幕間 夜会
炙り出しをしようという、ベルンハルトの発案から始まった。
王都で開かれた夜会の一つに、ルートヴィッヒとアリエルは参加した。主催者は、ヴォルフの父の伯爵だ。老伯爵は離れに暮らす内縁の妻と文通をしているアリエルに、いつの間にか好意的になっていた。
ベルンハルトの企みを知り、協力を申し出てくれた。
「我が家に群がる連中の排除になるでしょうからな」
老伯爵には跡継ぎがいない。養子を取らねばならないが、今も決まっていない。言葉では、養子をどこから迎えるかで、揉めていると困ったようなことを言っている。だが、口調は明らかに面白がっていて、ヴォルフによく似ていた。
どうにもこうにも貴族の夜会は退屈だ。ルートヴィッヒは幼い頃から、ベルンハルトが笑みを顔に貼り付けたままでいられるのが、不思議だった。
「しかし、ずいぶんとお変わりの方を妻に迎えられるようですね。竜丁とは」
招待客の一人、伯爵の言葉に周囲の貴族達は、頷き、囁きあった。
「そうでしょうか。私と共に暮らすのですから、非常に望ましいことです。何も問題はありませんが」
竜騎士の礼服に身を包んだルートヴィッヒは、ベルンハルトを思い出し、穏やかな笑みを顔に貼り付けたまま答えた。アリエルが、竜丁なのは事実だ。今はエドワルドの学友であり、ルートヴィッヒの書記官として過ごす時間の方が長い。御前会議に出席している書記官の中で、ベルンハルト国王から発言を求められる唯一の書記官でもある。情勢を読むことができない貴族はどこにでもいる。
「竜騎士が妻に迎えるのに最適とは」
伯爵は小馬鹿にしたような口調を変えない。ルートヴィッヒのことが、相当気に入らないらしい。ルートヴィッヒは、荒れ果てた侯爵領や、宰相代行の地位を望んだことはない。代わってやっても良いが、この男には務まらないだろう。この男に仕える竜騎士は大変だろう。無理解な主は、時に敵よりも厄介だ。
「私が妻にする女に必須の条件の一つが、私の騎竜であるトールに嫌われないことですから」
「ほう、貴侯の竜はずいぶんと気性が荒いな」
竜は空飛ぶ馬ではない。竜騎士を知らない貴族は、竜を知らない。
「気性が大人しい竜などおりません。トールだけではない。当然、ヴィント以下、他の竜にも気に入られないと、庭にも出ることも出来ません。屋敷の外などなおさら、領地でも同じことでしょう」
彼らが、代々の王都竜騎士団団長が治める北の領地か、ルートヴィッヒを悩ませるベルンハルトから賜ったというより押し付けられた侯爵領を想像しているのかは、ルートヴィッヒにはわからない。
「ずいぶんと、竜に好き放題させているようだな」
どうやら、竜を人間の思い通りに出来ると思っている者がいるらしい。犬猫と勘違いをしているようだ。犬猫でも躾をせねば人にとっては十分に危険な生き物だ。この男はわかっているのだろうか。
「竜は、人を裏切りませんので、問題ありません」
「貴殿の屋敷で、竜に追い回された者がいるはずだが」
「あぁ、おりましたね。捕らえて引き渡しましたが、牢で自害したとか。厨房に忍び込もうとしていたと聞いております。何やら、珍しいものを懐に隠し持っていたので、こちらで保管しております。何なら貴公、お味見されますか」
竜の嗅覚は鋭い。差し向けた者の見当はついている。身に覚えがあるらしい貴族は口を噤んだ。
「竜の放し飼いは、禁止されているはずだが」
「庭で自由に運動させているだけです。必要なときは竜舎に戻りますから問題ありません」
竜達は、招かれざる客を追い払うために、庭で過ごしてくれているだけだ。
「ずいぶんと、竜に好き勝手させているようだな」
また似たような言い掛かりだ。他に何か言うことはないのかと不思議だが、所詮その程度の人間の集まりかと思えば、腹立ちも少しは静まる。
「信頼関係があれば、問題はありません。出入りの商人など、互いに顔を覚えて、竜に荷運びの手伝いをさせています。事情で、私の屋敷の人手は少ないですから、助かっています」
「人を雇えばよかろう」
「私の周囲にいる者に危害を加えるために、躊躇いなく散財する考え無しの二本足が絶えぬ以上、仕方ないことです。簡単に人は雇えません」
また招待客達が口を噤んだ。
老伯爵が、ヴォルフによく似た少し懐かしいほほ笑みを浮かべて立っていた。
「ラインハルト侯自身は、争いごとを好まれないというのにな」
「私も婚約者も、トールと飛んでいるのが一番良いのですが、なかなかご理解いただけず、困ったことです」
ご理解下さっているベルンハルトから、押し付けられる仕事が一番多かったりするのは何故だろうかと、考えても無駄なことが、ルートヴィッヒの頭をよぎる。
「竜に乗って飛ぶのは、それほど良いものか」
「お考え次第かと心得ます。天候の影響も大きいですし、人を乗せるか乗せないかを決めるのは竜です。彼らは知性があり、誇り高い生き物ですから」
