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ンードラロギア ~自由と未来のための戦い~  作者: ああああ


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第三章:変える夢、叶える夢

三章です。

夢の残滓は、目覚めてから数時間が経過した今もなお、プリムの胸の奥におぞましいまでの質量を伴って居座り続けていた。


「……はぁ」

じっとりと首筋を濡らす嫌な汗を、仕立ての悪い、しかし着慣れた麻のシャツの袖で拭う。手首の細さは、あの裏社会を血と暴力で統べ、仮面の奥から他者を睥睨していた『レイ』の時代のそれと何ら変わりはない。だが、掌を胸元に当てたとき、そこに走る確かな鼓動だけが、自分がまだ生きているという事実を辛うじて証明していた。


今朝見た、あの不吉極まりない、しかしあまりにも鮮烈な夢。

普通、夢というものは、意識が覚醒の光に晒されると同時に、指の隙間から零れ落ちる砂のようにその輪郭を失っていくものだ。だというのに、今回ばかりは違っていた。


演壇に立ったときの、足の裏から伝わる木板の冷ややかな感触。

水を打ったように静まり返ったのち、土手から沸き起こった、地鳴りのような民衆の拍手と歓声。

やり切ったという万感の思いと、その直後にルートシアの青空を引き裂いた、あの乾いた銃声――。

そして何より、胸元に突如として咲いた、大輪の赤い薔薇。衣装の繊維を重く濡らし、体温を奪い去りながら溢れ出た鮮血の、あの生々しい熱さと、急速に世界が白んでいく死の恐怖。そのすべてが、まるで今さっき現実に経験したことであるかのように、恐ろしいほどの解像度で脳裏に焼き付いて離れない。


プリムの死の直前、泣き叫ぶカインやアグリの前で、自分が口にしたあまりにも恥ずかしすぎる本音。


『アルト君の、お嫁さんに、なりたかったの』


思い出すだけで、耳の裏までが沸騰しそうなほどの熱に侵される。いくらなんでも飛躍が過ぎるし、不謹慎だし、何より乙女の妄想としても度が過ぎている。もしあれが予知夢の類なのだとしたら、私は世界で一番恥ずかしい死に様を晒すことになるではないか。


「あり得ない。ただの、質の悪い悪夢よ……」

自分に言い聞かせるように呟き、プリムは目の前の現実へと視線を戻した。


薄暗い自室の机の上には、もはや山というよりは城壁のように堆く積まれた書類の束がある。


アンゾールマ国が被った傷は、あまりにも深かった。

世界を震撼させた『アエゾス事変』、そしてそれに追い打ちをかけるように発生した『月の蝕』。二度にわたる壊滅的な災厄は、この国のインフラを徹底的に破壊し、人々の生活の基盤を文字通り粉々に打ち砕いた。


かつては犯罪と暴力の温床であった旧市街のギャング勢力はアルトが作ったギャング『笑顔の家族』に統合され、今やその性質を180度変え、プリムの指揮のもとで国内最大の慈善活動組織として奔走していた。


活動の初期は、荒事を生業にしていた元ギャングの若者たちを動員し、旧市街の瓦礫を撤去することからのスタートだった。手探りで、不器用で、初めのうちは住民たちからも「悪党どもが何の真似だ」「どうせ裏があるに決まっている」と石を投げられることすらあった。

だが、プリムたちは諦めなかった。言葉ではなく、行動で誠意を示し続けた。


瓦礫を撤去した跡地には、ただ施しを与えるだけでなく、貧困層が自立できるようにと衣食住を提供しながらの『職業支援活動』を展開した。石工の技術、大工の技術、仕立ての技術――それらを学べる場を作り、飢えをしのぐ仕事を与えた。さらに、行き場をなくした孤児たちを集め、無償で読み書きや計算を教える学校を次々と開設していった。


そのひたむきな姿は、徐々に人々の心を溶かしていった。


「あいつらは、本気でこの街を救おうとしている」

気づけば、かつて学校の教員を務めていた老人や、現場を退職した熟練の職人たちが、「俺たちの技術が役に立つなら」と、自発的に『笑顔の家族』の活動を支える側に回ってくれるようになっていた。今や、その支援の輪はルートシアの旧市街に留まらず、アンゾールマの国内全域へと拡大しつつある。


――だが。

プリムは、書類の一枚に目を落とし、小さく奥歯を噛み締めた。

(これだけやっても……何も変わっていない。この国の、根本的な構造は)

