5
圭人は騒がしく話す声に目を覚ました。見知らぬ天井にぼやけながら、宏美の誕生日会をしたリビングへと向かった。
「お兄ちゃん おはよー」
「あら圭人さん 起きた?御飯食べてくでしょ?」
由実の声に宏美は圭人の手を握り用意されるテーブルへと連れていった。圭人はすいませんと席についた。
賑やかな食卓を終えると俊は着替えを済ませ圭人を呼んだ。宏美は休みでしょ?と圭人に言い寄るも、俊が今日はお仕事だと誤魔化すように宏美を抱き上げた。由美は俊から話を聞いていたが、宏美と一緒に文句を言っていた。俊は今度今度と逃げるように圭人を連れて車に乗り込んだ。
「あの、、俊さん?」
「ん?」
俊は車を走らせるといつもの知っている俊に戻っていた。
車は家の前の大通りを横断し、土手沿いを走り続けた。流れる川に沿うようにハンドルを握り、土手の河川敷駐車場まで来ると車は止まった。広がる河川敷広場ではピクニックのように遊ぶ家族がいた。
俊はエンジンを切り煙草に火を着けた。
「なぁ 圭人 昨日のことは本当か?」
俊は窓の外に腕を垂らしゆっくりと煙を吐いた。圭人は黙って頷いた。
「そうか、、、」
静けさをおびる車内をよそに楽しげな家族の会話が流れ、河川向こうの球場からガヤガヤと野球の応援する音がこだました。俊は煙草を消し無造作に言い放った。
「お前はもう俺の息子だ」
「何だよ 嫌なのか?でもな そう決めたんだ 決めちまったんだ 仕方ないよな?」
俊は威圧するように笑いかけてきた。
「それに 宏美も 兄貴が出来て嬉しそうだったし 由美も、、」
「、、、、でも」
それから会話も無くなり時間だけが過ぎていった。
「そろそろ戻るか」
俊はうつ向く圭人に言い、車のエンジンをかけた。圭人は「はい」と小声で返しながら俊の思いに複雑な感情を抱いていた。それは捨てられた自分が居て良いわけないと居ても迷惑になるという何年も続けた自滅の念のようなものに。そんな自分を受け入れてくれると、家族になると言ってくれた事に、今まで隠し溜め込んでいた思いが一気に溢れていた。何故そんなことをと聞く事もできずにいたが、俊の顔を見ると自然と笑える気がした。それは居ることの意味、生きることの意味さえ否定し続けてきた圭人にとって初めての暖かさだった。
ープルルル プルルルー
走り出そうとアクセルを踏むと俊の携帯が鳴った。
「ん、、誰だ」
「あ 俊さんですか 矢田前です」
矢田前は電話口に響くように慌てていた。
「あ?どういうことだよ? それいつだ?」
俊は矢田前の話に苛つくように聞き返し、電話を切るとすぐに車を走らせた。圭人は険しい表情をする俊に問いかけた。
「よくわからねーが 町川が消えたらしい」
「え?町川さんて あの町川さん?」
俊はアクセルを踏み込み矢田前のいる店まで車を飛ばした。車は土手沿いから大通りに入り、小さな店へと入っていった。
「矢田前いるか?町川が消えたってどういうことだ?」
俊は店のドアを蹴りあげるように開け大声をあげた。店は開店前で矢田前とそこの店長しかいなかった。
「あ 俊さん あのこれがあって それで」
矢田前は俊が入ってくると同時に椅子から飛び上がり、紙を見せ渡してきた。
ー明日も晴れるかな、、、ー
俊はその紙を握り矢田前は伝えてきた。
「ドアが開いてて それで電話をかけてもでなくて、、それでこれが」
矢田前と俊は紙を挟み立ち尽くした。掴む紙はくしゃくしゃに丸まった。
俊は矢田前に他に連絡した所はあるのかと聞き、矢田前は唐津と運転仲間には連絡はしたと言ってきた。しっとりとした落ち着く店内は異様な雰囲気へと変わっていった。
「あ 社長ですか?俊です」
俊は紙を握りしめ唐津に電話をした。矢田前から聞いた一部始終を伝え、一度会社に集まるということで話がついた。俊は矢田前に言い、他の従業員達にも連絡し会社に集合となった。
圭人は同じ境遇の町川のことを思うと胸が苦しくなっていった。思い出したくないあの感情と共に、心配する思いに息が詰まりそうだった。
「もう一度言ってみろ 蒔」
「あーいくらでも言ってやんよ 居なくなるヤツは 居なくなんだよ 勝手に居なくなりゃいーんだよ それにな 何にも不自由してねーやつに言われたかねーんだよ」
「テメーは、、言いてーことはそれだけか」
俊と蒔は場内の入り口で言い争いをしはじめた。その原因は社長から皆に伝えられた町川の生い立ちそのものがきっかけだった。選べない環境に知られない思い。その言葉に皆が皆それぞれ感じるものがあり、一人一人言い分があった。圭人もまた見えない姿に自分を写した。
そしてその日、社長の意見のもと何かあったらすぐ連絡を入れると言うことで解散となり、それぞれ別れていった。その後圭人は寛と話をした。
「人って言うのはな 何も嫌いになるようには出来てねーんだ」
寛は喫煙場所で煙草を吹かし圭人に言った。