先日、西方竜騎士団で、竜との信頼関係を失ったという理由で大量の竜騎士失格者を出したことは、公然の秘密だ。
「貴殿は、騎竜と婚約者とどちらを大切にしておられるのかな」
「一方を選べと言われると困りますね」
厭味ったらしく笑う男に、妻と愛人のどちらを選ぶかと聞いたら何と答えるだろうか。聞いてみようかとルートヴィッヒが思ったとき、ダンスに誘われたはずのアリエルが一人、戻ってきた。
「戻りました」
微笑むアリエルの手をとり、ルートヴィッヒは口づけた。アリエルが座ろうにも席はない。平民のアリエルを相手に、席を譲ってやる貴族もいない。老伯爵が侍従に合図をしたが、ルートヴィッヒは小さく首を振った。
ルートヴィッヒは微笑むと、アリエルを自らの膝の上に座らせた。
「まぁ、ルーイ。皆様の前ですよ」
アリエルの体が少し火照っていた。先ほどまで次々と奏でられていた曲は、ダンスの中でも難易度の高い曲ばかりだ。体力勝負のような面もある。実際、アリエルをエスコートしていたはずの男性貴族達が、会場の別の隅で椅子に倒れこんでいた。情けない。
ベルンハルトの体力が少し気になった。少々剣の腕が立っても、走って逃げるには体力が必要だ。
「どうなさいました」
ベルンハルトの体力を、どうやって確かめようかと考え始めたルートヴィッヒにアリエルが首を傾げた。
今は夜会だ。ルートヴィッヒはベルンハルトの体力を確かめるという問題を、一旦脇に置くと決めた。
「あぁ、トールとお前とどちらが大切かと聞かれてね」
「まぁ」
アリエルが微笑んだ。
「それは、もちろん、トールでしょう。だってトールがいなかったら、ルーイは、とうの昔に亡くなっておられたと聞いております。トールがいたから、ルーイが生き延びて、こうしてお会いできたのですもの。そんな当たり前のことを尋ねるなんて、ずいぶんと面白い方もおられますのね」
笑顔で微笑みながら言っているが、明らかにアリエルの言葉に棘がある。
「それにしても、あなたを困らせるためだけの質問に真面目に考えて差し上げるなんて、ルーイは本当に優しい人ですね」
アリエルの発言が、棘からだんだん猛毒になってきた。微笑みルートヴィッヒの胸に頬を寄せて、周囲の貴族を睥睨している。
「そのトールも、お前をずいぶん可愛がっているからな。遅くなるといけないから、そろそろお暇させていただこう」
ルートヴィッヒはアリエルを抱き上げた。
「子供ではありませんが」
「竜達はみな、お前の保護者のつもりだ。ずいぶん過保護だからな、遅くなるわけにもいかない」
「まぁ。では、お招きくださった伯爵様にご挨拶を申し上げませんと」
「お二人が仲睦まじいようでなによりです」
婚約した二人は、老伯爵と二言三言挨拶を交わし、会場を後にした。
手伝いという名目で、マーガレットは会場にいた。様子を見てきてほしいというベルンハルトの依頼だ。ルートヴィッヒとアリエルが心配だからと、ベルンハルトは言っていた。その目が、面白いものを期待して輝いていなければ、マーガレットも騙されていただろう。
本当に、時に少々迷惑なくらい、仲の良い兄弟だ。
踊るアリエルは美しかった。特に最初、ルートヴィッヒとアリエルが踊った時は圧巻だった。赤いドレスの裾を黒いレースとフリンジが飾り、アリエルの動きに合わせて広がった裾を、より魅惑的に見せていた。たっぷりの布と黒のレースで強調された胸元では、フリンジが揺れ、アリエルの黒髪も合わさって不思議な魅力があった。
ドレスの胸元はエドワルドのこだわりだ。今流行の、胸元が大きく開いたドレスをエドワルドは断固拒否した。
「竜丁はこれから伯母上になる。竜丁には、美しいドレスを着て欲しい」
エドワルドの母であり母でなかったシャルロッテは、胸元が大きく開き、素肌を見せつけるようなドレスを好んでいた。
後宮にいた頃、マーガレットはエドワルドに何もして差し上げることが出来なかった。己の身を守ることで精一杯だった。あの頃何もできなかったせめてものお詫びと、マーガレットは、アリエルのためにドレスを一生懸命考えるエドワルドを手伝って差し上げた。
夜会に出発する前、支度を整えたアリエルの手を取り、ルートヴィッヒは少し踊った。嬉しそうにしていたエドワルドを、ベルンハルトが優しく見守っていた。
幸せな光景を思い出していたマーガレットの視界の隅に、目障りなものがあった。アリエルをダンスに誘った貴族たちだ。片隅の椅子に、だらしなく身を預けている。情けない。平民が踊れるわけがないと侮り、恥をかかせようとしたのだろう。アリエルのダンスの稽古相手は、竜騎士のルートヴィッヒだ。まれに、護衛騎士達が代役を務めることもある。体力ある男性を相手に踊り慣れているアリエルに、鍛錬していない貴族が挑んだところで、勝敗は見えている。
明らかに事前の調べが足りなすぎる。頭も金も使ってこそ意味がある。マーガレットはベルンハルトへの報告に一文添えることにした。




