#58
「………なぁ…月よ、月よ…私は…まだ生きているのか?
これは生きていると言えるのか?
何の為に…生きているのだ。」
何故…何処から…その言葉はやって来たのだろうか?
ポカンと空に取り残されても尚、人々が道に迷う事の無いようにと照らし続ける事を運命付けられた月とシンクロしていたのかも知れない。
ポツリと自虐的な心を口に出すと…鏡月は、暫くの間…リンの肌の温もりを黙って、背中で静かに感じていた。
嵐の中で輝く時を待ち続ける月のように、怒りも悲しみも…おとなしくなるのを待ち続けていた。
『少しは………落ち着かれましたか?』
リンが頬をすりよせるくらいまで顔を寄せて…背中越しに鏡月の顔を覗き込むようにして耳元で溜め息混じりで甘く囁いてきた。
「ああ、少しは………な。
兄上は未来を……と託された。
しかし…復讐に生きて、私の心の霧を晴らすまでは未来など…必要無いさ。
……………………………ッ
フフ、ハハハ……ハハハハハハ………ッ」
自嘲気味に笑い、鬱陶しそうにリンの腕を振りほどくと地面に仰向けにバタリと倒れた。
「…………………………」
「………………………!?」
名案を思い付いたかのように鏡月は独り言ちた。
「………墓を造らなくちゃいけないな。」
鏡月は…ムクリと身体を起こすと亡者の如き足取りで頼り無げに歩き出して、どこぞかへ向かうのであった。
「……美月、父上、母上、兄上……
妖魔は…私が倒しました。
ッ…もう…大丈夫です。」
闇に消え入るような震える声で…漆黒なる虚無へ問いかけるが案の定、答える者など無く…なしのつぶてであった。
鏡月は家族の死を拒否するように忘れてしまったのか…それとも気が狂ってしまったのか…危なげな儚さと脆さを抱えていた。
リンは…鏡月の心が音を立てて崩壊していくのと同時に闇夜に溶けるように消えてしまったのだった。
『鏡月…さ…ま……御心を…強く…保って…くださいませ……私……は…』
しかし…鏡月にはリンの痛切な主人を想う心からの声さえ届かなかった。
「ハハハ……私は……ハハハッ……何を…言ってるんだ、そうだ、そうだよッ。
アハ…アハハハハッ……クッ………ゥ…ッ!
私…が…守れ…ない…から…私が、私が………私がァァァァァァ…ッ!」
鏡月は心を切り裂くようなじくじたる思いを魂に焼き付けていた。
それは涙を流しながら嘲笑し、堪え切れぬ感情を噛み締めるように食い縛った唇には歯が食い込み、鮮血がジワリと滲んで来ていたのであった。
「私が殺したのも同然だァァァァァ…ッ!」
叫びながら…フラフラと辿り着いた場所は兄と鏡月だけの秘密の場所だった。
月が大きく…そして手を伸ばせば掴み取れそうなくらいに間近に見える場所だった。
月明かりのみだと言うのにも関わらず…とても鮮明に鏡月の姿を照らし出すのであった。
鏡月は血に塗れた手をじっと見つめていた。
その指先に感じた罪悪感…到底、断罪など出来そうにもない。
やり場の無い迷いから発狂せずにはいられなくなる程の痛みを伴うのも無理からぬものであろう。
その痛みを持たらすものの正体は…兄を貫き、首を刈り取った時の感覚……感触…を思い起こしていたのであった。
指の間からサラサラと溢れ落ちていく、一握の砂の如き感覚も…
全て…全て…全てが魂に刻み込まれ、彫られていくのであった。
それは…魂の幻肢痛と呼ぶに相応しい痛みだった。
永遠に癒える事の無い痛みだった。
「私は…いつも月を見上げては、心に溜まった黒い塊を吐き出していた。」
きっと…いつもみたいに吐き出してしまえれば楽なのに……
「私は…善などでは無い、妖魔のように邪悪でおぞましい化け物となるかも知れない。」
そうはなりたくは無い…誰かに助けて欲しいんだ……
「憎い…憎くて…憎くて、堪らない。
何よりも自分自身が…そして、この不思議な能力が……」
そんな事を言わせないでくれ…リンを失いたくは無い。
「アハ…ハハハッ!
そうだ…この憎くて堪らない能力を使い、ソウルズとか言う能力者と念神体を全て葬ってやる。」
彼の心は…ぐちゃぐちゃとして不安定で混沌としていた。
誰に語りかけるでもなく、次から…次へと呟き続ける鏡月が月に向かって狂気に満ちた咆哮をあげる。
「ウァァァァ………ッ!
