8)生き残る意味
ルートヴィッヒは、アリエルを抱きしめていた。温もりのある柔らかい体からは息遣いが聞こえる。あの頃、冷たく硬くなった護衛騎士達の身体とは違った。
「ルーイは、ルーイのせいで彼らが死んでしまったと思っていますか」
アリエルの言葉に、ルートヴィッヒは胸の傷が抉られたように思った。一瞬声が出なかった。
「私が、いなければ彼らは死ななかった。お前の養父のヴォルフも、左腕が不自由になることもなかった」
ルートヴィッヒの口から言葉が出るまで、どれだけの時が過ぎたか。声が、自分の声では無いように聞こえた。
「ルーイ、あなたのせいではありません。それに、彼らは、あなたのことが嫌いではなかったと思いますよ。特に養父のヴォルフは絶対に、あなたのことが大好きでしたよ」
ルートヴィッヒを慮ってか、アリエルが耳に優しい言葉を紡ぐ。
「みな、私のせいで死んだのにか」
ルートヴィッヒの言葉に、アリエルは首を振った。
「あなたが殺したのではありません。刺客です。あるいは刺客を雇った貴族が責められるべきでしょうに」
「私の護衛になどにならなければ、死なずに済んだ」
貴人を警護する護衛騎士にならなければ、死なずに済んだ。長らく国同士の戦争は起こっていない。せいぜい国境での小競り合いや、盗賊狩りなどだ。騎士の死亡率はさほど高くない。
「ルーイの子供の頃でしょう」
「あぁ」
「みな、あなたより強かったのではありませんか」
「剣は最初にヴォルフに教わった。乗馬も彼らに教えもらった。短槍は、ヴォルフに教えてもらう約束だったが、約束だけで終わってしまった」
兄のような父のような人達だった。
「もし、彼らがあなたのことが嫌いなら、本当に護衛騎士を辞めたいのならば、方法はいくらでもあったでしょうに。それこそ、刺客のせいにしてあなたを殺してしまって、口裏を合わせておけばよかった。違いますか。見殺しにもできたはずです」
アリエルの物騒な発言に思わず、ルートヴィッヒは腕の中のアリエルを見下ろした。真剣な目をしていた。
「ずいぶんと過激だな」
ルートヴィッヒは、アリエルが言うようなことを、考えたこともなかった。
「護衛だ。私の警護ができなかったというのであれば、それはそれで問題になる」
「でも、糾弾されても、殺されることはないのではありませんか。皆さん、それくらい知っていたと思いますよ」
アリエルが何を言おうとしているのか、わからなかった。
「いつでも自分達の手で殺せる子供を、見殺しにできる子供を、彼らは守ることを選んだのです。きっとみんなルーイのことを大切に思ってくれていたのですよ」
「それは」
新月の夜、黒尽くめの集団が襲ってきた。
「お逃げください、早く」
彼らの声は今でも耳の底で木霊している。
「我々は後から行きます。さぁ早く、走って」
そう言った者もいた。でも、誰も来なかった。
「ほとんど皆、今の私より若かった」
父のように、兄のように思っていた彼らの年齢に追いつき、追い抜く日がくるとは思っていなかった。
「彼らより長く、生きるとは思っていなかった」
自分のせいで死んでしまった者達よりも、長く生きて、彼らが生きることのなかった日々を、ルートヴィッヒが生きようとしている。
「お会いしたことはない方々ですから、勝手なことを言いますけれど。せっかく助けたあなたが不幸せであるより、幸せな方が、きっと喜んでくれます」
アリエルの言葉にも何も言えなかった。
「火事のとき、あなたも町の人を助けたでしょう。危ない場面もあったと、町の人から聞きました。そうやって助けた彼らが、幸せな方が、あなたも良いのではありませんか。避難所で、色々な人に会います。何もかも失って、大変な中、彼らが泣いたり、笑ったりしています。ルーイ、あなたもあの人達が笑ってくれている方がいいでしょう。そのために、今、忙しくても仕事を頑張っておられるではないですか」
「偽善だ」
王宮内で囁かれていることくらい知っていた。それくらい分かっていた。赤の他人に言われなくても、ルートヴィッヒは己の偽善を知っていた。
「所詮、結局は偽善だ」
多くの護衛騎士を死なせながらも生き残ったルートヴィッヒを、死神殿下と聞えよがしに言う声は絶えなかった。今も胸の内で罵っているだろう。
「言わせておけばいいのです。誰が何と言おうと、町の人達は、あなたのことを慕ってくれていますもの」
「だが、私のせいで死んだ」
「火付けをしたのは、侯爵に脅された人です。ルーイ、あなたに助けられた人もちゃんといます。あなたが居なければ、死んでいた人も多いのです。私もあなたに助けられたではありませんか。あなたの護衛だった人達は、あなたを助けました。あなたは町の人を助けた。彼らは、あなたを助けることで、町の人も助けたのです」
アリエルの言うようなことなど、考えたこともなかった。
「私は」
「あなたが誰かを助けることは、亡くなってしまった彼らが、誰かを助けることにもなります。きっと。だから、ルーイ、自分を責めないで。せっかく彼らが助けてくれたのです。あなたが誰かを助けたら、彼らの死は無駄になりません」
言葉が、出なかった。
「あなたが生きて、人を助けることで、彼らの死は無駄になりません。だから、あなたは生きるのです。生きましょう、ルーイ。ベルンハルト様がいかにこの国の民のために、良い政を行おうにも御一人では出来ません。あなたは竜騎士として陛下に仕えておられます。竜騎士達も、あなたと一緒にこの国を守ってくれています。宰相代行としても、あなたはこの国のために、尽力しておられます」
アリエルの手が優しくルートヴィッヒの胸に触れ、頬が寄せられた。
「ルーイ、自分を大切にしてください。あなたが命を助けられたことで、沢山の人を助けることができているではありませんか」
「アリエル。私は」
「お願いです。自分を大切にしてください」
ルートヴィッヒの胸に、縋りつくようにしてアリエルが涙を流した。
「ルーイ、お願いです。自分を大切にしてください。お願いです。自分を責めないでください」
「アリエル、私は。彼らは、私を恨んではいないのか」
「恨むなら、もっとずっと前に、あなたを殺すことなど容易だったはずです。それに養父はあなたからの手紙を、とても大切にしていたではないですか」
「アリエル」
ルートヴィッヒの頬にアリエルは口づけた。
「ルーイ、生きましょう。生きて幸せになりましょう。たくさんの人を幸せにできるように、これからも。だから、あなた自身を大切にしてください。自分を責めるあなたを見ていると、怖いのです」
アリエルの唇は、涙の味がした。
「アリエル、泣くな。お前が泣くと、どうしていいかわからない」
ルートヴィッヒは、アリエルの涙に濡れた頬を撫でた。
「泣きたくて泣いているわけではありません」
アリエルの目元にそっとルートヴィッヒは唇を寄せた。
「アリエル。愛している。お前を一人にしない。約束しよう。他人のために泣ける優しいお前を愛している」
「優しくなど」
言いかけたアリエルの唇を、ルートヴィッヒは優しく覆った。
「愛している。お前がいてくれて、よかった。お前はどうか、先に逝かないでくれ」
「ルーイがそれを約束してくれるなら」
「難しいな。努力するとなら約束できるが」
過去の危険な日々も、今の多忙な日々もルートヴィッヒが望んだわけではない。
「難しいですね。努力するという約束が、約束といえるでしょうか」
真似をされたのだろうか。眉間に皺を寄せたアリエルの顰めっ面は、どこか微笑ましかった。どちらからともなく笑いが溢れた。




