第三十四話~関ヶ原の戦い(五)~
寝ている場合か、帝王の師たるお主が。
今こそ帝王はお主を必要としているのではないのか。
・・・なんじゃ、息をしておらんではないか。まぁこれだけ血を流していれば当然か。
う~む。お主がおらんでは、帝王は負けてしまうぞ。それでも良いのか?
・・・良くない?ほっほ。死んだ身でありながら、大した執念じゃの。
ならば・・・外法だが、『あれ』を施そうかの。だいたい想像はつくだろうが、『あれ』じゃ。少し説明をしようかの。
・・・よいのだな?もう後戻りは出来ぬぞ?
・・・うむ。その心意気やよし!では行うぞ。
連中、腰を抜かして驚こうぞ。ほっほっほ―――
しぶとい標的だった。そして勇敢な標的だった。
暗殺部隊の指揮官は、斃れ伏した標的にそう賛辞を送らずにはいられなかった。
彼らはかつて中央政権に刃向った勢力に味方して敗れ、住処を追われた隠密を生業とする一族だった。その彼らに鷹村聖一暗殺の依頼が舞い込んだのはつい先日の事。
徳川家康の夫の暗殺という大仕事が慌ただしく舞い込んだことを訝しむ間もなく、用意された莫大な報酬に追い立てられるように準備を行った。
徳川方の要人を密かに守る隠密に悟られぬよう遠巻きに動向を監視し、彼らが各地への伝令に回され、そして標的の守りが薄くなった隙をついて襲撃を行った。
結果は完璧だった。徳川領内で襲撃を行う事については仲間内でも異見はあったが、その分相手方の油断は誘えた。誤算はと言えば文弱とみていた標的の粘り強さ。
本来の獲物である弓を失い、素人同然とみられた剣術で満身創痍になりながらも生き抜くしぶとさ。そこには執念も感じられた。
(家族を守らんとする執念、か。我らに通じるものがある)
最終的には時間を掛ける事により襲撃の発覚を恐れた指揮官によって、火縄銃による射殺と相成った。
「首を戴くとしよう・・・おい」
「はっ」
命を受けた襲撃者のひとりが、聖一の首を取るために近寄る。悪趣味な依頼主からの依頼だ。討ち取った証拠として必要というのは分かるのだが、それを穂先に掲げて妻である家康に見せつけたいというのだから趣味が悪いとしか言いようがない。
―――ドクン
~上田城攻め、徳川軍本陣~
中山道攻めの東軍を率いる徳川秀忠は、本陣奥深くに座して瞑目していた。
(最近母上との連絡が取れない。恐らく使者がどこかで捕捉されている・・・)
恐らく母の方も自分と連絡が取れていないことを不審に思っているはず。秀忠の方でも、内々に捜査は行っていた。
(東軍内で内通者がいる。信濃、もしくは東濃に所領を持つ勢力・・・)
美濃に進んでいるはずの家康と連絡が取れないという事は、信濃の秀忠との連絡線である信濃か美濃東部に地の利を持つ者によって連絡が妨害されているとみるのが自然である。
(小諸の仙石、松本の石川、海津の森・・・疑ってはきりがない)
眼前の敵である真田ではないだろう。わざわざ危険を冒して敵の所領内を通る必要はないからだ。
さらにいえば父だ。母が出陣してすぐに父も立ったはずだが、未だに到着していない。
「それにしても・・・」
「姉上、御無礼いたします」
一礼して入ってきたのは秀忠の弟・義利である。彼には秀忠本陣の後方守護を任せていた。
「変だとは思いませぬか。先程から前線より戦の音がいたしませぬ」
「ええ。それは姉も気が付いていました。先陣の忠隣や康政から何か連絡があるとは思うのですが」
現在東軍は榊原康政と大久保忠隣を先陣に、上田城への攻撃を開始しているはずであったが、前線からは銃撃音や喚声ひとつ聞こえず、沈黙を保ったまま。
暫くすると、前線部隊から使者が駆け込んできた。
「申し上げます!ただ今前線より―――」
使者の報告を受けた徳川家の姉弟は、弾かれた様に駆けだした。慌ただしく小者に馬を曳いてこさせ、それぞれ愛馬を駆って前線に向かった。
「中納言様、右兵衛督様!」
知らせを受けて前線に駆けつけた徳川姉弟を待っていたのは、康政と忠隣。二人は慌てた様子で秀忠と義利を迎えると、二人を上田城の大手門の近くまで導いた。城内からの銃撃を恐れ、十分に距離を取った場所からではあるが。
そしてその遠くからの距離でも、城門の前で床几に腰かけている人物が分かった。一人は甲冑を身に纏った大男。これは上田城主真田昌幸であろう。
そしてその隣。薄手の着物を身に纏い、怪我をしているのだろうか包帯を身体のいたるところに巻かれた人物が困ったようにこちらに手を振っている。
間違えるはずがない。
康政と忠隣にとってはともに徳川家の黎明期を支えた戦友。
秀忠と義利にとっては母や兄弟たちと同じくらい大切な人物―――
『父上!』




