最終話・祝福
遅くなりました
文化祭の喧騒が嘘のように遠のいた、放課後の帰り道。
夕暮れ時の街は、燃えるような茜色に染まっていた。長い影が二つ、アスファルトの上に並んで伸びている。
私の少し前を歩くのは、午前中の袴姿からいつもの制服に着替えた宵だ。
相変わらず背筋を真っ直ぐに伸ばして歩くその後ろ姿を、私は一歩遅れて追いかけていた。
ステージを降りた後の記憶は、お祭りの余韻のせいでどこかフワフワとしていて現実味がなかった。
クラスメイトたちからの手放しの絶賛、鳴り止まない拍手、そして片付けのバタバタ。けれど、胸の奥に残ったあの心地よい熱さだけは、今も消えずに残っている。
「……ねえ、宵」
ぽつりと、私はその背中に声をかけた。
「何だ、透歌」
宵が足を止め、振り返る。夕日の光を浴びて、彼の綺麗な黒髪がほんのりと琥珀色に透けていた。
「私のライブ、どうだった?」
我ながら、少し恥ずかしい質問だとは思った。
けれど、どうしても本人の口から直接聞いておきたかったのだ。宵は少しだけ目を見張り、それからいつものように、真面目な顔で答えた。
「素晴らしかった。……いや、そんな一言では足りないな。お前がステージの真ん中で笑っている姿を見た時、胸が締め付けられるほど、綺麗だと思った」
「……なっ」
あまりにもストレートな賛辞に、私の顔が一気に赤くなる。
「ちょっと、そういう恥ずかしいことを真顔で言わないでよ!」
「事実を言ったまでだ。前世のお前は、いつも誰かのために命を削って笑っていた。だが今日は、お前自身が心から楽しんで笑っていた。それが、俺は何よりも嬉しかったんだ」
宵の言葉は、私の心の柔らかい場所に、じんわりと温かく染み込んでいった。本当に、この人はずるい。私が一番欲しい言葉を、いつでも迷わずにくれる。
「……ありがとう。宵がいてくれたから、私、逃げずに歌えたのよ」
私が照れ隠しに俯くと、宵が小さく笑う気配がした。
「透歌。これを受け取ってほしい」
「え?」
顔を上げると、宵の手のひらの上に、小さなラッピング袋が乗っていた。
透き通る袋の隙間から見えたのは、文化祭の模擬店で売られていた手作りのビーズブレスレットだった。浅黄色と、夜空色。
「これ、文化祭の時に買ったの?」
「ああ。1年3組のアクセサリー店で見かけてな。この色を見た瞬間、お前に似合うのはこれしかないと思った。本当はライブの前に渡したかったのだが、タイミングを逃してしまった」
宵は袋からブレスレットを取り出すと、
「手を出して」
と静かに言った。言われるがままに左手を差し出すと、彼の大きくて、少し節くれだった男らしい手が、私の手首にそっと触れた。指先から伝わる彼の体温に、心臓がトクンと跳ねる。
白い手首に、浅黄色と夜空色のビレスレットが綺麗に収まった。
「……可愛い。本当に、ありがとう」
私が嬉しくてブレスレットを撫でていると、宵が私の手を握ったまま、じっと私の目を見つめてきた。周囲の空気が、ふっと止まったような気がした。
背景の空は、さらに深いオレンジ色から、夜の帳が降りる手前の美しいグラデーションへと移り変わっていく。
そのドラマチックな夕焼けを背に受けて、宵の瞳が、千年前のあの丘で見せた時と同じ、深い光を宿していた。
「透歌」
彼の声が、いつもより少しだけ低く、震えていた。
「世界が変わり、運命が変わった今なら、俺のすべてを賭けて透歌を幸せにできる」
彼は一呼吸置き、私の目をまっすぐに見つめ直した。
「……ずっと、隣にいてくれませんか」
夕焼けの光の中で、彼のその言葉が、私の鼓動と重なった。
