18)ベルンハルト
王都にあった侯爵家の屋敷は見事な変容を遂げつつあった。孤児院、救護院として整備したが、それを維持するには人手がいる。結果、多くの人に仕事が提供され、自立して生活できる者が増えた。
孤児院の子供たちも、読み書き計算を覚え、店や市場で手伝いとして働けるようになった。王都の他の場所でも子供たちに読み書きや計算を教える場所が増えている。男の子は剣の稽古を、女の子は裁縫や家政を身に着ける機会が与えられるようになった。勉強や稽古で得るものがあると子供達が気づいた。物取りのような、軽微な犯罪が減った。
それを知った貴族達の中には、領地で同じように読み書きや計算を教えることが流行し始めている。
「この国も変わるだろうね」
ベルンハルトの声に答える声は無い。ルートヴィッヒとアリエルの二人は、避難所にいる。侯爵領に帰る者たちを選ぶためだ。領内の特定の区域への集中は避けなければならない。だが、荒れた耕作地を元に戻すには、ある程度以上の人数が必要だ。
何度かに分けて帰らせることが決まっていた。
本来、耕作地を捨てた民は故郷へ帰ることが出来ない。明確な法はないが、そういう慣習があった。二人はそんな慣習をあっさりと無視した。
慣習にこだわらないルートヴィッヒを宰相代行に指名した時、ベルンハルトは何か起こるだろうとは思っていた。実際、相談という名目で、根回しと贈収賄が横行していた御前会議は変わった。ルートヴィッヒが会議の運営を担うようになり、会議は国王であるベルンハルトのための機関となった。
必要に応じて、学者も出席するようになった。かつては、貴族でもない彼らの出席など考えられなかった。宰相代行であるルートヴィッヒが、学者を出席させたとき、身分を理由に反対する貴族もいた。ルートヴィッヒは庶子である自分がいる以上、身分は理由にならないと、取り合わなかった。
学者を買収しようとした貴族もいた。しかし、すでに禁止する法律が決定されていた。法律などなくても、学者の存在と彼らの知識に光を当てたルートヴィッヒに彼らは心酔していった。
「ルーイも少しは、自分が好かれているってことを理解してもいいころだけれどね」
ルートヴィッヒは、アリエルが人にも竜にも好かれると羨んでいる。ルートヴィッヒの実直な人柄を慕う者も多い。王家にも劣らない歴史をもつ古参貴族には、血筋ゆえに彼を嫌う者はいる。すでにそれは一部の貴族だけのこだわりだった。多くの貴族が、ルートヴィッヒに友好的に振る舞った。多くの貴族は代替わりをしており、過去と決別したつもりになっていた。
かつても今も、護衛騎士の多くは、貴族の次男以下や庶子のような家を継げない者達だ。ルートヴィッヒとベルンハルトの周囲で死んだ護衛騎士達もそうだった。当時の当主たちは、ルートヴィッヒの命を狙う侯爵家に金品を治め、家督を継がない息子達をルートヴィッヒの護衛騎士にした。その逆もある。権力ある二つの侯爵家に義理立てするため、そうやって家を遺そうとした。貴族同士としては、お互い痛み分けのつもりなのだろう。
命を狙われたルートヴィッヒへの詫びの一言もない。
「家のために死ぬことは分かっていたといわれてもね。目の前で彼らに死なれた私達の身にも、少しはなって欲しいものだ」
ルートヴィッヒは自分が過去に囚われていると言う。ベルンハルトにとっても他人事ではない。ベルンハルトは当時、常にルートヴィッヒの傍を離れないように必死だった。そうすれば、ベルンハルトの護衛騎士も、ルートヴィッヒを襲いに来た刺客と戦わざるを得ない。彼らを死なせる結果になることは分かっていた。それでもベルンハルトは、たった一人の兄ルートヴィッヒに生きて欲しかった。
ルートヴィッヒは内心の葛藤を抑え、友好的に振る舞う貴族を相手に、穏やかに対応していた。過去について何も言わないルートヴイッヒを、意気地がないと嘲笑う貴族も少なくはない。宰相代行であり、王都竜騎士団団長であるルートヴィッヒが持つ権力を理解していないのだろう。貴族一つ取り潰すなど、今のルートヴィッヒには容易なことだ。
「そろそろ次の手を考えないとね」
侯爵領に行ったルートヴィッヒとアリエルの間で何があったかは知らない。だが、戻ってきたルートヴィッヒからは、これ以上、兼任は無理だと申し出があった。
翌日にでも正式に宰相に任命するというベルンハルトに、後任の王都竜騎士団団長の選定まで待ってほしいとルートヴィッヒは言った。増長させてしまった西方竜騎士団という問題を、彼の代のうちに片付けたいとも言った。
ベルンハルトにとってたった一人の兄、統治をする上で、絶対に信頼できるルートヴィッヒの存在は重要だ。息子のエドワルドが国王となったとき、支えてくれる人物も必要だ。
侯爵領から戻ってしばらくした頃から、アリエルの左手の薬指には指輪がある。細い金の指輪には、ルートヴィッヒの髪の毛とよく似た暗い赤いルビーが光っている。誰から贈られたか、周囲に見せつけるための指輪だ。ルートヴィッヒのほうから、行動を起こしたのだ。協力しろと言われて、ベルンハルトは迷わず同意した。そのために、竜騎士達の贈り物に協力した。
「次はどうなるかな」
ベルンハルトは言った。
「私も、手を打たないとね」




