終点
強制イベントは、前触れなく来る。
その日は、晴れていた。
初夏の空。 中庭に並べられた長卓。
王族主催の親睦茶会。
(ここは、本来“好感度急上昇イベント”)
白鷺萌乃が中心に座り、 朝霧千隼が自然に隣へ。 偶然の会話。 偶然の笑顔。
透歌は少し離れた席に配置される。
それが“デフォルト”。
透歌は何もしていない。
本当に。
何も。
だが。
「透歌様、先日の禁書件……」
背後で囁きが生まれる。
「やはり危険思想では……」
「王家への不敬とか……」
評価が、じわりと下がる。
萌乃が心配そうに透歌を見る。
「透歌様、大丈夫ですか……?」
無垢な声。同時に。
千隼が言う。
「無理はするな。透歌」
距離が、微妙に開く。
(自動処理)
透歌は静かに紅茶を口に運ぶ。
介入しない。 修正しない。
観測。
すると。
突然、強い風が吹いた。
テーブルクロスが揺れ、 ティーカップが傾く。
萌乃のカップが落ちる。
割れる音。
悲鳴。
そして。
砕けた破片が、萌乃の手に触れる。
赤い線。
「……あ」
小さな声。
血はほんの少量。
だが。
空気が一瞬で凍る。
前回のナイフ事件によって過敏になった千隼が立ち上がる。
「誰だ!」
視線が、一斉に透歌へ向く。
距離。 位置。 角度。
物理的に、透歌が最も近い。
(なるほど)
前回の失敗が生かされている。
透歌は冷静に理解する。
“悪役による嫌がらせイベント”。
条件は揃っている。
何もしなくても。
何もしていなくても。
補正は発動する。
萌乃が震えた声で言う。
「ち、違います……透歌様は……」
否定。
だが弱い。
周囲の視線は疑念。
千隼が低く言う。
「小紫。説明を」
ここで、本来なら。
悪役は逆上する。 高慢に振る舞う。 自滅する。
透歌は、立ち上がる。
静かに。
そして――
笑った。
優雅に。
「お見事」
その一言に、空気が止まる。
「今のは、完璧な構図でしたわ」
千隼の眉が寄る。
「何の話だ」
「強制イベントですもの」
誰にも意味は通じない。
だが。
宵だけが、わずかに目を細めた。
「風向きは西から東」
透歌は淡々と続ける。
「クロスが揺れた方向も同じ。わたくしの位置からでは、萌乃様のカップに干渉はできません」
宵が一歩出る。
「さらに」
彼は静かに言う。
「先ほど萌乃様がカップを持ち替えた際、指が滑っております」
萌乃がはっとする。
「え……」
「故意ではありません。ただの事故」
宵の声は冷静。
断罪を断ち切る刃のように。
沈黙。
千隼は萌乃の手を見る。
破片の角度。 床の散らばり方。
確かに。
透歌の位置からは不自然だ。
疑念が、揺らぐ。
補正が、弱まる。
(崩れた)
透歌は確信する。
強制イベントが、完遂しなかった。
世界は一瞬、迷った。
萌乃が小さく言う。
「ご、ごめんなさい……わたし、ぼんやりしてて……」
悪意はない。
本当に。
だが。
“悪役断罪の芽”は確実に存在した。
それを。
折った。
透歌は深く礼をする。
「萌乃様、ご無事で何より」
完璧な令嬢の所作。
非の打ち所がない。
観測終了。
世界は静かに再計算を始める。
茶会は再開された。
だが空気は違う。
透歌を見る視線に、
“恐れ”が混じった。
夜。
学寮の回廊。
「透歌様」
宵が言う。
「本日の件」
「ええ」
「補正が、明確に動きました」
「そして、崩れた」
透歌は立ち止まる。
「観測は終わり」
第一章の終点。
「この世界は、選択肢で動く」
「はい」
「だが、絶対ではない」
宵を見る。
「あなたがいると、歪む」
宵は静かに目を伏せる。
「透歌様が介入すれば、壊れる」
透歌は微笑む。
「壊すのではないわ」
一歩、近づく。
「編み直すの」
断罪は十年後。
消えない。
だが。
今日、初めて。
透歌は理解した。
未来は固定ではない。
補正はある。
だが“突破”もある。
「宵」
「はい」
「観測は終わり」
彼女の瞳が、夜に光る。
「次は、実験よ」
宵の口元が、わずかに緩む。
「承知しました」
こちらで第一章終了となります!




