魔女の過去(2')
「あぁもう、ほんっとうに手のかかる『出来の悪い妹』ができちゃった気分よ……」
私は、運ばれてきた湯気の立つ紅茶に砂糖をひとつ落とし、目の前で優雅にカップを傾ける男に向かって深々とため息をついた。
今日は久しぶりにインダルフと外に出て、テラス席でゆっくり昼食をとっている。
……とは言っても、優雅な休日なんて雰囲気とは程遠い。あの黒髪のガキ――ナージャを引き取るって話になってからというもの、怒涛の手続きと手配に追われて、まともに息をつく暇すらなかったのだから。
身寄りのない子供を孤児院から引き取るとなれば、当然ながら国の厳格な審査と、書類の山が立ちはだかる。
『孤児の引き取りに関する申請理由書』だの『身元保証人同意書』だの、何枚もの羊皮紙に署名させられた挙句、受付の個室で待っていたのは、役所特有の重苦しい空気だった。
『……さて、ミーナ様。審査にあたり、いくつか確認させていただきます。まず、受け入れ先となるご自宅の新しい生活環境の整備状況はどうなっておりますか? 一人用のお部屋とベッド、衣類の用意は済んでおりますの?』
『それから、保護監督者となられるあなたの、王国騎士団における役職、それから直近の給与額ならびに年間所得の証明はお持ちですか?』
お堅くて形式的な質問を矢継ぎ早に浴びせられ、説明するだけで胃が痛くなってきたわよ。
挙句の果てには、担当する役人のおばさんに、鼻の上にのせた眼鏡の奥から、こちらをあからさまに品定めするような胡散臭い目を向けられたのだ。
『……あなたのような、ご自身もまだお若い女騎士様ひとりで、本当に大丈夫なんですの?』
――大丈夫なわけないでしょ!!
喉まで出かかった叫びを必死で呑み込んだわよ。目の前で涼しい顔をしてパイを突っついているこの男が、あの場で無責任に「僕が身受人になる(※ただし面倒を見るのはミーナ)」なんて言い出さなければ、こんな苦労背負い込むはずなかったんだから!
「それで、彼女の様子はどうだい? 騎士団の養成所には馴染めているのかな」
インダルフは、さも思い出したかのようにナージャの様子を尋ねてきた。
……はぁ。私に対しても、いつもそのくらい気を配ってくれればいいのに。
「ああ、うまくやってるわよ。同世代の中じゃ間違いなく頭一つ抜けて最強。フォームも無茶苦茶だし剣の基本なんて欠片もないけど、あの異常な間合いの詰め方と斬撃の速度だけなら、もう今すぐにでも訓練生を卒業して実戦に出せるレベルよ」
私が投げやりに答えると、インダルフの唇が嬉しそうに弧を描いた。
何よそれ。自分の研究成果を褒められたときみたいに満足そうな顔しちゃってさ。……なんだか、胸の奥がモヤモヤする。
「やっぱりね、僕の立てた仮説通りだ。彼女はハイエルフの血を引いているから、肉体強化の魔術なんて、まるで息をするのと同じくらい無意識に使えているんだろうね」
「……え? ハイエルフのハーフ? ちょっと待って、私その話、初耳なんだけど」
「気づかなかったかい? 初めて彼女を見た時から、マナの光が淀みなく全身を巡っていて、吸い込まれそうに綺麗だなと思って観察していたんだ」
……ええっと。
出たわよ、天才特有の『言葉足らずすぎる超飛躍説明』。
落ち着いて、よく考えるのよミーナ。これまでの付き合いで鍛え上げられた脳内翻訳エンジンをフル回転させるのよ。
つまり、この魔術バカの言葉を正確に解釈すると……
(僕が路地裏で初めてナージャを見た時、彼女の身体に流れるマナの純度が異様なほど高く、美しく澄んでいるのを感じて、ただの人族ではないと一目で見抜いたんだ。これほど密度の高いマナ循環を持つ種族は、長寿と魔導の象徴であるエルフに近い。でも彼女はそれだけじゃなく、特別な詠唱も予備動作もなく、息をするような自然体で肉体強化の魔術を全身に及ぼしていた。そんな超高等な魔導適性が遺伝的に備わっているということは、通常のエルフではなく、その上位種である『ハイエルフ』の血が流れているに違いないよ)
――ということね!
