モナカまるくなる
──ミーンミーンミーン……
蝉の声が、空に張りつくように鳴き続けている。
「……あっつ〜……もう、おひさま本気出しすぎだよぉ……」
神社の拝殿の奥、旧社務所のちゃぶ台に、モナカは溶けかけたアイスバーを持ったまま倒れていた。
汗ばんだ額に団扇を当て、耳をピクピク動かしながら、ぐで〜んと畳にめり込んでいる。
ちゃぶ台の上には、食べかけのスイカバーと、水滴を帯びた麦茶のグラス。
氷はすっかり溶けて、もはや冷たさよりも“ぬるさ”の領域だ。
「ミタマ〜……モナカ、このままじゃ……夏に溶けちゃうよぉ……」
「……朝から三本目のアイスを食べてる人の言うことではないわね」
キッチンから現れたミタマが、静かに台拭きを持って近づいてきた。
白衣に赤い袴姿、長い銀髪を後ろでまとめたその涼しげな姿には、汗ひとつ見えない。
「お昼寝するなら、せめてアイスを置いてからにしてちょうだい。ほら、今にも落ちそうよ」
「ん〜……」
モナカが返事をしないまま、うとうとまどろみの世界へ沈もうとした――その瞬間。
ころん。
「ぴゃっ!?」
身体がぐるりと回転して、そのまま畳から落ちた。
スイカバーは無事だったが、モナカ本人が仰向けに転がって、ふさふさのしっぽをバサッと広げている。
「……転がったわね。しかも豪快に」
「う〜……床がつめたくて気持ちいい……でも、丸くなってた……?」
「暑いのに、なんでそんなに丸まって寝るのよ」
「だって、しっぽが……安心するんだもん……」
目をとろんとさせながら、モナカはしっぽをぎゅっと抱きしめる。
その姿はまるで、夏の日差しの下でころがる毛玉のよう。
ミタマは軽く息をついて、団扇をあおぎながら言った。
「まるくなるなら、せめて風通しのいいところで。……ほら、縁側のほうが涼しいわよ」
「うう〜ん……モナカ、移動する元気ない〜……ミタマ、抱っこしてぇ……」
「却下よ」
ぴしゃりと一言。けれどその口元には、少しだけ微笑みが浮かんでいた。
モナカがころころと畳を転がるたびに、しっぽがふわふわと揺れた。
まるで巨大な綿菓子が、床の上をゆっくり滑っているよう。
「ほら、縁側。風が通るわ。干した座布団もふかふかよ」
ミタマが団扇を片手に、すっと襖を開けると、むわっとした室内の空気が一気に流れた。
外から吹き込む風が涼やかに頬をなで、風鈴がカラン、と心地よく鳴る。
「おぉ〜〜〜!風だ!モナカ、今そっちに転がっていく〜〜〜!」
「歩きなさい」
渋々立ち上がったモナカは、よたよたと縁側へ。
座布団の上に着地すると、すぐにごろんと寝転んだ。
しっぽで顔を覆いながら、「これこれ〜!」と嬉しそうにくすぐったく笑う。
「ねぇミタマ〜、夏ってさ、あついけどさ、こういうのが気持ちいいから許せるよね」
「そうね。……でも、アイスの食べすぎは許せないわ」
「うっ……モナカのことじゃないよっ、世間的な話っ!」
ミタマは小さく笑って、台所へと戻っていった。
しばらくすると、ガリガリという氷を削る音が聞こえてくる。
「ねぇミタマ、なになに〜? その音、かき氷でしょ!? でしょでしょ!?」
「その通り。……でも、さっきアイスを三本食べた狐にあげるかは悩んでいるところよ」
「ご、ごご、ごうもんだぁ〜〜っ!!」
叫びながら、モナカは縁側の板の間をバタバタ転がった。
その様子に、遠くの木陰で昼寝していたスズメたちが一斉に飛び立つ。
やがてミタマが、淡い水色の器にふわふわの氷を盛り、シロップをたらしたお盆を持って戻ってくる。
「はい。苺と、レモン。どっちがいい?」
「モナカは……よし、勝負で決めよう!早く食べたほうが、両方もらえるってルールで!」
「そうやってまた、頭をキーンとさせるのね……」
「ふっふっふ、モナカの脳はかき氷でできてるから、へーきなのだ!」
──五秒後。
「き゛ゃ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……あ゛た゛ま゛ぁ゛ぁ゛あ゛ぁ゛……っっ」
縁側に響きわたる謎の断末魔。
団扇を片手に静かに見守っていたミタマは、氷をひとさじ口に運びながら、目を細めて言った。
「……学ばないのね、ほんとに」
「きゅうけつっ……モナカ、しばし冬眠に入るの……」
氷の器を抱えたまま、モナカは座布団の上にくるりと丸まり、しっぽで顔を隠した。
