22)好奇心
季節が変わり、木々の葉はすっかり落ちた。真冬の澄んだ空気は、気が引き締まる。雪がふった王都は静かだ。ルートヴィッヒは窓を開け、執務室から外を見た。兵舎と竜舎は近い。この窓から外を見るのは、習慣だ。
「またやってるか」
アリエルを雇ってすぐに、竜舎で、隠れて何かしていることに気づいた。茂った葉に遮られよく見えなかった。竜舎に様子を見に行ったこともあるが、人の気配に気づいた竜が、教えてしまうらしく、アリエルは素知らぬ顔で、掃除や片付けといった、普通に竜丁らしい仕事をしていた。執務の合間に、竜舎で隠れて何かしているアリエルを見るのは、楽しみの一つになっていた。
葉が枯れ落ちると、何をしているかよく見える。アリエルは棒を振っていた。アリエルの養父でもあるヴォルフは、短槍を得意としていた。アリエルの扱う棒の先端は、真っ直ぐな軌跡を描いていた。執務室の窓から見ていると、竜舎の窓をとおして、アリエルの動きが見えた。木の葉に遮られていた時に比べ、動きにぶれがない。
「腕を上げたな」
ルートヴィッヒは、ヴォルフに、アリエルにとっては養父である男に短槍を教わる約束だった。その約束が果たされる前に、彼はルートヴィッヒの元を去ってしまった。
「同じ師匠に教わった、か」
ルートヴィッヒの腕の中でヴォルフは息を引き取った。アリエルを引き取っていると知ったら、安心してくれるだろうか。リヒャルトにかつて、兄弟子だと言われたことに背を押され、ルートヴィッヒは竜舎に向かった。
「竜丁」
「はい」
ルートヴィッヒに上から見られていたことを知らないのだろう。今日も、アリエルは、素知らぬ顔で掃除をしていた。真冬に薄着で掃除をして、頬が上気することなどないはずだ。
「手合わせをしろ」
「えっ」
「お前が何かしていることは、知っている」
ルートヴィッヒが手を上から下に動かすと、何のことかわかったらしい。
「そんな。下手くそなのに。見られてしまったなんて。いつか、ばれると思っていましたけど」
アリエルが愕然とする様が面白い。
「お前の得物を持ってこい。ちゃんと、木剣を用意しておいたからいいだろう」
アリエルは何か文句を言いながら、トールの檻から棒を持って出てきた。
「団長様、右利きですよね。左にしてください。怖いから」
「右で大丈夫だ。止めてやる」
「私、素人ですよ。止められませんよ。当たるとも思いませんけど」
アリエルの持つ棒は、アリエル自身の身の丈よりも短かった。
「構わん。かかってこい。当たったときは、避けなかった私の問題だ。気にするな。思い切ってやれ」
ルートヴィッヒは意図していなかったが、アリエルは何度も養父から同じことを言われていた。
アリエルの表情が変わった。
「では、よろしくお願いいたします」
流れるように構えたアリエルの表情は鋭いままだ。そのまま、ルートヴィッヒの左へ回り込もうとするようにゆっくりと動く。
「面白いな」
背を取ろうというのだろう。ルートヴィッヒは様子を見ようと軽く突いたが、アリエルは足を運び、棒で弾いて軌跡を変えた。
「いい目だ」
素人ながら、アリエルはいい動きをした。本当のことを言えば、アリエルの養父であったヴォルフと、手合わせをしたかった。だが、彼の弟子であるアリエルとの手合わせも、それなりに面白いものでもあった。
「器用だな。面白い」
ルートヴィッヒの知らない動きもあった。それはそうだろう。アリエルのほうが長い時間を彼と過ごしたのだ。彼が編み出した新しい技を、教えられていてもおかしくない。少し、羨ましかった。
そろそろ終わらせようと思って、突きを放った瞬間、剣に衝撃が加わった。体勢を崩された。膝裏にアリエルの棒があたり、次にみぞおちギリギリで棒が止まった。
「ほう。私の負けだな」
ルートヴィッヒは、ヴォルフには剣の手ほどきを受けた。兄弟子にあたるルートヴィッヒが、アリエルに短槍で1本とられたときいたら、ヴォルフは何というだろうか。
「入った」
アリエルが呆然と言った。呆然としていたが、すっと姿勢を正した。
「ありがとうございました」