……さすが私、完璧すぎる翻訳。伊達にこの天才君と幼少期から腐れ縁を続けてるわけじゃないわ。
「……ちょっと待ちなさいよ! ハイエルフなんて、この世で一番プライドが高くて面倒くさい極秘種族じゃない! そんなヤバい血筋の子供を、私は引き取っちゃったってこと!?」
ハイエルフなんて超閉鎖的で、外界との関わりを断絶している連中だ。そんな種族の子供を人間が育てているなんて知られたら、国家間のトラブルや厄介ごとが次々と舞い込んでくる未来しか見えないじゃない!
「ああ、その心配はないよ。だからこそ彼女は、あの孤児院に預けられていたんだろうからね」
「……」
だめだ、またこいつ、主語と理由を根こそぎ省いて喋り出したわ。
(※ミーナの脳内補足:
ハイエルフと黒髪の人族が何らかの理由で愛し合い、子供を残したのだろう。だがハイエルフの社会は排他的で、異種族との混血は絶対に許されない。きっと親は激しい迫害から子を守るために里を逃げ出したものの、その過酷な逃亡の果てに、人族の親も命を落としてしまったに違いないわ。
一人残された親は、幼い子を抱えて追っ手から逃げ回りながら、最後の力を振り絞ってこの国を目指したのね。ナージャの見た目は完全に黒髪の人族だから、危険なエルフの里ではなく、人族の世界で幸せに生きてほしいと願って孤児院に預けたんだ。
それに、いくら隠してもハイエルフの血は大量のマナを求める。せめて世界で一番マナが豊富なこのノルマン王国の孤児院を選んだのは、この子の命を繋ぐための、親の苦渋の決断だったのよ。……だから、親もすでに亡く、子供の行方も完全にくらませてある以上、今さらエルフの里から追っ手が来るような面倒は起こらない、と言いたいわけね)
……はぁー。そろそろこの男の思考を深読みするのに疲れてきたわ。
「……まあ、いいわよ。引き取ったからには、私の手で一人前の立派な騎士に育て上げてみせるわ」
「それがいいね。騎士を目指すならば幼くても国の手厚い保護や予算が下りる。彼女の身を守るにはそれが一番確実だ」
……あのパン屋の前でナージャを捕まえたあの一瞬で、ここまで計算して私に押し付けたってわけね。本当に恐ろしい頭脳をしてるわ。
でも、本当は……。
インダルフの持つ、常人離れした高い魔術センスと好奇心が、彼女の中に眠る『ハイエルフの血』に無意識に引き寄せられただけなんじゃないの?
結局のところ、ナージャはあなたの弟子みたいになっているじゃない。
私の制止も聞かず、毎日あなたの研究塔に不法侵入して入り浸ってる。周りの研究者たちだって、筆頭魔術師であるあなたが何も言わないから、黙認するしかないんだから。
(……嫉妬、よね。これ)
自分の心の中に小さく芽生えた黒い感情に気づいて、苦いお茶を飲み干した。
年甲斐もなく、あんな小さな女の子に嫉妬している自分が惨めで、おかしくて、やりきれない。
……そんなこと、考えたってどうしようもないのにね。
私とインダルフが、恋人として結ばれる未来なんて訪れない。
幼馴染としてこうして隣で笑い合ってはいるけれど――ここから先へ踏み出す境界線は、最初から存在しないのだ。
『魔術師は魔術師と、騎士は騎士と』
それが、この魔道王国ノルマンに古くから深く根付く、破ってはならない暗黙の理。
私の両親もそうだったし、インダルフの輝かしい名家もそう。代々、血統と魔力を保つために同じ階級同士で寄り添ってきた。
増してやインダルフは、十八歳にしてこの国を支える筆頭魔術師。その至高の魔術師の血を薄めるような婚姻なんて、たとえ本人が望んだとしても、国家や貴族街が総出で全力で潰しにかかるに決まっている。
(……もし、ハイエルフの稀少な血を引く彼女とならば、周りも『相応しい相手』として認めてしまうのかしら?)
そんな意地悪なタラレバが頭をよぎって、急に胸がキュッと締め付けられた。
「……どうしたの、ミーナ? 顔色が悪いけれど、どこか具合でも痛むかい?」
ふと視線を上げると、インダルフが心底心配そうに、あの透き通った優しい瞳で私を覗き込んんでいた。
「ううん。なんでもないわよ」
私は努めて明るく笑ってみせた。
……そうよ。今この瞬間、この人が私だけに向けられた優しい瞳で見てくれる。
ただの幼馴染としてでも、隣にいられる。それだけで、私には十分すぎるくらい幸せなはずじゃない。
(……ううん。本当は……それが一番、残酷なのかもしれないわね)
差し込む陽光の中で微笑むインダルフを見つめながら、私は冷えてしまった紅茶のカップを、そっと手の中で包み込んだ。