「ずっと隣にいてくれませんか」――それは、今世での、そしてこれからの未来のすべてを共にするという、彼からの最上級の約束だった。
私の視界が、じわりと涙で滲んでいく。嬉しくて、愛おしくて、胸がいっぱいだった。
「……うん。もちろんよ、宵。私を世界一のヒロインにしてくれたのは、あなたなんだから」
私は溢れそうになる涙を堪えて、満面の笑顔で頷いた。ぎゅっと、握り返した手の温もり。千年の孤独の果てに、私たちはようやく、誰にも邪魔されない本物の幸福へと、その一歩を踏み出したのだった。
――それから、十年の月日が流れた。
抜けるような青空が広がる、ある気品ある教会の控室。鏡の中に映る私は、純白のウェディングドレスに身を包んでいた。
胸元には、あの日、夕焼けの帰り道に宵から貰った、浅黄色と夜空色のブレスレットが、お守りのように大切に飾られている。
「うわぁ……! 透歌、信じられないくらい綺麗!」
扉を開けて入ってきたのは、華やかなパーティードレスを着た桜音だった。彼女の目には、すでに感動の涙が浮かんでいる。
「ちょっと、桜音、本番前に泣かないでよ。私までメイクが崩れちゃうじゃない」
「だって、あの麗しのツンデレ姫が、ついに結婚するんだよ!? 泣くに決まってるじゃん!」
後ろからは、カメラを構えた藍瑠と、ハンカチで目元を押さえた未遥も顔を出した。
「本当にビジュアルが爆発してる。あいつ、生きて戻れるかな」
「藍瑠、縁起でもないこと言わないの。でも、本当に素敵よ、透歌」
みんなの変わらない笑顔に、私の緊張はふっと解けていった。あの文化祭のステージから10年。私たちはたくさんの思い出を積み重ね、そして今日、新しい扉を開く。
「新婦様、お時間の三分前です。挙式会場のドアの前へご移動をお願いします」
スタッフの声に促され、私はゆっくりと立ち上がった。長いトレーンを引きながら、一歩一歩、教会の重厚な扉の前へと進む。
そこには、一足先に待っている彼の姿があった。黒いタキシードを着こなした宵は、相変わらず背筋を真っ直ぐに伸ばして、凛とした佇まいで立っていた。
私の姿を見た瞬間、彼の切れ長の瞳が優しく揺れる。
「待たせたな、透歌」
「ううん。……すごく、格好いいわよ、宵」
「お前には敵わない。世界で一番、美しい花嫁だ」
宵はそう言って、私に腕を差し出した。私はその腕に、そっと自分の手を絡める。10年前の夕焼けの下で交わした約束が、今、最高の形となって目の前にあった。
正面の、大きなステンドグラスから差し込む光が、扉の隙間から漏れ聞こえるパイプオルガンの音色とともに、私たちの足元を照らしている。
この扉の向こうには、私たちを祝福してくれる大切な人たちが待っている。スタッフが、静かに扉の取っ手に手をかけた。
「……準備はいいか、透歌」
宵が、私の隣で優しく微笑む。
「ええ。もう、どこへだって行けるわ」
私は宵の腕にさらに力を込め、前を向いた。千年の夜を飛び越えて、私たちはついに、終わらない幸福の物語を始めるのだ。
ゆっくりと、目の前の重い扉が開き始める。眩い光が、私たちの未来を祝福するように差し込んできた。
これにて
『【連載版】断罪された悪役令嬢ですが無能な王子と姫に実務を丸投げしてきたので私が去った後の国が実質詰んでます。~隣にいる有能な従者と領地改革して幸せになるので今更謝られても困ります~』
完結です!とてもとても長い間お世話になりました。最近はnoteのほうで創作大賞2026に応募しておりどうしても時間が取れず……
長い間お待たせしてしまってすみません。
『他の作品も気になる』『この作者を応援したい』と思っていただけましたら☆やブクマをお願いします!
本当にありがとうございました!




