奇襲『第一次・ゾウアザラシ作戦』
★第64話目
「良いか。これより我々は、乾坤一擲の奇襲作戦を開始する」
西側城門に集まった兵達を前に、チェイムは腕を組みながら静かながらも響く声を上げた。
その瞳は戦姫の異名宜しく、闘い前の昂揚感と相俟って赤く爛々と輝いている。
「今作戦の目的はただ一つ、敵部隊の撹乱にある。敵の兵士に疑心暗鬼を植え付け、混乱させることが狙いだ。敵部隊に潜入中のパーソンズ親衛隊長から合図があり次第、ここから撃って出る。ウィンウッド」
「ハッ」
傍らに控えていた次席将棋が背筋を伸ばして敬礼した。
「貴官は残留部隊を率いて北と東の敵の動向を監視しろ。動きがあり次第、速やかに連絡するように」
「心得ております」
と、ウィンウッドがニヤリと笑みを返した瞬間だった。
いきなり城外から喚声が上がった。
鉄のぶつかり合う、甲高い金属音も響いてくる。
「は、早いっぺよッ!?」
鎧を着込んだミトナットウが叫んだ。
「作戦開始は陽が完全に落ちてからの筈だっぺッ!!」
「……ッ」
チェイムは真っ赤に染まってる西の空を見て軽く舌打ちするが、既に選択の余地は無かった。
想定外に早く、賽は投げられてしまったのだ。
「仕方ない。予定時刻より大幅に早いが……親衛隊長を見殺しにする訳にも行かぬ。全軍、これより奇襲作戦を開始する!!」
★
パーソンズ親衛隊長にとって、それは全く予想外の、突発的な出来事だった。
事は、彼の知らない所から始まった。
帝国第3軍・第26槍歩兵隊の隊長は、一つの特異な才能を持っていた。
それは、部下から嫌われるというものだ。
彼は貴族とは名ばかりの家に生まれ、絶えずその事が劣等感になっていた。
宮廷社会では出自ゆえか孤立し、またこれと言った才もないので、軍の中でも孤立していた。
そしてその鬱憤のはけ口が、部下である平民の兵士達だったのだ。
彼はチェイムの演説を見て、周りに聞こえる様に大きな声で、
「フン。出自卑しい嫌われ者の皇女が、帝位を継げぬから逃げ出しであろうに……謀反者の王位を継ぐとはな。どんな手を使ったかは知らんが、どうせ股でも開いたんだろうよ」
彼は知らなかった。
部下である兵士達の間では、チェイムは皇族でありながら戦場においては常に先頭に立って闘う、戦女神の化身として圧倒的な人気を誇っていると言う事。
憧憬の対象である、と言う事。
そしてその部下達の何人かは、かつてチェイムの下で共に戦った者達、と言う事。
一刻も経ずして、彼の背中に短い短剣が突き刺さっていた。
その些細な事件から、憲兵の介入と無用の流血を経て、一部の兵士が「チェイム殿下にお味方を」と叫んで上官を刺すまで、さほど時間は掛らなかった。
「パーソンズ隊長。敵の一部で何やら動きがありますが……」
部下の一人であるデイブこと元花屋の親父が、そっと耳打ちしてきた。
「どうします?千載一遇のチャンスですぞ?」
「……」
「……隊長?」
「早過ぎたな」
パーソンズはそう言って、軽く自分の頬を叩いた。
「かと言って……この騒ぎを見過ごすワケにもいかんだろう」
「それでは……」
「全員に伝えろ。派手に騒ぎを起こせとな」
★
それは当初、一部の跳ねっ返りな兵士達の抵抗に過ぎなかった。
だが、潜入していたパーソンズの部下達が口々に、
「我らチェイム女王にお味方致す!!」
と叫びながら剣を振るうにつれ、それまで半ば傍観していた兵士達の中から、我も我もと参戦する者が増え出した。
そしてそれらは次第に集団となり、次々と防御陣を破壊していく。
その数は、パーソンズの部下を除いておよそ500人。
この西側城壁に陣取っていた敵部隊の、10分の1が瞬く間に叛旗を翻したのだ。
チェイムの演説は、意外なほど大きな効果をもたらしたと言えよう。
しかし、所詮は多勢に無勢だった。
一時の混乱を鎮めた帝国軍は、突如起こった反乱を鎮圧するべく、瞬く間に陣形を組替え応戦態勢を取った。
