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蕾の下の再起動

こちらは「断罪された悪役令嬢でしたが無能な王子と聖女に実務を丸投げしてきたので私が去った後の国が実質詰んでます~隣にいる有能な従者と領地改革して幸せになるので今更謝られても困ります」の連載版となっています!

 桜は、まだ咲いていなかった。


 固く閉じた蕾の下で、小紫透歌は目を開いた。


 天蓋越しに差し込む春の光が、白い天井を淡く照らしている。薄桃色の刺繍が揺れ、外では庭師の鋏の音が微かに響いていた。


(……ここは)


 喉が焼けるように痛い。身体が重い。熱に浮かされたような感覚の奥で、現実が二重に重なっている。


 視界の端に映るのは、豪奢な寝台と見慣れた公爵家の紋章。小紫家――王国随一の名門公爵家。


 だが、同時に脳裏へと流れ込んできたのは、まったく別の景色だった。


 液晶画面。選択肢。


 キャラクター立ち絵。華やかな制服。攻略対象の微笑み。


 そして――


 桜舞う学寮の庭で、断罪される自分。


『小紫透歌、あなたとの婚約を破棄する!』


 高らかに宣言する王太子。ざわめく生徒たち。勝ち誇ったように涙を浮かべる聖女。


 処刑台。歓声。エンドロール。


「……は、」


 息が止まる。二つの人生が、衝突する。


 公爵令嬢としての六年。


 そして、画面越しにその運命を笑って見ていた“前世”。


(わたくしは、あの物語の中の……悪役)


 頬を、一筋の涙が伝った。


 恐怖ではない。理解の涙だった。


 透歌はゆっくりと起き上がる。指先はまだ小さく、白く、子どものもの。鏡台に映るのは、あどけなさを残す令嬢の姿。


 だが、その瞳の奥だけが違う。


 ゲームのタイトルは、確か――《千年の恋・雅の契り》。


 聖女・萌乃を主人公に、王太子をはじめとする攻略対象と恋をする乙女ゲーム。


 そして小紫透歌は、テンプレート通りの悪役令嬢。


 高慢。嫉妬深い。婚約者に執着し、聖女をいじめ、最後には断罪される存在。


(……笑えない冗談ですわね)


 前世での自分は、悪役令嬢に同情していた側だった。


 どうしてもっと賢く立ち回らないのか。


 どうして証拠を掴まないのか。


 どうして感情的になるのか。


 画面越しに、したり顔で語っていた。


 その当事者が、今の自分だ。


「ならば」


 小さな手を、ぎゅっと握る。


「――脚本を書き換えましょう」


 物語はまだ始まっていない。


 学寮入学まで、あと二年。婚約破棄まで、約十年。


 時間はある。


 透歌は深く息を吸った。

 前世の記憶は、ただの記憶ではない。攻略情報だ。


 誰がどのルートで萌乃に惹かれ、どの選択肢で好感度が上がり、どのイベントが断罪フラグになるのか。


 すべて、知っている。


(王太子殿下は“守ってあげたい”と思わせる相手に弱い)


(宰相子息は“理解者”を求めている)


(騎士団長の息子は、正義を何よりも重んじる)


 そして――聖女萌乃は、完全な“演者”だ。

 無垢を装い、涙を武器にし、無意識を装って他人を踏み台にする。


 透歌は、冷静に思考を巡らせる。

 前世で知った情報と、今世で得られる現実の情報。


 それを重ねれば、未来は固定ではない。


「お嬢様、お目覚めですか?」


 控えめなノックとともに、侍女が入室する。


「……ええ。少し、長く眠ってしまったみたい」


 声はまだ幼い。だが、言葉の端に滲む落ち着きは六歳の少女のものではなかった。


 侍女は微笑み、カーテンを開ける。


 庭の桜は、まだ蕾のまま。


「今年も、見事に咲きますよ」


「そうね」


 透歌は窓辺に歩み寄る。固く閉じた蕾。


 まるで、今の自分のようだ。


(咲く時期は、決められている?)


 いいえ。


 咲き方は、選べる。


 断罪のシーンを、透歌は鮮明に覚えている。


 学寮の卒業式。全校生徒の前での婚約破棄宣言。罪状の読み上げ。取り巻き令嬢たちの証言。


 だが、その“証言”の多くは、状況証拠と印象操作だった。


 決定的な証拠はなかった。


(ならば、先に証拠を押さえればいい)


 萌乃の裏の顔を暴く?


 いいえ、それでは足りない。


 感情に訴えても、物語補正が働く可能性がある。


 ならば――。

 盤面そのものを変える。


 王太子との婚約を、政略としてより強固なものにする。


 小紫公爵家の政治的影響力を拡大する。


 学寮内での評価を、“高慢な令嬢”から“有能な次期公爵”へと塗り替える。


 悪役令嬢というラベルを、貼らせない。 


 そのとき、胸の奥で何かが微かに震えた。


『観測を開始』


 聞き覚えのない、しかしどこか冷たい声。

 透歌は目を細める。


「……誰」


 返答はない。


 ただ、空気が一瞬だけ重くなる。前世にはなかった存在。


 それとも、気づかなかっただけか。


(物語には、観客がいる)


 前世の自分も、その一人だった。


 ならば今、この世界を“見ている”何かがいても不思議ではない。


 透歌は、ふっと笑う。


「観ていなさい」


 窓の外の蕾を見つめながら、静かに告げる。


「悪役令嬢が、幸福になる結末を」


 桜は、まだ咲いていない。だが、確実に春は近づいている。


 小紫透歌は、ただ運命に翻弄される少女ではない。


 脚本を知る者。


 そして、書き換える者。


 断罪エンドも、処刑エンドも、もう選ばない。


 彼女は、ペンを握った。


 ――物語の主導権を奪うために。

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