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今はここに二人だけ

灯りを落とした部屋。


円卓に集まる五名。若手貴族、商会幹部、そして千隼。もはや公的権限はない。だが、人脈は残っている。


「北辰商会の流通網を精査した」


地図が広げられる。


・王都南門経由

・東港経由

・北街道直通


「三経路」


「ならば?」


千隼は指を置く。


「南門を塞ぐ」


「港で検査を強化」


「北街道には関税見直しを申請」


正面から潰せないなら遅らせる。止める。信用を削る。


王都市場。北辰商会の荷車が止められる。


「抜き打ち検査だ」


「規定に基づく」


蜂蜜樽が開封される。菓子が切られる。布が広げられる。結果は問題なし。だが販売は半日遅れる。


客は待つ。


「北の品、今日は遅いの?」


小さな不満が生まれる。


匿名の張り紙。


「北の蜂蜜は粗悪!!」


「寒冷地で育つ穀物は栄養が低い!」


噂が広がる。感情を煽る。これは千隼の得意分野だった。


王都の中規模商会へ圧力。


「北との専属契約を解消しろ」


「王都優先商会として税優遇を与える」


一部は揺れる。利益は魅力だ。


北方にて。


宵が報告を持ってくる。


「始まったな」


透歌は頷く。


「想定より早いや」


「どうする?」


透歌は即答する。


「第一段階は放置、第二段階は証明。第三段階は──逆利用」


宵が目を細める。


「詳しく聞こうか」


「まずは透明化。北辰商会は公告を」


・製造工程公開

・原材料公開

・品質検査記録の閲覧可能化


王都市場で実演販売。


桜音が自ら菓子を作る。蜂蜜をかける。子どもが食べる。


「おいしい!」


噂は一瞬で崩れる。感情には感情でなく、可視化で返す。


南門が止められる前提で、北街道の出荷を前倒し。港は夜間便に切替。


三経路はすでに五経路になっていた。


「検査で半日止まる?」


「では在庫を二日分多く置く」


止められても止まらない。


王都商会の中に、北辰商会の“協力商”がすでに存在していた。税優遇を受けながら裏で北と繋がる。


「王都優先?」


「では王都に倉庫を作りましょう」


雇用も生まれる。王都の民が北の商品で働く。敵か味方か、曖昧になる。


千隼は焦る。報告が届く。


「北の売上、減少せず」


「むしろ増加」


千隼の拳が震える。


「なぜだ」


「締めたはずだ」


若手貴族が言う。


「北辰商会は……想定していたようです」


沈黙。千隼は理解する。


「俺の手を読んでいる」


怒りが込み上げる。だが今回は、抑え込む。


「ならば次は」


声が低くなる。


「信用そのものを崩す」


北方の夜、宵が呟く。


「千隼は諦めない」


透歌は窓の外を見る。初夏の風。灯りのついた家々。笑い声。


「うん。だから備えるんだ。怒らない、騒がない」


「ただ、積み上げる」


宵が少しだけ笑う。


「……本当に恐ろしいな、透歌は」


透歌は振り返る。笑みを浮かべ、宵の首に腕を回して抱きつく。


「違うわ。守っているだけ」 


***

昼の喧騒が嘘のように静まり風が柔らかく窓辺を撫でる。


透歌は帳簿を閉じた。


「……終わり」


小さく息を吐く。その瞬間。背後から低い声。


「働きすぎだ」


振り返ると、宵。壁にもたれ、腕を組んでいる。


「まだ見回りが——」


「俺がやる」


即答。透歌は少しだけ笑う。


「宵は過保護ね」


「違う」


一歩、近づく。


「お前が無理をするのが嫌なだけだ」


その距離が、近い。ほんの少し、息が触れるほど。


透歌が視線を逸らす。宵の手が、そっと彼女の指先に触れた。逃げない。ただ、触れる。


「……冷たい」


「帳簿、触ってたから」


宵は両手で包む。大きな手。温かい。透歌の心臓が、少しだけ早くなる。


「宵」


「ん?」


「皆が笑ってるの、あなたのおかげでもあるのよ」


宵は眉を寄せる。


「俺は雑用をこなしてるだけだ」


「違うわ」


透歌は微笑む。


「あなたがいるから、私は怖くない」


その言葉に宵の喉がわずかに鳴る。


ふと、宵が透歌の手を持ち上げる。甲に、口づける。静かに。大切に。あの日と同じ。


透歌の頬が熱を持つ。


「……また」


「嫌か?」


小さく首を振る。


「嫌じゃない」


その答えに、宵の目が柔らかくなる。宵が一歩踏み込む。


透歌の背が、机に触れる。逃げ場はない。でも、逃げない。


「透歌」


名前を呼ばれる。低く、優しく。


「お前は強い」


「でも」


「全部背負うな」


額が、そっと触れる。


「俺もいる」


透歌の瞳が揺れる。普段は合理。理屈。計算。でも今は、ただの少女。


「……甘えてもいい?」


囁くような声。宵は迷わない。腕を回す。抱き寄せる。強すぎず、弱すぎず。守るように。


透歌は宵の胸に額を預ける。鼓動が聞こえる。規則正しい。力強い。


「北は、守れる?」


「守る」


即答。


「お前も」


透歌が少しだけ笑う。


「それは、命令?」


「願いだ」


短い沈黙。風が揺れる。灯りが揺れる。小さな心臓の鼓動は二つ。


あてどない未来を夢見ていた。


そして——透歌が顔を上げる。


「宵」


「ん?」


距離は限りなくゼロに近いのに、遠い。この距離がもどかしい。


背伸びしてみた。ほんの一瞬。唇が、かすかに触れる。


羽のように。すぐ離れる。宵が目を見開く。透歌は真っ赤になりながらも言う。


「……お返し」


次の瞬間。宵が笑った。珍しく、柔らかく。


「それは反則だろ」


外では、北辰商会の灯りが消えずに残っている。流通も、戦も、政治もある。


でも今だけは——二人だけ。


「透歌」


「なに?」


「離す気はない」


透歌は微笑む。


「私もよ」


北は合理。北は論理。でもこの場所には、ちゃんと温度がある。

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