人間はなぁ他人のことを考えれば考えるほど自分の内に留め続けてしまうんだ。それは、自分以上の存在に作り上げてしまう。けどな、他人だからこそ切らなきゃならねー時もある。自分の外に出さなきゃならねぇ。それが一番難しいんだけどな。
寛は煙草の煙を天井に向けて吹いた。
「忘れるってことですか?」
圭人は寛に聞いた。寛はその言葉に煙草の灰を灰皿に投げ込んだ。
「忘れる、、か それもいいかもしんねーな けどな 忘れちまったら寂しいもんだ 消して無くなれば楽だが 残っちまったら な」
寛は鼻で笑い煙草を灰皿に投げ入れた。
「さーて ぼちぼち帰るかー 迎えにいってやんねーといけねーからさ」
寛は心配する心を隠すように小指を立てて笑い、結婚する嫁を迎えにそのまま場内を出ていった。圭人は手を振り帰る寛を見送ると、事務員に矢田前の連絡先を聞きにいった。
「あ 圭人です 教えて欲しい事が、、、」
圭人は寛の言葉に引っ掛かる思いがあった。それは町川本人の気持ち。圭人も同じに育ったからこそ解る閉ざした心。その意味。圭人は矢田前に町川の家を教えてもらい町川の家に向かった。
古ぼけた木の塀に囲まれた民家の前の路地を曲がり、小さな商店の奥にある白い2階建てのアパート。外階段の下に赤いポストが並び、新聞やチラシが放り込まれている。圭人は矢田前から聞いた部屋番号のポストに手を入れ鍵を取りだし、部屋へと入っていった。
無造作に置かれる洗濯物。台所にはコンビニの弁当箱が積み重なっている。圭人は静まる空間にお邪魔しますと足を踏み入れた。
「町川さん、、、」
圭人は町川の思いに膝をついた。養護施設出身という境遇に、いつか自分もと思い続けていた日々を振り返り、胸を痛めた。
7歳から15歳。思春期の時期を施設で過ごした町川。2歳から16歳まで過ごした圭人にとって町川の気持ちは容易に想像できたが、圭人と町川では入寮する年齢差があった。そこには思い入れや強さが持つ、私情の辛みが関わっている。施設という家庭の中で縛り付けられるような精神課程。自分が自分で自分ではないと、捨てられたという現実がいつまでもつきまとう。思春期には特につきまとう。
圭人はそれらの思いを消し去るように町川の部屋に目を移した。がらんとした殺風景の部屋には白いカラーボックスが一つ置かれ、そこに何冊かの本が無造作に積まれていた。何度も何度も読みこまれた本は、角が丸く帯も削れていた。
ー夕暮れ時の赤い傘ー
一番上に積み重なる一冊の本。黄ばむ背表紙にひらがなで町川祐吉と名前が書いてあった。圭人はその本を手にページをめくった。
こんこん傘は 隠れてる
今日はどこへいこうかな
今日はどこへいけるかな
水のたまりに 顔をだし
赤い空へと 広がる傘は
回る夕日に 問いかける
明日は天気になるのかな
僕は 一人で待つのかな
朝日に会えば こんにちは
朝霧に会えば こんばんは
僕は君と 会えるかな
僕は君と いれるかな
夕日に染まる 赤い傘は
回る日差しに 問いかける
君はどこへいくのかな
僕はどこにいけるかな
本に描かれる傘を差す子供の姿。赤く染まる夕日の空に懐かしくも母を待つあの場所を思い出した。日が暮れ一人寂しく待っていたあの日、誰もいない玄関口。いつまでも迎えに来ないと泣き叫んだ当時の記憶。
「町川さん 何処にいったんですか?何処にいるんですか?僕は、、僕も、、一人でした、、、」
町川の感じたその孤独を自分と重ね、誰にも言えないその思いに誰にも言えないその言葉に、追憶のように溢れ流れる涙に圭人は必死に堪えていた。圭人は施設出身というだけで外を向かれ相手にされなかったこと。そうなるしかなかった環境だっただけで、周りからいらないものだと見られ続けたこと。その全てに何度も終わりを見つめていた。町川も同じだったのだろうと悲しむように本を握りしめた。
「町川さん 辛かったですよね 悔しかったですよね けど 居なくなったら 駄目ですよ 駄目なんですよ 生きなきゃ生きてなきゃ駄目なんですよ 僕も、、、」
圭人はもう会えないのだろうとうっすらと感じていた。
ー俺もここ出身なんだよー
ー前の社長がさ 言ってくれたんだよー
ーお前は 必要とされてる 必要だから 俺らがいるー
ー圭人 お前はいいなぁ まだ若いしー
ーなぁ圭人 お前は楽しいか?ー
圭人の心に町川と話した記憶が甦えってくる。あまり会うことはなかった運転種と場内種。けれどたまに会うと兄弟のように接してくれた打ち解けられた関係に圭人は悔しかった。自分の生い立ちを話していないことを、話せればもっと仲良く本当の兄弟のようになれたかもしれなかったことに、悔やんでも悔やみきれなかった。
そしてその2ヶ月後。町川の訃報の連絡が届いた。
町川 祐吉 水死
死亡診断書にはそう書かれていた。
唐津はその訃報に、芳村と写る写真を手に事務所から外を眺めていた。




