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12/12

12 街デート


「大丈夫か? なにもされていないか? 触られたか?」

「いえ。非常に温かいお言葉をいただきました」

「温かい……? あいつが?」


 目を歪めて言うストレッロは、本心からデルフィーネの言葉を信じていないようだった。

 互いに好ましくは思っていないようだが、互いの行動について予想がつくほどには親密らしい。

 エスコートにより、歩きながら会話をする。


「元気がないな。体調が悪いのか?」

「だいぶよくなりました」

「そうか。……それで、その、花の件なのだが……」

「はい。不適切であれば場に合うもので大丈夫──」

「彼からの贈り物だから飾りたいのか?」


 どきり、とした。

 アナトラの顔のすぐ横に落ちた花をストレッロはよく覚えていたようだ。


 アナトラからの贈り物だからではない。

 それは断じて違う。

 しかし、どう言えばいいのか。


 ストレッロを不快にさせず、それでいて納得させる言葉。


「人からの励ましというのは、嬉しいものです。私は平民で、皆さんの言っていることがよくわかりません。もちろん、文化や伝統も。天才ではないから、覚えも悪いです」

「そんなこと言わないでくれ。デルフィーネはゆっくりでいいんだ。デルフィーネはデルフィーネのままでいい」

「それと一緒です」

「……『それ』?」

「はい。ストレッロなら、そう言ってくれると思いました。あの花の花言葉も、同じ意味でした。私は、私でいい。そういう励ましを込めて、あの花を希望しただけです」

「……そうか。わかった。」


 ダイニングに着くと、やはり椅子を引いてくれたのはストレッロ。

 タイミングを見計らって料理が運ばれてくる。だいぶ食事の作法は身についてきているのは実感がある。


「やはり顔に元気がない。辛そうだ」


 ストレッロは存外、心配性のようだ。

 デルフィーネは苦笑した。噂によれば、彼は一笑もしない男として有名な人らしい。ころころと変わる表情を間近で見ているデルフィーネにとっては、信じられない噂だ。


「気晴らしに街にでも出掛けよう。まだ満足に歩いてもいないだろう?」

「……いいんですか?」

「もちろん。」


 そうして出掛ける日取りがあっという間に調整された。


◇◆◇◆◇◆


 平民の服を着たデルフィーネは、懐かしい軽やかさに胸が躍った。

 苦しいコルセットもなく、動きにくい膨らんだスカートもなく、腕を上げられないほどの肩の露出もなく、ただ薄い布数枚。踵の低く、柔らかな靴は久しぶりに履くと裸足のように心地がよい。


「本当にこの服でお出掛けしていいんですか?」

「そうだ。」


 もちろんストレッロも平民の姿をしている。見慣れない質素な装いは、だが身についた教養を隠しきれてはいない。

 デルフィーネは本心から喜んだ。

 ああ、なにをしよう。

 けっして高いものでなくていい。ううん、むしろとっても安くていいものを探し当てたい。自分の好みの香油やポプリをたくさんお店の前で迷って、食べたいものをメニューを睨みながらあれもいい、これもいいと悩んで、買い物の練習に可愛いレターセットを探してみたりして、練習用の安価なペンを探してもいい。

 どんなお店があるだろう。

 お高いブランドではなくて、国民たちが営む街に馴染んだ店。


「楽しそうだ」

「ええ! 今から楽しみです!」

「街では敬語はやめてくれ。怪しまれてしまうから」

「頑張ります! さあ、早く行きましょ──早く行こう、ストレッロ!」


 デルフィーネはストレッロの手を引いた。



 彼女の笑顔は眩しい。

 ストレッロが手を引かれたのはまだ王宮内だったけれど、それを嗜めることさえしたくなかった。


 久しぶりに心からの笑顔を見た気がした。


 そういえば、近頃はデルフィーネが満足できるようにと身の回りの世話にばかり気がいって、彼女を楽しませてあげようという配慮が欠けていた気もする。

 いけない、いけない。

 視野が狭くなっていた。


 すべてはデルフィーネのため。


 この体も言葉も五感もすべて、デルフィーネが幸せに過ごすために尽くしてやりたい。


「あっちに行こう! 甘いものが飲みたい!」

「もちろん」

「今度はあっち! しょっぱいものが食べたくなったの!」

「どこへでも」

「この香りとこの香り、どっちが好き?」

「デルフィーネが気に入ったのなら、どちらも買おう」

「それでも悩む!」


 デルフィーネはころころと表情を変えた。

 歯を見せた笑顔がストレッロの幸福感を増幅させる。


 デルフィーネが、早く早く、とストレッロの手を引くたびに、その細い指にまめと傷跡だらけの無骨な指を絡ませて、ぎゅっと握った。

 そうして商品を見ようとするたびにデルフィーネが手を離すものだから、ああ、触れていたいのに。でも可愛い。なんて、感情の振り幅に困惑する。


 好きだ。


 それ以外になにも言葉が浮かばない。

 デルフィーネが好きだ。笑顔も、華奢な手も頭も、柔らかな髪も、手を引く力の儚さも、教養を身に着けようとする健気さも、ストレッロを思いやり、ストレッロが不快に思うことはしないようにと努めてくれる思慮深さも、なにもかも愛している。


 ずっと一緒にいたい。

 こうして、手を繋いだまま──。


「デルフィーネ、楽しいか?」

「もちろん!」


 聞いたことのない名前の菓子を食べて、口元にソースをつけたデルフィーネの快活な返事。

 ストレッロはそのソースを親指の腹で拭ってやりながら、頬が緩んだ自覚があった。


「デルフィーネ──」


 そして、聞きたかった問いをする。



「幸せか?」


 デルフィーネは頬袋に菓子をたくさん詰め込みながら、頬を赤らめて言った。


「とっても幸せです!」


 その言葉で、自分が産まれてきたことを神に感謝するくらいだった。

 彼女と出会わせてくれてありがとう。

 本当に愛している。

 彼女のためならばなんでも出来る。

 なんでも──。


「殿下」


 そこへ隠れて護衛していたひとりがこっそりと近付いてきて耳打ちをしてきた。

 それは今すぐに王宮に戻らなければならない内容だった。王宮というより、隊舎に。


 いっきに現実に引き戻される。

 体温が急激に降下していくのを感じ、顔から笑みがごっそり奪われる。


 陽はまだ高い。

 こんなに楽しそうなデルフィーネに戻ろうというのは、気が引けた。言えば、彼女は素直に一緒に行動してくれるだろう。

 まだここにいたいと本心を我慢して──それはさせたくない。


「俺は戻らなければならなくなった。……護衛を残せるが、まだ街を歩くか?」

「いいんですか?」

「デルフィーネが望むなら」

「ありがとうございます! ストレッロに贈りたい封筒とその飾りを買います! あと刺繍もうまくなってきたので、そのハンカチも!」


 溌剌とした笑顔で敬語になってしまっているデルフィーネ──可愛い。

 自分の贈り物を選ぶというデルフィーネ──本当に可愛い。


 引き戻された現実を少しだけ癒してくれた気がした。


「デルフィーネに傷ひとつつけるな」


 護衛たちにそう言い残して、その場をあとにした。

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