


「……そんな……はずは……アクトゥールは! アクトゥールは憶えていないか!?」

「確かに父上はパステルブルーの瞳でした。が……ミーニアが生まれてからはミーニアに夢中で、父上の瞳の色が変わったかどうかなど……気付かなかったというか、興味なかったというか……」


「「…………」」


「……ま、まぁ……あれだな……ニアと同じで良かった! な?」

「「……えぇ……そうですね…」」

「もっ、もう遅いし……流石に疲れた(今ので余計に)……二人共、部屋に戻って休みなさい」

「「はい、おやすみ── なさい」なさいませ」



 ◇◇◇



 部屋に戻ったセバスは……まだ考えていた。


 奥様が、アメニア様の時代からかけられ続けている認識阻害魔法。

一体誰が……何の為に? 三百年前は、ミレニア様の双子の姉妹ということで、ジェイコブのような輩達から隠すのが目的だったかもしれないが……。


 それに……先程は話題に上がらなかったから黙っていたが、私はレオンハルト様の顔も思い出せない……。


 二人の顔を思い出せないのは、私達が転生を繰り返す鍵を握っているからか── 少し調べてみる必要があるな。


 しかし、お嬢様の側を長く離れる訳にはいかない……何か……ああ……丁度いいのがいたな。彼にお願いするとしよう。



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