アリエルは綺麗にお辞儀をした。
「狙っていたな」
アリエルは一度も足を狙ってこなかった。満面の笑みを浮かべているから、最初から狙っていたのだろう。
「最後に絶対突きだと思って、待っていました。同じ手は二度と使えません。次はないでしょう。次は嫌ですよ。もう、見切られているから、手も足も出ないでしょうし」
アリエルの言う通り、同じ手で二度も負けることはない。
「一度でも勝てば勝ちだ。実践では二度目はない」
「実践では、ずっと一対一でなんて無理です。ありがとうございました」
もう一度礼をいうと、アリエルは、棒をもって、トールの檻に入っていった。上機嫌でトールに抱き着いているから、狙い通りになったことがうれしかったのだろう。
「やはり、竜丁の隠し事を手伝っていたな」
ルートヴィッヒの言葉に、トールは知らぬというように、そっぽを向く。
「まぁ。いい。竜丁、あれは、お前はヴォルフに教わったのか」
手合わせをしてみて、やはり知らない技だと分かったルートヴィッヒの関心は止まらない。
「はい」
「その前に、剣を打ったのか」
「あれは、落としたんです」
「落とす?」
「説明は難しいんですけど」
アリエルが言いよどんだ。
「重心をかけて落とすんです」
王都竜騎士団の団長として、この国の軍の要として、アリエルが本当にヴォルフから教わったのか。間者である可能性がないのか、調べるほうが先決だろう。だが、竜達に懐かれるアリエルが何らかの悪意を持っているとは思えなかった。可能性の低い疑いを追求するより、己の好奇心をルートヴィッヒは優先することにした。
「そうか。竜丁」
「はい」
「教えろ」
「え、今、何とおっしゃいました」
「私にヴォルフから教わったという技を教えてくれ」
「そんな、団長様のほうが、ずっと強いじゃないですか。私に何を教えろと」
「お前の棒の使い方だ。ヴォルフは短槍が得意だったはずだ。教えてもらう約束だったが、その前に、私の元を去らざるを得なくなった。ヴォルフの代わりに教えてくれたっていいだろう」
ルートヴィッヒにも子供の言うような屁理屈を言っているという自覚はあった。それでも、知りたいものは知りたいのだ。
「そんな、無茶です。私なんかが、トール、助けて、団長様を説得して。無理よ」
アリエルに抱き着かれたトールは、首を回してそっとアリエルをルートヴィッヒのほうに押した。
アリエルは慌てた。相手はこの国の最高峰である王都竜騎士団団長である。教えろといわれても、困るのだ。
「トール、違うでしょう。逆よ。私が団長様を教えるなんて、ありえないわ」
ー良いではないか。教えてやれ。“独りぼっち”が楽しそうだー
アリエルにしか聞こえない声が言う。ルートヴィッヒを子供の時から知るトールは、基本的にルートヴィッヒに甘い。
「トールが味方してくれない」
トールは、先ほどアリエルが隠したはずの棒を、咥えていた。
「あの、私、人に教えるには、その、まだまだなんというか」
「構わん」
ルートヴィッヒが鞍を置いてある棚に向かった。棚の最上段に手を伸ばした。
「同じものは用意してある」
言葉通り、ルートヴィッヒの手には、アリエルが持つのとほぼ同じ長さの棒があった。
「え、トール!」
ー知らん。前に棒を見つけて、何かしていたが、知らん。何も教えてないぞー
ルートヴィッヒは新しいおもちゃを見つけた少年のような目をしていた。ルートヴィッヒとエドワルドがよく似ていることに、あらためて気づいた。駄目といわれると思っていない、子供のような好奇心に満ちた目がアリエルをみていた。断るのが、かわいそうになってしまう。
「本当に私が教えるのでいいのですか」
「ヴォルフに教わったのは、お前だけだろう。他にいるのか」
「いないと思いますけれど。私、これを突き詰めた本職とかではないですよ」
「かまわん」
アリエルは、説得を諦めた。
「頑張ります」
「よろしく頼む」
ルートヴィッヒの言葉に、アリエルがほほ笑んだ。
「よろしくお願いいたします」
杖をわきに持ち、アリエルはゆっくりと、ヴォルフに教えられた構えをとった。