この辺りの熟練した軍行動は、さすがに実戦経験豊かな帝国の常勝軍団と言えよう。
が、ここで戦局は再び混迷する。
反乱鎮圧の為に一部の隊を南側に向けた瞬間を狙ってか、いきなり西側城門が開いたかと思うと、パインフルールド軍が出撃してきたのだ。
それは全くの奇襲であった。
パインフィールド軍の戦力を鑑みるに、まさか城を打って出るとは思わなかったのだ。
しかもその兵力は二千を超えており、この地に陣を張る帝国軍分隊の約半数に相当した大部隊だった。
予想外の突撃に、しかも横槍を突き刺すような攻撃陣形。
それらに加えて、パインフィールド軍の意気を上げ、逆に帝国兵士の士気を下げたのは、チェイムの一騎駆けであった。
真っ白な駿馬に跨り、黄金の鎧を身に纏った彼女の勇姿に、味方を勇を奮い立たせ、敵は畏怖した。
赤いマントに漆黒の髪をなびかせ、巨大な剣を掲げる彼女の前に、敵兵は混乱に拍車を掛けた。
元々帝国人民は、生まれた時から徹底的に皇族に対しての忠節を叩き込まれた。
その為であろうか。
例え敵とは言え、相手は暦とした皇女だ。
しかも戦姫として、帝国人民の中で圧倒的人気を誇る美貌の乙女だ。
殆どの者は、彼女の姿を見るやそのまま潰走したが、ある者は剣を捨てその場に跪き、投降までしてしまった。
もちろん中には、果敢にも彼女に向かって攻撃を仕掛ける者達もいたが、それは無謀でしかなかった。
彼女は勇者の称号を持つ戦士なのだ。
その剣が光ると同時に、哀れ彼女に挑んだ兵士達は、そのまま永遠に歳を取らなくなってしまった。
そんな彼女が率いるパインフィールド軍は、女王親征と言う事もあってか士気は多いに高まり、破竹の勢いで次々と敵陣を崩して行く。
その勢いは津波の如く留まる事を全く知らず、僅か数刻の後には、敵陣の中央を突破してしまっていた。
そしてそのままの速度を維持し、時計方向に転進すると、今度は防御の薄い敵の側面を再び突いた。
敵大部隊を分断してからの各個撃破戦法である。
この辺りの駆け引きは、さすがに戦慣れしたチェイムと言った所だろう。
だが彼女には、若さ故か些かの驕りがあった。
自分の力を過信し、相手を見縊ってしまったのだ。
敵も帝国の中ではそれと知られた軍団であり、分隊を指揮する司令官もかなりの実戦経験を持つ軍人だ。
チェイムの意図を読むや、混乱した各部隊を速やかに纏めるや陣形を再編し、機動力を以って突出したパインフィールド軍を凹陣で逆に包囲してしまった。
もちろん、簡単にはいかなかった。
敵の勢い止めつつ陣を再編する為、かなりの被害が出てしまった。
だが戦力に余裕がある為、多少の犠牲は出しても直ぐに近くの味方が来ると言う考えが、功を奏したのだ。
チェイムは二つの事を見過ごしていた。
それはパインフィールド軍自体が実戦経験に乏しく、急な陣の組み換え等が出来ない事。
兵士の質、装備や錬度も含めて全てに於いて帝国兵に比べて格段に見劣りしていると言う事。
包囲されたパインフィールド兵は浮き足立った。
偏に潰走しなかったのは、チェイムの指揮の巧みさと言っても良かっただろう。
だが、それも時間の問題であった。
少数兵力の利点は、その機動性にこそあるのだが、包囲され進軍を停められてしまった以上、戦局はそのまま数の論理が支配した。
そう、多い方が勝つ、と言う単純な事だ。
しかもパインフィールド軍は、敵にほぼ四方を固められていた。
チェイムの指揮は、拙い兵の動きもあってか、既に敵方の司令官に看破されており、彼女は知らず内に死地に飛び込んでいたのだ。
★
「か、囲まれたーーーッ!?」
兵士達が口々に叫んだ。
「逃げろッ!!」
「こ、殺されるッ!?」
「うろたえるなッ!!」
チェイムは剣を振り回し、慌てふためく自軍を諌めた。
「陣形を密にして敵に備えろ。重騎兵を周りに配置し、方円陣を敷け!!」
矢継ぎ早に命令を出すが、その内心は思いっきり臍を噛んでいた。
……迂闊だったッ!!