どれだけ瓦礫を片付けようと、どれだけ子供たちに勉強を教えようと、それは表面の傷口に包帯を巻いているに過ぎない。


連日、プリムのもとには街の住民たちから途切れることなく悲痛な相談が寄せられていた。


「行政が、居住区の復興予算を打ち切ると言ってきた」


「中央の役人どもは、商取引の再開や大規模商業施設の建設ばかりを優先して、俺たち一般住民への配慮や施策をすべて後回しにしている」


それが、アンゾールマの現体制である『評議会』の冷酷な現実だった。彼らが目に見える『経済の数字』ばかりを追い求め、真に困窮している民衆の声を『効率が悪い』『際限がない』と切り捨てている結果が、すべてプリムの元への陳情という形で跳ね返ってきているのだ。


民間組織である『笑顔の家族』の財源にも、当然ながら限界はある。行政が動かない限り、この国はいつまで経っても、持たざる者が泥水をすすり続ける構造から抜け出せない。


コンコン、と小気味よいノックの音が静寂を破った。

「プリムさん。入ってもいいですか?」

応じるよりも早くドアが開く。現れたのは、長い銀髪を無造作に結わえたテイゲンだった。相変わらず年齢を感じさせない端正な顔立ちだが、その手にはまた新たな「苦情と要望」が詰まった羊皮紙の束が握られている。


「その…またなんですが……街の人々が、ちょっと相談があるそうなんですよ。北街区の水路の件ですが……よろしいですか?」

テイゲンの怪訝そうな視線が、プリムの顔に注がれる。


「っ! なん、でもないです! ちょっと考え事をしていただけだから!」

プリムは慌てて両手で頬を叩き、強引に熱を冷まそうとした。夢の中の『お嫁さんになりたかった』という己の本音がリフレインし、心臓が別の意味で爆発しそうになる。それを必死で取り繕うように、プリムは咳払いを一つして、あえて事務的なトーンで話を切り替えた。


「それより、テイゲンさん。……ちょっと、お聞きしたいことがあるのだけれど」


「はい、何でしょう?」

書類を机に置きながら、テイゲンが首を傾げる。


「テイゲンさん、最後にカインとアグリに会ったのは……いつかしら?」


その唐突な名前に、テイゲンは一瞬だけ驚いたように目を見開いた。それから、視線を天井へと向け、記憶の糸を手繰るように少し考える仕草をする。


「三か月前……といったところですね。彼らの滞在している領地の様子を見に行ったのが最後です。それが何か?」


「いえ……アグリの様子は、どうかなと思って」


プリムの言葉に、テイゲンはふっと表情を和らげた。

「元気にしていましたよ。畑の手伝いをしながら、よく笑うようになっていました。もう、心の傷も随分と癒えた様子でした。カインがそれはもう、甲斐甲斐しく世話を焼いていましてね。見ていてこちらが気恥ずかしくなるほどでしたよ」

そう語るテイゲンの顔には、確かな安堵が浮かんでいた。


だが、その直後、テイゲンの瞳の奥に、ふっと昏い影が過るのをプリムは見逃さなかった。

テイゲンは無意識のうちに、あの凄惨極まる『アエゾス事変』の最中の光景を思い出していたのだ。


カインの身の内に潜む狂気的な「負のマナ」を生み出すためのトリガーとして、敵の策略によって囚われ、凌辱の限りを尽くされていた頃のアグリ。心を引き裂かれ、人間としての尊厳を奪われ、ただの動かない人形のように廃人となっていた彼女の姿。そして、それを見て正気を失い、世界を滅ぼさんばかりのエネルギーを生み出してしまったカイン。


あの地獄のような日々を思えば、今の静かな暮らしは奇跡に近い。テイゲンの口元がわずかに強張ったのは、二度とあの過去を繰り返してはならないという、深い傷痕が今も魂に刻まれているからだった。


プリムは、テイゲンのその暗い表情を包み込むように、静かに、しかしはっきりとした声で提案した。

「アグリやカインが、もし賛成してくれればの話だけれど……。この『笑顔の家族』の仕事に、二人を誘ってみようと思うのだけれど、どうかしら?」


「……え?」

テイゲンが弾かれたように顔を上げた。


「二人とも、ずっと狭い領地の中で、過去から隠れるようにして暮らしているでしょう? でも、アグリの心がそれほど回復しているのなら、そろそろ外の世界と関わってもいい頃だと思うの。それに、私たちの活動は今、人手がいくらあっても足りないわ。特に、カインのあの圧倒的な腕力と、アグリの細やかな気配りがあれば、救われる人がもっとたくさんいる。何より……二人が、誰かの役に立っていると実感できれば、本当の意味で過去を乗り越えられるんじゃないかって」