殺してやる…殺してやる…殺してやる…殺してやる…殺してやる………殺してやる…殺す、殺さなきゃ…全てを、全てだ!!
能力者の死体の山の頂こそが私の唯一、安らげる死に場所だ。
ハハハッ!
何もかも消してしまえば良いのだッ!」
鏡月の身体からは漆黒のオーラが渦巻いていた。
それは闇よりも濃密な深淵を覗き込ませられた時の震えあがる程の恐怖心、鏡月から放たれる殺気混じりのオーラには果てしなき冷酷さと復讐に生きる事を運命付けさせていた。
鏡月の瞳を覗いた者、全てを凍り付かせる程の使命感にも酷似した何かをまざまざと感じさせてしまう。
夜空に浮かび、真円を描く月は別の世界へ繋がってでもいるかのように奇跡にも似た美しい紫に輝き続けるだけであった。
その様子を鏡月から…それほど遠くない位置にある背の高い大樹の枝へ腰掛けながら…じっと気配を殺して見つめている影があった。
「アハハ…弱虫で泣き虫のバカなウラヌスは死んじゃったか、キャハハハハッ!
御父様の言う事を聞いていれば…もっと強くなれたのに、あんなのがボクの弟だなんて嫌だよね。
アハハ…フォボスとディモスも、そう思うだろ。
フフフ…まぁいいか。
ソウルシードは、また今度にしようかな?
あんな状態の悪いのなんて意味無いし。
アハハ…それに、それにさ御父様が喜びそうな玩具も手に入った事だしさ。」
「はしゃぎ過ぎだ…感付かれるぞ!」
もうひとつ別の影が声を潜めながら厳しくたしなめた。
「チッ…!
確かにウラヌスのソウルシードが破壊されたのは残念だが、ネオソウルズの戦士に値しそうな玩具を見つけたからな…
さっさと帰ろうか…御父様の計画の妨げになる。
あのイカれた糞ブタ野郎に一言あるからな。
別動隊も全滅したらしいがソレもヤツの差し金だろうしな。」
怪しい影は…スルリとたちまち消え失せていたのであった。
彼らは一体、何者なのであろうか?
そんな事など露知らず、鏡月は一番綺麗に月夜が見える場所に穴を掘っていたのであった。
何かに取り憑かれたように一心不乱に素手の両手で指先に力を込めて…懸命に地面の土を掻き分けていく。
……………………………。
それから夜明けまでの間、否、カーテンのようにスルスルと夜が明けてミルク色の明るい笑顔の空が頬を朱に染めている頃合いまで、疲れなど感じてはいないかのように、いまだ一心不乱に墓穴を掘り起こしていたのであった。
無意識ながら指先にオーラを集中させているとは言えども鏡月の指には…すでに爪という爪が無くなっていた。
正しく言うのなら…時たま当たる固い岩盤や地層に阻まれる度に…爪は、ことごとく剥がれていったのであった。
もはや…肉体的な痛みなどは感じてはいない。
そうして…家族の墓標を造り上げると上半身だけの母の死体を抱きかかえて来たのだった。
見るも無惨な母の死体にキスをして別れを告げてやると………
次に…砂と化した兄の身体の一部と父から貰ったカミソリの刃…美月が弓道の大会で優勝出来るように…とくれた御守りを墓に埋葬した。
最後に鏡月は自らの美しい艶のある長い髪をザクリと刈り取ると髪留めの布地と共に手向けてやったのだった。
「愛おしき魂が…せめて少しだけだとしても、私の気休めに過ぎずとも安らかに眠りについて……
今は…こんな風に祈る事しか出来ない私を許して欲しい。」
痛々しく爪の剥がれ落ちた事など…さして気にも止めずに、再び、血塗れの掌をじっと見つめていた。
墓を前に…何を想うのだろうか?
疲労困憊の身体が意識を少しづつ奪っていく。
パタリと……その場に倒れる鏡月。
その拙い墓をギュウッと抱き締めるようにして、鏡月の魂は密やかに眠りについたのであった。
鏡月の左肩の麒麟の入れ墨は妖魔につけられた傷口とは別に涙を流していた。
黒ずんだ血の涙であった。
鏡月は意識を失ってしまう寸前に…こう想う。
次に…目覚めた時から、復讐に生きる悪鬼となる事を消えかけた紫月と皆が眠る墓標に誓うのであった。
それは春から夏へと移ろい行く、ほんの少し肌寒い朝の事であった。
『鏡月様…あなたは罪人などではありませんよ!』
『そなたが…この程度の器の男ならば、真の覚醒には永遠に……』
「ん…キョ~兄様……。」
遠くの空から声が聞こえた気がする。




