14 大混乱
護衛たちが頑なに馬車に乗せらせれるのを拒んでくれたおかげで、デルフィーネは無事にふたりの護衛たちと共に王宮に戻ってきた。並走しようとするバレーノの馬車を置いて、脇道を素早く駆け抜けるのは街を知り尽くした護衛たちのおかげに他ならなかった。
護衛のうち、残るひとりは先に王宮に向かい、現状を報告したらしい。
バレーノ一行よりも一足遅れて到着したデルフィーネを待ち受けていたのは、先ほど見かけたばかりの馬車とバレーノ。
そしてバレーノと睨み合うように待つストレッロだった。
バレーノにはいないが、ストレッロには付き従う従者が大勢おり、バレーノに対する多勢に無勢のようにも見える。
嵐の根源に近づくのは気が引けたが、行かないわけにはいかない。
重い足取りで向かう。
デルフィーネが帰ってきたとわかると、ストレッロとバレーノは我先にと歩み寄ってきた。
その勢いに負けてデルフィーネはつんのめる形でその場に立ち止まる。
「デルフィーネ、なにもされてないか?」
「はい。大丈夫で──」
「あんた、デルフィーネっていうのか。かわいい名前じゃねーか。オレ、バレーノ。一緒に──」
「黙れ。デルフィーネは俺の番だ。」
「オレの番だよ。一瞬見てすぐにわかった。絶対にオレの番。マジでそう」
「ふざけ──」
「殿下」
強めの声音で諌めてくれたのは護衛のひとりだった。
それだけでストレッロの意識はデルフィーネに向き、困惑しているその心を感じ取る。
ストレッロの眉尻がほんの僅かに下がった。
「すまなかった。疲れただろう、部屋で休もう」
「はあ? なんであんたの部屋で休ませる──もしかしてもう結婚してんのか?」
「先に行っててくれ。俺もすぐに行く──それは?」
ストレッロの視線が落ちる。
それはデルフィーネが胸の前で作った拳に握られた4色のリボンだった。
無意識に握り締めてしまっていたようだ。
デルフィーネがふと気付いて指の力を緩めると、リボンはくしゃりと皺がついており、冷や汗で濡れて所々色が変わっている。
(もう、プレゼントにできない)
見せる価値もないだろうと咄嗟に後ろ手に隠した。
「な、なんでもありません。先に戻ります。」
「ああ。──よくやった。」
最後の言葉は護衛たちに投げかけられていた。
護衛たちが各々敬礼し、また部屋まで帯同してくれる。背後ではまだストレッロとバレーノが言い争っているのが聞こえてくる。
「ご安心ください。少しの皺くらい、殿下は気にしませんから」
そうだろうか。
みっともないリボンだけれど、喜んでくれるだろうか。
しかし本当に不安なのは、これから自分はどうなるのだろうということだ。
思い描いていた未来がどんどん遠ざかっていく。
これまでの番は皆、このように誰にも意見を聞かれずに未来を共にする誓約をさせられたのだろうか。
番って本当なの?
また波風が立ちそうだと、デルフィーネは肩を落とした。
◇◆◇◆◇◆
「報告は陛下まであがっている。明日、3人で謁見する予定になった。……大丈夫か?」
少し経ってから、ひとりきりになった部屋にストレッロが戻ってきた。
平民服のままでソファに座っていたデルフィーネは嘆息をせずにはいられない。
「そうですか……」
「本当になにもされてないか?」
「はい。指一本、触れられていません」
「……よかった」
隣に腰掛けると、足の長さの違い、そして視線の高さの違いをいつも実感させられる。
膝の上に置かれた大きな手から伸びる男らしい指がリズムを叩いている。
なにか言いたいのだろうか。
視線を合わせると、ストレッロの持つ真紅とかち合う。
「抱き締めたい」
遠慮がちに開かれた両腕に頷くと、やはり丁寧にストレッロはデルフィーネを抱いた。
初めは柔らかく、そして少しづつ力強く。
「そんな顔をさせるためにデルフィーネを街に残したわけじゃない。笑っていてほしい。すまなかった。やはり、一緒にいればよかった」
「大丈夫です。とても楽しかったです」
抱き締められると、自分の両手はどこに置くのが当たりなのかわからなくなる。背中に回すのがいいのか、体の横に垂らしておくのがいいのか。
デルフィーネは疲れていた。
楽しさのあとに襲ってくる忘れていた疲労。それゆえ、ストレッロに凭れかかってしまった。
そうしたかった。
体を預けられたストレッロは、さらに小さくデルフィーネを抱く。頬を寄せて、ストレッロの声と呼吸がすぐ近くで聞こえてくる。
「幸せでいてほしい。なにが楽しかった?」
「すべてです。ストレッロにプレゼントしたいものがたくさんあって、それを選ぶのも楽しかったです」
「ハンカチ?」
「そう。刺繍の糸とハンカチの色も、お手紙の飾りも。あと……リボンも。」
「ああ、さっき持っていたな。すべて俺にくれるんだろうな?」
「はい……ただ、少し汚れてしまって」
「いい。デルフィーネからの贈り物なら、小石でも嬉しいよ。……まさか他の騎士にもリボンをあげていないよな?」
「……えっ」
どう返そうか迷っていると、笑ったような短い吐息が耳に掛かった。
「デルフィーネは嘘がつけないな。もう二度とリボンなんてあげたらだめだ。俺にだけ贈ってくれ」
