4)翌日の執務室2
エドワルドの前にルートヴィッヒは素早く跪き、頭を下げた。
「昨日は、殿下のお祝いの席で、場をわきまえぬことを申し上げ、申し訳ありませんでした」
ルートヴィッヒの抑揚のない声が執務室に低く響いた。
「ラインハルト侯。どうか、顔を上げられよ」
エドワルドの声に、ゆっくりルートヴィッヒは顔を上げた。
「申し訳なかった。あの場で突然、言うことではなかった」
エドワルドの言葉にゆっくりと、ルートヴィッヒは首を振った。
「いいえ、殿下。己を律するも竜騎士の務めにございます」
エドワルドは、泣きそうな顔でルートヴィッヒを見ていた。
「殿下」
エドワルドを気遣うルートヴィッヒに、エドワルドは泣き出してしまった。
「どうして、どうして、ラインハルト侯は、いつもいつも」
泣き出したエドワルドを、ルートヴィッヒは戸惑いながらも抱きしめた。慰めるように、頭を撫でた。
「すまない、ことをした」
「いいえ」
ルートヴィッヒは、エドワルドの涙を拭いてやった。立ち上がろうとしたルートヴィッヒを一瞬の眩暈が襲い、よろめいた。
「ルーイ」
慌ててベルンハルトが立ち上がった頃には、ルートヴィッヒは普段どおり立っていた。
「お気遣いなく。少しの眩暈です」
ルートヴィッヒは、エドワルドをベルンハルトの隣に座らせると、気遣うように見上げるアリエルの隣に腰を下ろした。
「大丈夫だ」
不安そうに見上げるアリエルの額に、ルートヴィッヒはそっと口づけた。
「何があったか、教えてください」
ルートヴィッヒは首を振った。
「今日でなくても良いですから」
ルートヴィッヒは黙ったまま、何も言わなかった。
「兄貴は疲れすぎだよ」
呼ばれてもいないのに、影の一人が現れた。
「仕事しすぎだ。何日も、ろくに寝てない。王様、あんたが寝てる間も、兄貴は仕事だ。疲れてるときに襲われたら、いくら兄貴でも死ぬぞ」
「お前は余計なことを」
ルートヴィッヒの渋面に、影は肩を竦めるだけだ。
「心配してくれているのです。無理をしているのは、団長様です」
「そうそう。もっと言ってやれ。どうせ兄貴は俺たちの言うことなんか、聞きやしないんだから」
アリエルの言葉に影が続けた。
「今日は、今日やらねばならないことが終わったら、早めに休みましょう」
アリエルの言葉にルートヴィッヒは首を振った。
「侯爵領の問題がある。過度に徴収していた税金といい、大量に収賄した結果の財産といい、調べるほど出てくる。領地の耕作地は荒れている。貧民街には、侯爵領に由来を持つものが多い。耕作地を整備して、彼らが暮らせるようにしてやりたい」
火災の時、貧民街の自警団の男達は、自分達の身を危険に晒しながらルートヴィッヒ達竜騎士を手伝ってくれた。ルートヴィッヒは彼らに報いたかった。
「全部団長様がお元気でないと、できないことです。団長様以外の方で、そのようなことまでお気遣いされる方は、そうそうおられないでしょうし。どうか、彼らのためを思うのでしたら、少しお休みになってください」
「種を蒔かねば収穫はない」
種を蒔くにも準備が必要だ。ルートヴィッヒには焦りがあった。
「今年間に合わなくても来年があります。もちろん、団長様がお元気であればですが」
アリエルの咎めるような口調に、ルートヴィッヒは苦笑した。
「焦りすぎか」
「何かをできるのは、生きている者だけです」
ルートヴィッヒは破顔して、隣に座るアリエルを抱きしめた。
「そうだな」
ルートヴィッヒは、抱きしめたアリエルの髪に顔を埋めた。
喪いたくない。それだけだ。下手に貴族達の注意を引くようなことは望まない。それなのに、宰相代行といい、広大な侯爵領といい、望まないものばかり手に入る。欲しいのはただ、愛おしいアリエルとの平穏な日々だった。ベルンハルトの治世を助け、部下である竜騎士達を育て、ベルンハルトとエドワルドを、いつか現れるエドワルドの妃や子供達を護ることができたら、それでよかったはずだった。
疲れ果てている自覚はあった。
ルートヴィッヒとアリエルは、休憩を早めに切り上げ、仕事に戻っていった。




