第1話 積層する鉛の朝
朝、目を覚ました瞬間から、世界はひどく重たかった。
まるで昨晩、一晩中重い荷物を背負って不整地を走り続けさせられていたかのような感覚だ。まぶたは鉛のように重く、全身の関節という関節が軋むような痛みを訴えている。ベッドから体を起こすだけで数分を要し、床を踏みしめた足裏から脳裏へ、冷たい不快感が駆け上がった。
洗面所の鏡の前に立つと、そこに映る自分の顔は青白く、目の下には濃いクマが刻まれていた。
「……またか」
高校三年生に進級したばかりの春原大地は、洗面所の鏡に向かって呟いた。溜め息をつく気力すら湧かない。ここ最近、ずっとこうだ。しっかり寝ているはずなのに、疲れが一向に取れない。それどころか、日を追うごとに疲労は蓄積し、精神まで削り取られていくような感覚がある。
病院に行って診察を受けても、異常なしと判定されるだけだった。医者は「ストレス性の自律神経失調症」などとありきたりな診断を下し、気休めの睡眠導入剤を処方しただけだった。原因のわからない慢性的な疲労。まるで休む間もなく、酷い悪夢に追われ続けているかのような疲労感だった。
重い足を叩くようにして登校し、教室の席へ向かう。
授業の鐘が鳴り、教師の淡々とした声が部屋に響くが、頭には全く入ってこない。黒板に走るチョークの音が耳障りに響き、ノートを取る手は重く、鉛筆の芯が紙を擦る音さえ苛立たしく感じられた。ふと視線を感じて窓際へ目をやると、一列斜め前の席に座る彼女――藤堂詩織と目が合った。
藤堂詩織とは、高校に入学してからのクラスメイトだった。
特別に親しいわけでもなく、かといって疎遠というほどでもない。たまに委員会仕事で会話を交わしたり、教科書の貸し借りをしたりする程度の、付かず離れずの友人関係だ。図書室の隅で静かに本を開いている姿がよく似合う、控えめでどこか儚げな雰囲気を纏った少女だった。
だが、ここ最近の大地にとって、彼女の存在は少し特殊なものになりつつあった。
目が合うと、詩織はどこか哀しげで、けれど愛おしいものを慈しむような不思議な微笑みを浮かべ、ゆっくりと視線を逸らすのだ。
なぜだろう。彼女の視線を受けるたび、胸の奥がぎゅっと締め付けられるような、説明のつかない圧迫感を覚える。嫌悪感とは違う。もっと根本的な、本能が鳴らす警鐘のような恐怖だ。胸の真ん中、肋骨の奥あたりが、目に見えない針で刺されているかのように冷たく疼く。だが、自分がなぜクラスメイトである詩織に恐怖を感じなければならないのか、その理由はいくら考えても浮かんではこなかった。
昼休みになり、机に伏せっていた大地に声がかけられた。
「大地、体調大丈夫か?」
顔を上げると、幼馴染であり親友の宮比野絢太が心配そうに見下ろしていた。絢太はいつも周りを気遣う明るい性格で、最近の自分の異変にもいち早く気づいてくれていた。
「顔色、相当やばいぞ。保健室行ったほうがいいんじゃないか? 午後の授業、サボっても誰も責めないって」
「……いや、大丈夫。いつものことだから」
そう答える大地の声すら掠れていた。絢太は眉をひそめ、大地の肩にそっと手を置く。その手の温もりが、今の生気のない大地にはどこか遠い世界の出来事のように感じられた。
「いつものことって言ってもさ、最近の顔つき、ただの寝不足じゃないぞ。何か悩んでることでもあるなら言えよ。大地がそんな風にボロボロになってるの、見てられないんだよ」
「ありがとな、絢太。でも本当に……原因が自分でもわからないんだ」
絢太は溜め息をつきながらも、持っていたスポーツドリンクを大地の机に置いた。友人たちの賑やかな輪へと戻っていく絢太の背中を見送りながら、大地はただじっと耐えていた。心身を蝕むこの正体不明の疲労と、脳の裏側に張り付いて離れない不気味な既視感に。