プリムの言葉は、テイゲンの胸の最も深い部分を貫いた。

テイゲンにとって、カインは裏社会の過酷な環境の中で、肉親同然に目をかけ、弟のように可愛がってきた存在だった。彼がどれほど苦しみ、どれほどの罪悪感を背負って生きてきたかを、誰よりも知っている。

そのカインたちが、日陰者としてではなく、誰かを救う「光の当事者」として表舞台に立てるかもしれない。

みるみるうちに、テイゲンの顔から陰りがいま消え去り、パッと明るい喜びの色彩が広がっていった。


「おぉ……! それは、素晴らしい提案です! きっと本人達も喜ぶと思いますよ! カインの奴、口では文句を言うでしょうが、プリムさんの誘いとあれば、内心は飛び上がるほど嬉しいはずです!」


「ふふ、そうね。カインなら『ちっ、めんどくせえな』なんて言いながら、誰よりも早く荷物をまとめる姿が目に浮かぶわ」


「ええ、間違いありません!」

テイゲンの弾んだ声に、プリムも自然と笑顔を返した。


「それじゃあ、近いうちに時間を作って、彼らに会いに行きましょう。直接、私たちの活動を見てもらって、それから誘うのが一番いいわ」


「そうですね。ぜひ行きましょう。私がすぐにでも、彼らの元へ遣いを出してスケジュールを調整させます!」

嬉しさを隠しきれない様子で、テイゲンは足取りも軽く、水路の件の書類を机にまとめ直した。彼にとっても、過去の悲劇という重荷が、プリムの温かい一言によって少しだけ軽くなったような、そんな救いを感じていた。


だが――。

部屋を出ていくテイゲンの背中を見送り、再び一人になった瞬間、プリムの表情から笑みが消えた。

窓の外を見やる。そこには、復興の足音が聞こえる一方で、いまだに煤けた瓦礫が転がり、行政の支援を待ちわびて疲れ果てた民衆が行き交う、不完全なルートシアの街並みがあった。


(これだけでは……足りない)

冷徹な現実の計算が、プリムの脳内で火花を散らす。

カインとアグリが戻ってきて、どれだけ『笑顔の家族』の活動が強固になったとしても、それはやはり「巨大な民間組織」の域を出ない。現在の評議会が、利権や中抜き、経済優先の歪な方針を変えない限り、プリムたちがどれだけ泥をすすって民を救おうと、国そのものの腐敗という大本の蛇口は閉まらないのだ。


そして、今朝のあの夢の光景が、再び鮮烈に蘇る。

夢の中で、プリムは数万の民衆の前で演説をしていた。あれは単なる慈善活動の報告ではない。甘い公約を排し、民衆自身の足で立つことを求める、苛烈なまでの政治的プロポーズ。

あの夢の結末が、暗殺という最悪の悲劇であったとしても。

あるいは、そこに届く前に、巨大な国家権力の壁に阻まれて叩き潰されるのだとしても。


今のままの「優しい聖女」の慈善活動では、この国は救えない。

変えるべきは、システムそのもの。この国を縛る、法律と権力の構造そのものだ。


(……やるしかないのね)

プリムの胸の奥底で、小さな、しかし決して消えることのない「業火」が、静かに灯り始めていた。

アンゾールマ国の最高権力者を決める、評議会の議長選挙。

そこに自らが出馬し、民衆の票を勝ち取り、真の意味でこの国を根底から変革する。


たとえその先に、あの胸を撃ち抜かれる「赤い薔薇」の未来が待っているのだとしても、世界一諦めの悪い彼女の心が、ここで足を止めることを許さなかった。


三章読んでいただきましてありがとうございます。


本伝を読んでいただいている前提で書かせてもらっています。


夢の中で自分を補佐してくれていたアグリとカインを再び仲間として行動を供にしてもらうことを願うプリム。彼女は夢の結末が現実であっても、この国を変えなきゃいけないという強い意思を感じるエピソードにしました。


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