もっと混乱させられると欲を掻いたのが間違いだった。
兵の能力を考えれば、もっと早く城に戻っていれば……
「ゆ、勇者殿!!ここは一旦引くしかないっぺよ!!」
ミトナットウが馬を寄せながら叫んだ。
身に付けた鎧はまるで燃え盛る炎を描いた抽象画のように、点々とした返り血が無数にこびり付いている。
「被害は出るけど、ここは一点突破で城に戻るんだっぺ!!」
「今引けば敵に付け入られる。一気に壊滅だ」
チェイムは簡潔に言う。
「逆に今こそ攻める好機。攻めてこそ、生き延びる道が見つかるものだ」
「せ、攻めるって……」
「……全軍、我に続けッ!!」
チェイムは剣を大きく天に翳した。
「数が少ない北の部隊を突破し、そのまま反時計回りに敵の本隊を突く!!遅れれば即ち死あるのみだッ!!」
「む、無茶だっぺッ!?」
「言うなッ!!城へ戻る道は既に敵が縦深陣を敷き始めている。もはや突破は無理だ。このままで何れ全滅するだけ……ならばせめて乱戦に持ち込み、機を見て城への突破口を作る。……行くぞッ!!」
チェイムは馬腹を蹴ると、北へ向きを変えていきなり駆け出した。
決死の一騎駆けだ。
味方を突っ切り単騎敵陣に突っ込むや、思う様に剣を振るう。
その姿は戦姫の異名通り、戦う為に生まれてきた華麗なる闘姫そのものだった。
敵の兵達は瞬く間に混乱した。
その間隙を突いて、チェイムの跡を追っていた後続部隊が乱入する。
更にその後を、敵の包囲部隊が追いつく。
大混戦であった。
この戦域に於いて、兵数はほぼ互角だ。
パインフィールド軍は反乱した者達を吸収し、その兵力は未だに二千を維持していた。
一方敵である西側城壁に陣取る帝国軍分隊は、緒戦でかなりの痛手を被り、その兵数は実質三千を切っていた。
しかもそれらを四隊に分け、パインフィールド軍を囲んだ結果、個々の部隊の数は千にも満たない数だ。
だが、俯瞰して見れば、戦局としては圧倒的にチェイム達が不利だった。
西側城壁の敵部隊を押しているとは言え、南北の城壁に陣取っていた敵部隊が既に至近距離まで迫って来ていた。
更に後方に控えていた敵本陣も、ゆっくりと動き出している。
それら加えて、兵種もチェイム達には不利だった。
重騎兵中心の敵部隊に対し、チェイム達は歩兵中心の部隊だった。
しかも気力は充分でも、徒歩で戦う兵士達の肉体は緒戦からの戦闘で既にかなりの疲労が蓄積されている。
「……チッ」
チェイムは舌打ちした。
彼女は既に幾つかの部隊を突破していた。
城へはもう直ぐだ。
だが、後が続かない。
敵兵に囲まれ、その数が少しづつ討ち減らされて行く。
「この程度の敵に何を手間取ってるかーーーッ!!」
馬首を翻し、チェイムは再び敵中へと突っ込んだ。
そして敵陣を切り裂く様に、縦横無尽に馬を駆り、その陣形を崩して行く。
一騎当千とは、まさにチェイムの為にあるような言葉だった。
だがそれ故か、敵軍にとって彼女こそが最大の脅威であり、また最大の弱点だと気付いた。
例え皇族の姫様であろうと、彼女を討てばこの乱戦にケリをつけられる。
いや、それ以上の名誉があるのだ。
戦場を駆け巡るチェイムを狙って、無数の矢が放たれる。
彼女は防御魔法でそれを塞ぐが、今度はそこへ騎兵部隊の突入。
数騎が一体となって彼女に挑んだ。
「来るかッ!!」
チェイムは長い髪を振り乱し叫んだ。
そして手にした剣を大きく翳し、敵の突撃に備える。
それが失敗だった。
注意が敵騎兵に向けられた途端、再び無数の矢が彼女を襲った。
風を切り裂く音に彼女は敏感に反応し、剣で飛来する幾本もの矢を叩き落すが、その内の一本が利き腕を貫いた。
「くッ…」
短く呻くと同時に、彼女の腕から剣が滑り落ちる。
それと同時に騎兵が突っ込んできた。
鉈のような剣を大きく掲げ、そのまま袈裟懸けに振り下ろす。
「チッ!!」
短く舌打ちし、彼女は攻撃を躱そうとするが、跨る白馬は哀れ首から上が跳ね飛ばされてしまった。
「しまった!?」
ドウッと音を立て、大地に突っ込む様に倒れる駿馬。
投げ出された彼女は受身を取りながら地面を転がったのだった。
★
チェイムは受身を取りながら、素早く立ち上がった。
「陛下ーーーッ!?」
遠くから兵士達の声が聞こえる。
今の彼女は無手でしかも徒歩だ。
格好の獲物と言っても良いだろう。
漆黒の鎧を身に纏った騎士が馬を巧みに駆りながら近付くと、彼女目掛けて剣を振り下ろした。
――ビュンッ!!