「わかりました。……ところでリボンって無事を願う意味だったと思うのですが、他にどういう意味が……?」
「いい。知らないでいてくれ。知るとデルフィーネがあいつらを意識してしまう。それはしてほしくない」
ふふ、と笑ったのはデルフィーネである。
ストレッロの腕の力が強まって、デルフィーネはストレッロの身体に密着していた。
「デルフィーネは俺の番だ。絶対に護るから、俺を信じてくれ」
もしかして、ストレッロは荒波が襲ってくるのを予想していたのだろうか。
◇◆◇◆◇◆
「どうしてオレが嘘をついてると思うんだ? 番だっていうなら、証拠を出せよ」
バレーノは国王陛下の御前だというのにも関わらず、挨拶も礼もせずに捲し立てている。マナーとルールに則った挨拶を終えたストレッロとデルフィーネは、それぞれ違う反応を示した。ストレッロは怒りと呆れ、デルフィーネは国王陛下が怒り出さないかという戸惑い。
バレーノは変わらず服をだらしなく着ている。
ストレッロが嘆息混じりに言った。
「そんな証明はできないと知っているだろう。」
「だろ? つまり五感だの勘だの、とにかく感覚じゃねえか。じゃあオレだって嘘とは限らねえだろ?」
「しかしデルフィーネは俺と婚約が──」
「そんなのたまたま見つけたのが早かっただけじゃねえか。まだ婚約も結婚もしてねえんだろ。なんなら恋人にもなってねえんじゃねえか? 本当にデルフィーネはあんたと結婚したいと思ってんのか? 誰かひとりでもデルフィーネの意思を聞いてやったのかよ?」
どきり、としたのはデルフィーネだけではなく、きっとストレッロもだっただろう。彼もデルフィーネを手に入れる一心で、デルフィーネに結婚の意思があるかを聞いたことはないし、デルフィーネも聞かれた記憶がない。
無論、ストレッロだけでなく、他の誰にも聞かれていない。
ある意味では、番の気持ちは蔑ろにされてきた。
それを肯定と受け止めたらしい。バレーノは大きく舌打ちした。
「あんたらのやりそうなことだよ。人の気持ちはすべて無視。やりたいように進めるクソみてえな考え方。ご都合よろしくて反吐が出る」
玉座にいる国王陛下は頭を抱えていた。
どうしてバレーノを叱らないのだろう。
かなり無礼な立ち振る舞いだ。礼を失するどころか、王族を侮辱しまくっている。
なのに、なぜ誰も諌めないの?
きょろきょろとしていると、バレーノと目が合った。
ストレッロよりも荒んだ眼差しだった。
「おいおい、デルフィーネを困らせてぇわけじゃねえんだ。本当にデルフィーネがあんたを愛してるっていうなら、それを引き剥がすのはオレだって苦しい。デルフィーネの幸せがオレの幸せだから、もちろん悲しませたくなんかねえ。
けど、そうじゃねえってんならオレにも機会をくれって言ってんだ」
少しの沈黙。
聞いたのはストレッロだった。
「つまり、なにが言いたい?」
バレーノは考える素振りをしてから応えた。
「デルフィーネに決めてもらおうじゃねえか。いくら番とはいえ、気持ちを無視するわけにはいかねえ。どっちと過ごしたいのか、むしろどっちとも過ごしたくねえのか、それぞれの生活を体験してみて決める。
オレの家に来て3か月間過ごす。それでオレが選ばれなければ潔く諦める。逆にどちらも選ばれなかったら、あんたはデルフィーネを手放してやる。
それでどうだ?」
訊ねられたのはデルフィーネだった。
(えっ、私に聞く?)
目の前に国王陛下と王子がいるというのに、平民である自分になにかを決められる権利があるとでも思っているのか。
しかしストレッロも国王陛下がいるぶん、下手に口出しできないでいる。歯痒そうな表情の代わりに、握られた拳から血が滴った。
「ストレッロ、血が──」
自分のハンカチを差し出すと、初めてその傷に気付いたのか、はっと目を見開いた。ハンカチを遠慮がちに受け取り、またそれを握り締める。
辛そうな微笑みを浮かべている。
国王陛下がようやく発言した。
「婚約式は延期とする」
ストレッロの喉から思わず声らしからぬ音が漏れた。
さらに国王陛下は続けた。
「1か月。1か月だ。それが今までストレッロと過ごした期間と同等である。それ以上は認めない。
その期間、バレーノの生活を体験してみて、バレーノとストレッロのどちらを選ぶのか、はたまた自由を選ぶのか、考えて決めるがいい。
ただし、ふたりの護衛を常時つける。
接吻や閨は御法度。風呂も部屋も別。肌を見せることも禁ずる。厳粛に貞操を保つこと。そして──、
その期間、ストレッロはデルフィーネと会ってはならない。手紙は許す。」
「陛下──」
さすがにストレッロが躍り出た。
しかし掌で国王陛下が諌めた。
「期間の開始は明後日からとする。」
「陛下!」
「以上だ」
そうして残されたのは、渦中の3人。
呆然とするデルフィーネの前にバレーノがやってきた。
「今あっちは海産物がめちゃくちゃ美味いんだ。食い倒れツアーやろうぜ」
なんて、場にそぐわない笑顔で言ってのけた。
引き攣った笑顔を浮かべるしかできなかった。




