どこまでも「お姫様」
失脚から七日。
表向きは療養。実態は、軟禁だった。重厚な扉の向こうで、千隼は椅子を蹴った。
「こんなものが終わりなものか……!」
机の上には書状。
・商人連盟の決議
・議会の議事録
・財務報告
すべて、理屈。すべて、数字。
「数字で俺を裁くのか」
拳が白くなる。だが、千隼は完全に折れてはいなかった。怒りは消えない。それどころか——静かになった。
「……北は合理的だ」
「ならば」
目が冷える。逆襲の芽が現れ始める。
「合理で潰せばいい」
千隼は密かに動き始める。彼にまだ忠誠を誓う若手貴族が数名いた。
「王都は北に依存しすぎています」
「北の物流を握れば……」
千隼は笑った。
「そうだ。物資だ」
北方の躍進は蜂蜜菓子、木材、加工品。そして——北辰商会。
「北辰商会の流通路を断つ」
正面衝突ではない。裏から締め上げる。
「商人連盟の内部を割れ」
「北との独占契約を結んでいる商会を洗え」
感情ではなく、計算で動き始めた。火種は、小さい。だが確かに燃えている。
一方、別邸の奥。
萌乃は、鏡の前に座っていた。
豪奢な衣装。だが、顔色は悪く、その色を白粉で塗り重ねる。
「……どうして?」
鏡の中の自分に問いかける。桃色の粉が頬にのせられ擬似的な血色を作る。
「私は、王都のために……」
返事はない。口紅は気持ちが悪いほど赤く。目力のなくなった瞼に紅を引く。
耳に残るのは、議会の声。
「感情では覆せません」
「王都のためです」
「価格と品質で負けています」
負け。その言葉が、刺さる。
「違う……」
「北は、冷たいだけ」
「笑っているだけで、心がないのよ」
だが。思い出す。
北へ移住した侍女が言った言葉。
「向こうでは、名前で呼ばれました!」
「仕事を褒めてもらえました」
「初めて、笑えました」
萌乃の指が震える。
「私は……笑わせていたはず」
華やかな舞踏会。誇り高い演説。拍手。
でも——それは歓声であって安心ではなかった。
数日後。
萌乃は外出を拒むようになる。食事も減る。鏡を布で覆った。
「見ない」
「見なければ、負けていない」
侍女がそっと言う。
「北では、子ども向けの菓子作り教室が開かれたそうです」
萌乃は耳を塞ぐ。
「やめて!!」
「北の話をしないで!!」
感情で築いた城は理屈で崩れると音もなく崩壊する。
「私はっ………ヒロインなのよっ!聖女なの!」
白鷺萌乃は「ヒロイン」。小紫透歌は「悪役」。朝霧千隼は「王子様」。
透歌を陥れるために自分に傷をつけた。階段から落とすように命令した。いつだって涙と笑顔で「お姫様」であったのに。
なにが、何が駄目だった?なにが崩れた原因だ?
「楼來っ……宵!!」
楼來宵。全てあいつが原因だ。ゲームの中に存在しなかったはずだった。
「何者なんだよぉっ!!」
宵が報告する。
「王都内部で不穏な動き」
透歌は静かに聞く。
「流通経路の調査が入った」
「北辰商会への圧力の可能性」
透歌は頷く。
「予測範囲内ね」
「対策は?」
「三重経路に分散済み」
「在庫は三ヶ月分確保」
「代替輸送路も整備済み」
宵は小さく笑う。労るように透歌の黒髪を撫でた。
「透歌は本当に抜け目がない」
透歌は微笑む。
「怒りで動く人は、次も怒りで動く」
「だから、備えるだけ」
北は焦らない。騒がない。ただ、崩れない。
千隼は窓の外を見る。遠くに見える王都の灯り。
「北を引きずり下ろす」
「王都の威光を取り戻す」
その目は、もはや激情ではない。冷たい算段。だが——彼はまだ知らない。北が合理で動く以上、感情に戻った瞬間に、また負けることを。
萌乃は眠れない。夢に見る。北の笑顔。
透歌の穏やかな瞳。
「私は……間違っていない……」
繰り返す。
だが心は、もう追いついていない。




