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幹碕圭人 17 伏羊中学卒業 主なアルバイト経験は無し 一人住まい 幼少の頃に両親は離婚 時同じくして施設に入寮。
ー働かせてくださいー
桜が散り残る4月半ば、郊外に建てられる工場事務所に圭人は来ていた。汚い字で書かれた履歴書に震える足でソファーに座る圭人に、ため息をつきながら問いただす唐津稔彦 52歳 社長兼雑用務。唐津は圭人は圭人の顔を見て履歴書を置いた。
「ついてこい」
かすれかかった声に席を離れる唐津。圭人は黙ったまま後を追った。
倉庫の壁一面を取り外したような半中半外の場内は一年通して風が吹き入るような作りだった。一歩足を踏入れれればプレス加圧する機械に鉄を叩き外す音。蒸しあがる油にゴムを焼いたような匂いが場内を充満させている。そこには空調システムというものはなく、扇風機とストーブのみが置いてあった。それは大手の倉庫作業場内とは違い、中小企業のそれと同じ理由だった。場内は人がすれ違う程のスペースに多種多様な機械が列べられ、天井には移動式吊りクレーンがぶら下がっている。外と場内を遮るトタンの壁には様々な工具が掛けられ、白く濁った煙が奥の蒸し庫から沸き上がっていた。唐津は機器の隙間を進み奥の詰所、いわば休憩所のようなプレハブ小屋を指差した。
「着替えてこい」
窓もなく換気扇だけが取り付けられたプレハブ小屋は、各々の荷物が置いてあった。部屋を2つに分断するようにロッカーが置かれ、入り口と奥とで仕切られた部屋の隅には段ボールが置いてあった。圭人はその段ボールから色褪せたツナギを取りだし腕を通し、棚に置かれる帽子に手をやった。
唐津は小屋の横にある喫煙場所で煙草を吹かすどっしりとした男と待っていた。
「今日から働く圭人だ 頼んだぞ」
唐津は圭人を見るとその男の前に押し会わせ、頑張れよと煙草を消し戻っていった。残された圭人はひきつる顔にその男を見るも、無表情にも見下ろしてきた。
ーちょっとお茶でもどうですかー
ー水分 休憩 一休みー
場内を支える鉄骨の柱にくくりつけられた四角いスピーカーから場内アナウンスが流れだした。場内にいる従業員らはそれに手を止め、首や肩をまわしながら背を伸ばし、一人一人話し始めた。話し笑うその中の一人が油臭い匂いを振り撒き手についた汚れをごしごしとツナギで拭きながら近づいてきた。
「俊さん コイツ新しいやつ?」
どっしりとした男、真部俊 34歳 既婚。俊はコクンと頷き無愛想に持ち場へと歩いていった。
「そーかそーか おやっさんまた拾ってきたのか」
声をかけた男は圭人の顔を覗くように見入り、そのまましゃがむと煙草をとりだした。
「それにしても若いな いくつだ?」
「えっあ、、17です」
「ひゃっひゃっひゃ、、そりゃ若いわな 俺 蒔ってんだ」
蒔 研司 30歳 独身。蒔は休憩後一緒に来いと圭人に言い、食べるように煙草をくわえた。くわえる口から歯が欠けているのが見えた。
一本二本と煙草を吸うと、スピーカーから仕事始めのアナウンスが聞こえてきた。蒔はヨシと煙草を消し、指定の持ち場に戻ると馴れた手つきに大まかな手順を見せ聞かせた。
有限 唐桶工務 コンクリート製造。主に車止め 側溝及び蓋 ブロックなどを扱う製造販売業者。製造工程は大きく三種。器具組み立て及び分解。器具に挿入。そしてコンクリート調整製造。この種を一連の流れの中で数人で行う。そしてその作業とは別に、特殊な形の造形や大きさなどの加工品は、機械なく手作業にてとりおこなう。他にも製造とは別の種として運搬があり、コンクリート車にて各工事現場へと送り込まれる。場内で働く者と車両を運搬する者は、滅多に会うことはなく就業時間でそれは変動する。従業員12名内運搬4名、事務員2名、営業3名。そして社長の総勢20名弱で会社を切り盛りしている。
