ずっと前から月は綺麗
花火の残光が、夜空の奥へと溶けていく。
弾けた光の余韻がまだ胸に残っているのに、
広場にはもう次の音が流れ始めていた。
太鼓の、やわらかな拍。笛の、細く澄んだ旋律。
人々が自然と円を描いていく。
手と手を取り、笑いながら、歩幅を合わせる。
北の踊りは、競わない。誰かを際立たせるためのものでもない。
ただ、同じ円の中で呼吸を揃えるための踊り。
透歌は、その輪の外に立っていた。
皆の笑顔を見つめながら胸の奥に広がるあたたかさを、そっと抱きしめる。
(守れている)
その実感は、誇りよりも静かで祈りに近い。
「踊らないのか」
背後から、低く落ちる声。
月明かりに照らされた宵の横顔は、昼間よりも柔らかく見えた。
「私は見ている方が好きなの」
そう言ったのに。宵はほんのわずかに眉を下げる。
「見ているだけじゃ、足りないだろ」
その言葉は、責める響きを持たない。ただ、確信に近い。透歌の胸が、ひとつ跳ねた。
「主役が輪に入らない祭りは、締まらない」
「主役なんて——」
「俺にとっては、だ」
視線が、真っ直ぐに落ちてくる。
逃げ場はない。けれど、逃げたいとは思わなかった。
宵の手が差し出される。大きくて、温かくて、迷いがない。透歌は一瞬だけためらいそれからそっと指先を重ねた。
その瞬間。
胸の奥で、何かが溢れた。透明だった輪郭が描かれていくような心地。
輪の中へ。
音楽に合わせて、足を運ぶ。浴衣の裾が揺れ帯がきゅっと背中を支える。
宵の手は強くない。けれど離れる気配もない。
「足、踏んだらどうするの」
小さく囁く。
「踏まれたら嬉しい」
真顔で返されて、透歌は吹き出した。
「意味がわからないわ」
笑い合う。その自然さが、どうしようもなく愛おしい。
やがて踊りは、ゆるやかな対舞へと変わる。
人々が少し距離を取り向かい合う形になる。
透歌と宵も、自然と正面に立った。
月が、ちょうど真上にある。白銀の光が、透歌の髪を淡く照らす。宵の視線が、静かに揺れた。
「……綺麗だ」
透歌は月を見上げる。
「今日はよく見えるわね」
「違う」
その一言で、呼吸が止まる。ゆっくりと、視線が絡む。宵の瞳には、夜の色と、それ以上にやわらかな何かが宿っていた。
胸の奥が、じわりと熱を帯びる。
(どうして、こんな顔をするの)
足を一歩。宵も一歩。距離が縮まる。
浴衣の袖が、宵の腕に触れる。ほんのかすかな摩擦なのにそこから火が広がるみたいだった。
「透歌」
名前を呼ばれる。低く、優しく。
「なに」
声が、少しだけ震えた。気持ちの距離と髪の香り。
「昨日より近い」
昨日——指先に落ちた口づけ。額に触れた温度。胸に預けた鼓動。思い出しただけで、頬が熱くなる。
「祭りのせいよ」
そう言っても、説得力はない。宵の指が、ほんの少し強くなる。
「祭りが終わったら?」
問いは静か。けれど逃げ道を残さない。透歌は、月を見上げた。逃げないと決めたんだ、この人の前では。
「終わらせない」
はっきりと言う。
宵の瞳が、わずかに揺れる。驚きと、安堵と、抑えきれない感情。
次の瞬間。
宵の手が、透歌の腰へと回る。強引ではない。けれど、確かに引き寄せる力。不意打ちに高鳴る鼓動が同じ気持ちを抱えている。
胸と胸のあいだにあと数センチの空間。音楽が最後の一拍を刻む。その静止の中で宵が囁く。
「来年も踊るか」
透歌は、迷わなかった。
「来年も再来年も、その先も。未来永劫──ね」
言葉にするたび、未来が形を持つ。宵の喉が、静かに鳴った。
透歌は微笑む。少し背伸びをして、宵の肩に額を預ける。ほんの一瞬だけ。
「月が綺麗ね」
その一言で宵の腕が、わずかに震えた。遠い遠い東の島国で伝えられる言葉。なんて素敵な訳しかたなんだろう。
「ずっと前から月は綺麗だろう」
守ると誓う強さと触れたものを壊さないための優しさの両方を抱えた腕。
透歌は、その温度を受け入れる。月は静かに見守る。
北の夜は、穏やかでやわらかい。
合理と論理の上に築かれたこの土地で。
けれど今二人のあいだにあるのは理屈ではなく。
ただどうしようもなく、確かな想いだった。




