26)未来へ1
王国の西に広大な領地を持つルートヴィッヒ・ラインハルト公爵は、かつて竜騎士だった。王都竜騎士団団長を引退した今も、竜騎士見習いの頃から相棒である竜のトールの背に乗り、王国内を自由に行き来する。愛妻アリエル・ラインハルト公爵夫人との二人乗りは有名だ。
宰相になり、領地を賜り、結婚し、公爵となり、怒涛のように押し寄せた責任とそれに伴う仕事に明け暮れても、一段落するとき、二人で茶を楽しむという習慣は続いていた。
ルートヴィッヒが膝に座らせたアリエルの額にそっと口づけたときだ。
「あの、月のものが、こないのです。時々、遅れることもありますから、それかと思ったりもするのですけど」
普段は何事でもはっきり言う、言いすぎるアリエルにしては、おずおずと控えめな言い方だった。
その意味を考えたルートヴィッヒの目が見開かれた。かつてに比べたら表情の増えた顔を喜色が彩った。
「でも、本当にそうかわかりませんし、遅れただけでくるかもしれませんし」
「前に二回連続で遅れたこともあって」
「毒矢で動けなかった時です。二回遅れた時点で、マリアがだんだん怒りだして、私が違うっていうのに、あと一回来なかったら、団長様に問いただすって言って」
過去の濡れ衣も含め、アリエルが何かを言っているが、その内容など、ルートヴィッヒには気にならなかった。
ようやくだ。ルートヴィッヒは、喜びを噛み締めていた。
ルートヴィッヒはアリエルを、腕の中の幸せを、抱き締めた。腕の中にいるこの柔らかい体のなかに、もう一人、命が宿っているかもしれないのだ。
「あの、ルーイ、まだ、決まったわけでは」
「子供だ」
「でも、違うかもれませんし」
「きっと子供だ」
「ルーイ、月のものが遅れているだけかもしれませんし」
「お前と私の子供だ」
「あの、でも、まだわかりませんし。トール達はきっとそうだろうと言っていましたけれど」
ルートヴィッヒの胸の内に、喜びが湧き上がってきた。
「ならきっとそうだ。子供だ」
ルートヴィッヒはアリエルを抱き上げ、くるりと回った。
「ルーイ!」
「子供だ」
結婚してから数年、多忙だった。寝室を共にしていても、二人は互いの肌を薄い布越しに確かめるだけで眠りにつくことが多かった。ルートヴィッヒとしては、やるせなさもあった。結婚したというのに、片手落ちな気がした。そんなことのためだけに結婚したわけではないが、結婚した以上は、夫婦ならではの特別に親密な時間を過ごしたかった。腕の中で静かに寝息をたてているアリエルが、甘えるようにすり寄ってくることが慰めだった。
他の夫婦がどうかは知らないが、少なくとも、ルートヴィッヒはもう少し、アリエルと夫婦ならではの特別に親密な時間を欲していた。ここ半年は何とか落ち着いていて、それなりに親密な、特別の時間を味わうことができていた。その結果、ようやくの子供だ。まだあくまで可能性だが、きっと子供だ。
「ルーイ」
「子供だ。きっと」
「でも、違ったら。竜の勘が必ず当たるとは」
「違っても良い。いつか本当になったら、それでいい」
ルートヴィッヒの言葉に、アリエルが腕の中で微笑む。
「ラインハルト公、伯父上、私は従兄弟が欲しいと以前お願いしたが、訂正したい。私は、男の子でも女の子でも良いから、従兄弟は沢山欲しいな」
ルートヴィッヒの耳に、ませたことを言っていた甥のエドワルドの声が聞こえた気がした。