「……だから、暑いのに何で丸まるのよ」
思わず口に出しながらも、ミタマはその姿に少しだけ、ふっと微笑む。
「……すぅ……すぅ……」
モナカの寝息が、風鈴の音と重なるように心地よく響いていた。
しっぽで顔をくるんと隠しながら、まるで雪見だいふくのように小さく丸まっている。
暑さを忘れたかのように、ぴくりとも動かない。
ミタマは隣で団扇をゆるりとあおぎながら、その姿をちらりと見る。
「ほんとに……どこでも寝られるんだから」
そう呟きながら、少しだけ目を閉じた。蝉の声が、夏の空気に溶けていく。
──この神社に、ふたりきりになってから、もう何年が過ぎたのだろう。
人の気配がまばらになり、社務所も忘れられたように静かになって。
けれどモナカだけは、いつも変わらなかった。
春には花を追いかけて転がり、夏には氷を求めて叫び、秋には団子を咥えたまま昼寝し、冬にはしっぽにくるまって炬燵の番。
「変わらないって、強さよね」
ミタマはそう呟いて、麦茶に口をつける。
冷たさは少し薄れ、ぬるくなったけれど、それもまた夏らしさだ。
そのとき。
「……おやつ、もういっこ……」
寝言だった。
ぴくりとしっぽが揺れ、口元がかすかに緩む。
「どこまでも食いしん坊なのね、あなたは……」
ミタマはそっとお盆を脇に寄せ、隣に座り直す。
腰をおろすと、すぐ隣にモナカのしっぽが触れた。
ふわりとした毛並みに、ほんのりとした体温。
「でも、暑くても寒くても。あなたがここにいるって、安心するのよ。……モナカ」
その声は、届いているのかいないのか。
けれどモナカは、しっぽをもう一度、ミタマのほうにぴとっと押しつけた。
「……もしかして聞こえてるのかしら。ずるいわね、寝ながら返事なんて」
ミタマは小さく笑って、モナカの寝顔に視線を落とした。
蝉の声、風鈴の音、かすかに香る氷蜜の残り香。
それらすべてが、まるで優しい子守唄のように、ふたりの午後を包み込んでいた。
陽が少しずつ傾きはじめ、縁側の木の影が畳の上へと伸びてきた。
ミタマはそっと立ち上がると、冷蔵庫からあんみつの器を取り出す。
白玉と寒天、赤えんどうに黒蜜をかけて、小さな涼を盆にのせて持ち帰ってきた。
「……さて、そろそろ起きる時間かしら」
ミタマが団扇でやさしく風を送ると、モナカのしっぽがぴくりと揺れた。
「……ん〜……なんか……甘い匂い……っ」
まるで犬のように鼻をひくひくさせたあと、モナカはぱちりと目を開けた。
「ミタマ! それ……あんみつ!? ご褒美!? まさかのごほうびタイム!?」
「寝言の“おやつもういっこ”があまりにも必死だったから、ね」
「モナカの執念、届いた……!」
しっぽをぶんぶんと振りながら、モナカはあんみつにかじりつく勢いでかぶりつく。が、当然スプーンが必要で、慌てて持ち直すその姿に、ミタマはくすくすと笑う。
「ん〜〜〜〜っ♡ ひんやり〜♡ しあわせ〜♡」
「……まったく、食べてるときだけは本当に静かね」
ふたりは並んで座りながら、縁側での小さなスイーツ時間を過ごす。
蝉の声は少しずつ静まり、代わりに夕方の風が草を鳴らし始めていた。
「ミタマも食べなよ〜、はい、あーんっ」
「遠慮しておくわ。でも、その気持ちは受け取っておく」
「えー、ミタマのあーん見たかったのに〜」
「そういうのは寝言で言いなさい」
再び笑い合うふたりの背中に、ゆっくりと夏の陽が落ちていく。
空には、大きな入道雲がぽっかりと浮かんでいた。
「……あ、ミタマ、空が四角いよ。あれ、さっきまでなかったのに」
「それ、雲の切れ間よ」
「うーん……でも、あんな形してたら、夢に出てきそう」
スプーンを口にくわえたまま、モナカはごろんともう一度横になった。
ちゃぶ台の脇、縁側の板の上、今度は座布団を枕にして。
「また丸くなってるのね」
「だってモナカ、まるくなるの得意なんだよ〜。でもさ……ミタマもたまには、まるまってみるといいよ?」
「……どういう意味?」
「なんかね、安心するんだよ。ふわっとして、落ち着くの」
モナカはミタマの方を見ず、空を見上げながら言った。
ふとしたその声に、ミタマは少しだけ視線を落とす。
ふたりのしっぽが、自然と重なっていた。
「……もう少しだけ。涼しい風が吹くまで、こうしていましょうか」
「賛成〜〜〜」
風鈴が、からんと涼しく鳴った。
夏の午後の、ささやかなやすらぎが、縁側いっぱいに満ちていた。