第3話:かつて俺を捨てた婚約者
合格証を手に歩き出した俺の背中に、なおもエレンの鋭い声が突き刺さる。
「無視する気!? 貴方、自分が何をしたか分かっているの? ローゼンバーグ家の名誉を汚し、魔法騎士の神聖な試験を汚したのよ!」
エレン・フォン・ローゼンバーグ。
この国の名門公爵家の令嬢であり、俺が「魔力なし」と判定された瞬間に「ゴミを見るような目」で婚約破棄を突きつけてきた女だ。
俺は足を止め、ゆっくりと振り返る。
「……名誉だの汚しただの、騒がしいな。俺はただ、試験官に言われた通り盾を壊しただけだ」
「それが嘘だと言っているのよ! 素手で氷の盾が割れるはずがないわ。どうせ、服の中に衝撃を増幅する魔道具でも仕込んでいたのでしょう? 落ちぶれても貴族の端くれなら、潔く無能を認めなさい!」
彼女が杖を向ける。先端には紅蓮の炎が渦巻き始めた。
周囲の受験生たちが「おい、公爵令嬢が本気だぞ」「あいつ、焼き殺されるんじゃないか?」と色めき立つ。
だが、俺の目には彼女の動きは隙だらけに見えた。
呼吸が浅い。肩に力が入りすぎている。そして何より、魔法の発動を「杖」と「詠唱」という外部要素に頼りすぎている。
「エレン。忠告しておく。その棒切れを俺に向けるな。……危ないぞ」
「……っ! 私に指図するな! 『燃え盛る炎の矢』!」
彼女が叫ぶと同時に、数条の炎の矢が放たれた。
回避不能の速度――と、誰もが思っただろう。
しかし、俺は動かない。
矢が眼前に迫った瞬間、最小限の動きで右手を払った。
「――『下段払い』」
シュッ、という鋭い呼気と共に、俺の手刀が炎の側面を叩く。
物理的な質量を持たないはずの炎が、俺の「気」を纏った一撃によって霧散し、あらぬ方向へと弾け飛んだ。
「な……魔法を、手で払った……!?」
「魔法だろうが何だろうが、エネルギーの塊である以上、芯はある。そこを叩けば軌道は変わる」
俺は一歩、踏み出す。
それだけで、エレンは「ひっ」と短い悲鳴を上げて後退りした。
彼女の目には、今の俺が巨大な猛獣か何かに見えているはずだ。これが「武」を極めた者が放つ威圧感、すなわち「殺気」だ。
「お前は俺を無能と呼んで捨てた。それは勝手だ。だがな、お前が信じている魔法という物差しだけで、世界のすべてを測れると思うなよ」
「あ、う……」
「俺にとって、この拳はお前の魔法よりもはるかに重い。……それだけだ」
俺は彼女の横を通り過ぎる。今度は呼び止める声もしなかった。
背後で、エレンが膝をつく気配がした。プライドを粉々に砕かれた彼女の顔を見る必要はない。
俺が向かうのは、騎士団の最北端にある、古びた兵舎。
第十部隊――通称「無印」。
そこには、俺と同じように「魔法の常識」から外れた連中が集まっているという。
兵舎の扉を開けると、カビ臭い空気と共に、数人の視線が俺に突き刺さった。
「へぇ……新入りか。随分といいツラしてるじゃねえか、兄ちゃん」
そこにいたのは、騎士の正装も着崩した、柄の悪い連中だった。
だが、俺は口角をわずかに上げる。
エリートたちの演習場より、ここの床の方がよほど拳を鍛えるのに向いていそうだ。
俺の異世界空手道。
ここからが、本当の修行の始まりだ。




