7)ルートヴィッヒの過去とアリエル2
「アリエル」
答えないアリエルを、ルートヴィッヒは抱き上げた。
「お前はもう休め」
ルートヴィッヒは、アリエルの部屋の寝台に腰かけると、そっとアリエルを寝台に寝かせようとした。アリエルは、ルートヴィッヒに抱き着いたまま、離れるのを拒んだ。
「アリエル、どうした」
困惑したルートヴィッヒの声がした。離れないアリエルにあきらめたのか、ルートヴィッヒは寝台に腰かけ、またアリエルを膝に乗せた。
「どうした、今日は」
「ルーイは私にあなたの心配もするなと言うのですか」
ルートヴィッヒの胸に顔をうずめたままのアリエルから声がした。
「アリエル」
「何があったか、どうして話してくれないのですか。私が頼りになりませんか。信用できませんか。私は、役に立たないのですか」
泣くようなアリエルの声に、ルートヴィッヒは戸惑った。
「違う、違う、そうじゃない」
「昨日から一日待ちました。いつまで待てばいいですか、あなたが何かに苦しんでいるのに、どうして、私は、私だけ。ベルンハルト様も、エドワルド様もご存じですよね。書記官達も知っているみたいでした。どうして私だけ除け者ですか」
「違う!」
ルートヴィッヒは叫んだ。
「違う、そうじゃない。頼む、違う、お願いだ、違うんだ、お願いだ」
どう言葉にすべきかなど、ルートヴィッヒにはわからない。
「私は、お前を喪いたくない」
ルートヴィッヒはアリエルを抱きしめた。
「それだけだ。それだけなのに、お前を喪いたくないだけなのに」
ルートヴィッヒは権力など欲しくはない。権力争いなど、二度と関わりたくない。だが、仕掛けてくる者はいくらでもいるのだ。
「エドワルド殿下に、従兄弟が欲しいと言われた。お前に伯母上になってほしいと。私が願わないとでも、思っておられるのか。私がどれほど願ったか。だが、そんなことをしたら、お前がまた狙われたら。次は助けられるかわからない。お前も、母のように殺されてしまったら、私はどうしたらいい。皆死んだ。私と関わる者は、皆死んだ。皆殺された」
纏わりつくような血の匂い、温もりが残るのに動かない身体。どこも見ていない目、薄く開いたままの口。徐々に冷たくなり、色の変わっていく指先。ほんの少し前まで皆生きていたのに。彼らの遺体は片付けられ、部屋は何もなかったように整えられ、新しい護衛騎士達がやってきた。
「皆、私を庇って、私のために死んでいった。家族もいたのに、務めを果たすのも護衛騎士としての誇りだ、覚悟していると言われた」
幼い頃からルートヴィッヒはベルンハルトと常に一緒だった。ベルンハルトは国王になる。ルートヴィッヒは国王となったベルンハルトを支えるのだというテレジアの言葉を信じていた。
国王は、国政も二人の息子のことも顧みず、その時々の愛人と過ごすことだけに熱心だった。国政は王妃のテレジアと、その父の侯爵が担っていた。
テレジアは、ベルンハルトと同じ教育を、ルートヴィッヒに受けさせてくれた。テレジアとベルンハルトが会う時は、ルートヴィッヒは侍従達と一緒に、部屋に控えていた。テレジアは、ルートヴィッヒにも、言葉をくれた。稀に抱きしめてくれた。テレジアが厳しい人であることも、ルートヴィッヒの母ではないことも知っていた。生さぬ仲という言葉を知ったのはいつ頃だったろう。
テレジアが稀に見せてくれる優しさが嬉しかった。
「ベルンハルトを支えてくれることを、期待しています。よく頑張っているようですね」
気高く美しいテレジアの期待に応えたかった。
「あなたが優秀であれば、婿養子となることも容易でしょう。貴族となり、宰相として、ベルンハルトを支えてくれることを、楽しみにしています」
テレジアの語る未来を、ルートヴィッヒは信じていた。
先代の侯爵が亡くなり、代替わりとともに徐々に情勢が変わった。侯爵家の代替わりの隙をついて、ルートヴィッヒに第二王位継承権が授与された。あの日からすべてが変わった。
テレジアはルートヴィッヒが王位を狙うことになると言った。ルートヴィッヒは、自分にそんなつもりはない、王位継承権などいらないと訴えた。だが、テレジアはその立場にある以上、周りの者の意図で決まることだといった。
「あなたの意志ではなくても同じことです」
突き放すような、テレジアの言葉が悲しかった。
厳しい言葉を口にしたが、テレジアは、派閥争いを収めようと手を尽くしてくれた。
護衛騎士達は皆、優しかった。剣の相手をしてくれた。馬の乗り方を教えてくれた。あの頃の襲撃のことは、今も鮮明に覚えている。全員が、冷たい遺体になった。
「どうか、お逃げください」
「どうか、我々にはかまわずに」
「早く、走って、走りなさい」
「我々は後から参ります」
「逃げなさい」
皆、そう言って死んでいった。死んだ彼らは重かった。皆、ルートヴィッヒのために死んだのだ。
「皆、私などいなければ死ぬことはなかった」
家を継ぐことなどない貴族の次男や三男、妾腹の者もいた。騎士として身を立てるか、どこかの婿養子となるか以外に選択肢などない。家から死ねと言われてきたも同然の彼らだが、ルートヴィッヒには優しかった。