風を切り裂く刃音。
チェイムは咄嗟にその場に伏せ、その斬激を躱すと、腰に下げていた小さなナイフを投げつけた。
「ガハッ!?」
そしてそれは見事に、騎士の眼球を貫いた。
だが、これでもう彼女は完璧に丸腰だ。
いや、正確にはまだ武器はあった。
背中に差している日本刀だ。
洸一の使っていた魔法剣だ。
だがこれは、彼女には使う事が出来ない。
洸一を身近で感じる為、後は万が一にも無くしたりしない為に、肌身離さず持ち歩いているのだ。
私の剣はッ!?
チェイムは辺りを見渡した。
……ど、何処にいった?
素早く辺りを見渡す。
戦場の彼方此方では、砂塵を巻き上げ怒声が飛び交い、両軍が入り乱れて闘っていた。
……あ!?あった!!
チェイムの愛剣、何か妙に長ったらしい名前だったので、単に勇者の剣と呼んでいるその業物は、草原に聳え立つ塔の様に、半ば直立に地面に突き刺さっていた。
薄暗くなり始めた戦場を照らす様に、その剣だけが神秘的な輝きを放っている。
チェイムは駆け足でその剣を取りに行こうとするが、行く手を数騎の敵兵が阻んだ。
彼女の周りを疾駆し、次々と槍を突き出してくる。
「チッ…」
辛うじて彼女は躱すが、頭上からの攻撃は執拗を極めた。
しかも此方から攻撃しようにも、武器が全くない上に敵は騎乗だ。
もちろん、攻撃魔法と言う手もある。
が、チェイムは元々、魔法はあまり得意ではない。
しかも現在、魔力の殆どを近接戦闘用のバフに回している状態だ。
馬から投げ出されても傷一つ付かなかったその為でもある。
ど、どうする?
魔法を解いて攻撃魔法を……
ダメだ。リスクが大き過ぎる。
この場の敵を屠っても、次に囲まれたらアウトだ。
敵はチェイムを取り囲みながら、まるで甚振るような攻撃を仕掛けてきた。
遠い間合いから、槍を突き出してはすぐさま距離を取るヒットアンドアウェイ戦法。
敵もチェイムの力量を分かっている故、そう簡単には近寄らないのだ。
お、おのれぇ……私を嬲るつもりかッ!!
チェイムの両眼がカッと熱くなる。
だが、それだけだった。
今は出来るだけ敵の攻撃を躱し、あの剣の元へ。
彼女がチラリと彼方を伺うと、更に数騎の敵兵が近付いてくる所だった。
しかもその内の一騎は何を思ったのか、途中でコースを変えると、大地に突き刺さっている彼女の剣を引き抜いたのだ。
く……間に合わなかったか……
ギリッと音を立てるほどチェイムは歯軋りした。
だけどもう、どうしようもなかった。
既に彼女の周りには十騎近くの敵兵が、取り囲む様にして馬を駆っていた。
……ふんッ。もはやこれまでか……
チェイムは微苦笑を溢す。
洸一の居ない世界に、何ら未練は無かった。
あの黒猫は死んでいないと言うが、とてもそうは思えない。
何しろ遺体があるのだ。
ふふ……死んだら、どうなるのかな?
元々、この世界は彼女が本来住むべき世界とは違うのだ。
二荒真咲と言う現代人からチェイムと言う人間に生まれ変わり、ただ、何も知り得ぬまま時を刻んできただけなのだ。
もう、皇女だのなんだのを演じるのは疲れた……
チェイムはフゥ~と軽い溜息を吐き、妙にサッパリした表情で、周りを疾駆する敵兵を眺めた。
生まれ変わったら、また洸一と出会えると良いな。
出来れば、元の世界のような場所で……
その時、突然その輪の一つが崩れた。
一騎の兵士が、彼女目掛けて突っ込んで来たのだ。
その手には、彼女の剣が握られている。
む!?これは……チャンスか?
あの剣を奪えれば……あわよくば馬も……
だがその敵兵士はチェイムに攻撃を仕掛けて来なかった。
彼女の近くまで駆け寄ると急速に馬の歩を緩め、そして呟くように言ったのだ。
「……ったく、俺様が戻るまで城に篭ってりゃ良いものを……このお転婆姫め」