そして圭人が入社してから二年後、ベテラン従業員 吉葉が亡くなった。
吉葉 且生 64歳 男
心臓発作
訃報を聞き、従業員全員で葬儀に並び弔いの花を捧げた。そしてその翌週、吉さんの家へと招かれた。
吉葉の家は会社の裏手にある木造平屋の一軒家で、妻に娘、孫二人の計四人で住んでいた。ヨチヨチ歩きの子を抱え娘久恵は玄関先まで出迎えていた。
深々と頭を下げ挨拶を済ます娘の久恵は玄関横の客間へと案内してきた。土壁に和紙の襖に仕切られた四畳一間の部屋には檜の四角いテーブルが置かれ、下に隠し置く丸い置物から微かに香りが漂っていた。それは吉葉が好きだった金木犀の香りと同じだった。久恵は落ち着いたように子を抱え、襖の奥に隠れる子を呼び寄せた。久恵の子 蓬 と 楓 5歳と1歳の姉妹。蓬は楓をあやす久恵の袖を掴みチラチラと顔を隠していた。俊はその蓬に気づき手を振り笑いかけると蓬は久恵の体に隠れた。その怖がるように見る姿に、俊は寂しそうな顔をした。
「この度は、、」
沈黙が流れる中、唐津は声を小さく久恵に話しかけると、部屋の奥から何かが割れる音が聞こえそれと同時に叫び声が響いた。
「いやぁぁぁ 来ないで来ないで、、」
何かに怯えるような声は家全体に広がっり、久恵はその声に振り向いた。叫び続ける声に失礼しますと頭を下げ奥へと走っていった。
「吉さんの奥さん 相当きてるわね」
久恵がいなくなると事務員の二人が耳打ちで話し始めた。
「そうですよね 今回ばかりは」
「そうね 大変だもんね あ、、そうそう 聞いた話だと 奥さん痴呆みたいなのよ 一昨年あたりから、、、」
噂好きのOLのよう口を挟み、前に座る唐津はそれを耳に何かを考えるように一点を見つめていた。
久恵は奥で震える妻 春恵を落ち着かせるように背中を擦り、ほどなくして戻ってきた。
「お騒がせして すみません」
「いえいえ そんなに頭を下げないで下さい 私も他人事には 思えませんし、、、ところでその 今日は、、、」
うつむきながら側に寄る蓬の髪を撫でる久恵に唐津はそれとなく理由を聞いた。久恵はその言葉に「はい」と吐息を漏らすように目を反らし、神妙な顔つきに唐津を見あげた。蓬は楓を連れて奥へと戻っていった。
「父は 父は殺されたのではないでしょうか、、、」
握る手を膝に置き、久恵は勇気を振り絞り声をだした。
「どういうことで、、すか?差し支えなければ、、、」
す
亡くなる前まで吉さんは元気に働いていた。それは私生活でも同じだった。それに毎年行われる健康診断でも何もおかしな所はなく、日々の行動も場内一で、いつも笑い話の中心にいるような人だった。誰かといがみ合うような話も、喧嘩しているという話も聞いたことはなかった。
久恵は私も信じられないのですがと前置きをした上で話を続けた。唐津はそれらの話しにうんうんと聞いていたが、これといったものが出てこず、亡くなったことへの辛み悲しみとして受け入れられず、そう思えてしまったのではないかと結論に至った。
そうして吉葉の死は、心臓発作として診断書と同じに受け入れることになり、亡くなることへの残り香は、綺麗な匂いとして消え失せることはなかった。
そしてその半年後、不運な出来事は続いてしまうように、一つの連絡が会社に入ってきた。
ー自動車運転過失傷害ー