22)貴族の来訪2
ルートヴィッヒとマーガレットが不機嫌な理由はすぐに判明した。貴族は、自分が後ろ盾になってやるから自分の娘を妻にしろ、アリエルとマーガレットは愛人で十分だろうと言ったのだ。
「失礼ではありませんか。冗談ではありません。あんな落ちぶれていくだけの貴族の後ろ盾など、何の役に立ちますか。あの家は先々代の才覚で大きくなりましたけれども。先代と当代で食いつぶしていますもの。それに、愛人ですって。私はここできちんとお仕事しておりますのに。全く。女と見たら、みな愛人と思っているのですわ。くだらない。汚らわしいこと」
全員でお茶を飲むときは、休憩時間というのが暗黙の了解だ。だから、マーガレットが少し乱暴な口調を咎める者はいなかった。
「マーガレット様も大変でしたね」
アリエルは相槌を打ち、ルートヴィッヒが消えた部屋を見た。貴族の娘だけあって、マーガレットは貴族の実情に詳しい。後宮にいた頃に、噂好きなシャルロッテのところに貴族が持ってくる様々な話を耳にしていた。
「後宮勤めも下らない噂話も、不本意なことばかりでしたけれど。ときに役に立つこともありますわね。やはり、身代を食いつぶす者は愚か者です。それも先代と当代の二人続けてです。救いようがありません。いえ、救う必要などありませんけれども」
怒り心頭のマーガレットは手厳しい。
「ラインハルト侯は、自分のところに来るというなら、誰であれ働いてもらう。先日の火事で衣類をかなり損傷したから、縫い物が出来る女が必要だ。あと、兵舎と竜舎の掃除、改修中の侯爵家の屋敷の掃除の手伝いが必要だとおっしゃいましたの。下働きにするつもりかといって、怒りながら出て行きましたけど、余計なことを言ったのはあちらです」
茶の入ったカップをもつマーガレットの手が怒りのあまり震えていた。
「マーガレット様」
マーガレットの気を落ち着けようと声をかけたアリエルの手を、マーガレットが握った。
「竜丁様、絶対にあんな男の嫌がらせに負けたらだめですよ。貴族とはいえ、性根が腐っております。目も節穴でしょうに。許せませんわ」
アリエルの左手の薬指には、指輪が光っている。目ざとい貴族の中には、面会の時に婚約の祝いを述べるものもいた。贈り物を申し出た貴族には、貧民救済のための寄付を依頼した。貴族間の情報の伝わり方を見ていると、彼らの勢力図もわかってくる。新興貴族の一人に寄付の話をした翌日に、多額の寄付をしてきた貴族が大勢いたのだ。
その意味では、未だ古い情報に浸っている彼は、落ち目であることは事実だった。
「マーガレット様、落ち着いてください」
「落ち着いていますわ。許せないだけです。借金まみれで落ち目のくせに後ろ盾など、陛下とラインハルト候を馬鹿にしているとしか思えません。人を馬鹿にしたような口をきいて。兄がいたら、けしかけていましたわ」
マーガレットは怒りのあまり兄のハインリッヒを犬扱いしているが、気づいているのだろうか。アリエルには何があったかは分からない。マーガレットがこれだけ怒っているならば、ハインリッヒも怒るだろう。けしかけられなくても、攻撃しそうだ。
ハインリッヒも手練れだ。ルートヴィッヒの部下であるため、目立たず、腕前が正当に評価されていないだけだ。ハインリッヒがここにいたら、本当に大変なことになっていたかもしれない。応接室の家具は高級品なのだ。汚れては困る。
「マーガレット様、そんな人、お兄様のハインリッヒ様の御手を汚す必要もありません。剣も傷みます。掃除も大変です」
ベルンハルトが茶をむせた。
「そうですね。おっしゃる通りですわ。あんな貴族の屑の血で、あの素晴らしい調度品を汚してはいけません。あぁ、拭いてこなくては、汚れてしまいましたもの。汚らわしい」
マーガレットは応接室に戻っていった。
「まぁ、彼には自ら掘ってくれた墓穴に、はまってもらうよ。竜丁ちゃん、この資料をくれた竜騎士の父上に、お礼と、危なくない範囲で続きが欲しいと言っておいてくれないか」
「かしこまりました」
御前会議の顔ぶれが変わるのに、さほど月日は必要なかった。
「あぁまで変わると、部屋が広くなったように思えるな」
執務室での茶の時間、ベルンハルトは背伸びをした。
一つの手がかりから、次々と明るみに出た。伝統と格式を誇る王家と同様の長い歴史をもつ貴族は、長年の利権に塗れており、次々と姿を消した。今、御前会議に出席できるのは、王家よりも新しい貴族達だけだ。
「陛下のお力が、相対的に強くなりました。おそらく数世代は続くと思われますが、いずれどこかで貴族達の反感を招き、取って代わろうという動きにつながることが懸念されます」
ルートヴィッヒの言葉に、アリエルは頷き、身を寄せた。ベルンハルトとルートヴィッヒという二人の優秀な兄弟が、国を治めやすいように制度を整えていくと、王家に権力が集中する。
反対する勢力が、結集し、王家の転覆をはかる恐れがあった。おそらくはその後、反対勢力同士、同士討ちで血を流し、国は荒れるだろう。ここ数日、アリエルは自分の恐れていることを、夜、ルートヴィッヒに語っていた。現時点では王家が権力を掌握することは、この国の安定に寄与する。だが、同じ制度を延々と維持することはできないのだ。
「王家にとって代わろうとするものが出てくると」
「強すぎる権力で押さえつければ、反発されるものです。あるいは、自らそれを手に入れようとする者が現れるかもしれません」
「そういう意味では、君の提案でつくったあの施設は、民を王家に引き付けることに役立つだろうね」
旧侯爵家の屋敷は今や、慈善院であり、孤児院であり、身分を問わずに子供たちを教える教育機関になっていた。そこには王家の旗と、王都竜騎士団の旗がはためいている。今回、多くの貴族が処分され、王領に組み込まれた。それらの土地でも同様の施設がつくられている。どの施設でも、空には大きく王家の旗と、王都竜騎士団と、その地方を担当する竜騎士団の旗が翻っている。
新たな王領には、領主代行として、宰相代行のルートヴィッヒが選んだ者たちが任命されていった。いずれも任期には限りがあり、査察が不定期に訪れるため、私腹を肥やす時間はないはずだ。
「教育を受けた子供達は、良い国民となるでしょう」
読み書き計算ができ、法律を知り、犯罪を犯さない民は、良い国民であり、良い兵士になりうる。教育と産業育成は富国強兵につながっていく。多くの有能な兵士を持つということは、集団での戦略が立てられることになり、集団戦が主流となるかもしれない。ルートヴィッヒのような決闘を重んじる竜騎士の存在意義も、いずれ変化するだろう。
ベルンハルトは戦を望まないが、数世代先までのことまではわからない。望まなくても攻めてくる国はある。守るために戦わねばならない時は必ずある。今は、この国の竜騎士の存在が、他の国からの侵入を思いとどまらせる抑止力となっている。いつまでそれが有効かもわからない。
「故テレジア王妃がおっしゃっておられたように、国民は、全て均しく我が民であり、我が子だ。これから先も王家が、それを心に刻み、王家が統治するこの国に暮らすことが、民にとっての幸せであるように、それが必要だ」
ベルンハルトが口にした、テレジアの言葉は、長く王家の指針となった。




