暗殺者・チートVS.チート①
1
一面ガラス張りの正面玄関の扉を抜けて、宿『翠』へと入るシヴァ。同時に『マップ』と『サーチ』の魔法を口内で唱えたことで、今、彼の視界右上にはロビーの簡易マップとここにいる人物を示す光点が表示されるようになっていた。それを見てから簡単に辺りへと視線を走らせる――意外と人がおり、そこそこ繁盛しているように見受けられる。
それなりに豪奢なロビーを迷いのない足取りで進みゆく。
シヴァの歩調に合わせて大理石調の床がカツコツと音を響かせる中、さも自分は宿泊客であるかのように涼しい面持ちで受付前を通り過ぎて階段へと足を向ける。
フロントスタッフがちらり。シヴァに目を向けるも――それも一瞬。すぐに前を向いた。何も言ってこない。こういうのは堂々とした方が逆に怪しまれないものだと誰かから聞いたことがあったが、それは正しかったらしい。
そしてそのまま階段を上がる。目指すは三階四号室。
目的の人物――サライ・マカライはそこにいる。
一段上るごとに近づく敵に思いをはせる。どんな手を使ってくるのかは実際に戦ってみなくては分からないが、負ける気はない。そのつもりもない。
ふつふつと湧き上がる戦意を宥めるように、シヴァは腰に下げた剣の柄頭を撫でた。
1.5
所かわって三〇四号室――その室内。
そこそこ良い調度品が程よく配置されている空間。魔石灯の灯りに照らされた部屋の中央。そこに置かれた丸テーブルに座り、外からの雨音を音楽代わりに読書を楽しむ、外見的特徴に乏しい男が一人。
彼こそが貌無しの異名で知られる暗殺者、サライ・マカライその人である。
「……うん?」
読書中だったサライは小さな音に気付き、読んでいる本から視線を剥がして目の前の机上を見やる。
そこには何冊もの本が置かれており、その中の一冊、その角が、独りでにパラララと高速でめくられていた。
めくるめくページ。
そこでは棒と丸で描かれた人間――棒人間――の絵が動いていた。いわゆる動画である。
場所はホテルの廊下のようであり、そこをきょろきょろしながら歩く棒人間の頭からはマンガのような吹き出しが生え、その中には『304』の文字が書かれている。それはサライが泊まっている部屋の番号と符合しており、どうやら棒人間はそこを捜しながら歩いているようだ。
301、302、303号室……
と、通り過ぎてゆき。ついには目当ての304号室へとたどり着いた棒人間は――どういう訳か、そのまま通り越してしまった。
そして廊下の端まで来ると、304号室を見つけられなかったぞ? とばかりに頭の左右に?マークを浮かべ、次にはずっと出ていた吹き出しの中の304の文字が消えた。頭を左右に傾ける棒人間は?マークを量産し、そのままホテルを後にしてしまう。
まるでホテルに来た目的自体を忘れたかのような結末で動画は終わった。
それはまるでアニメーション。いわゆる『パラパラ漫画』と呼ばれるモノで。
それはここバニイップには存在しない技術。
地球人という前世を持つサライだけの知識であり、また、パラパラ漫画に書かれた内容を現実世界に反映するという異能でもあった。
それが今、発動している。
それはつまり、自分に対して害意を持って近づいてきている人物がいるということだ。
サライはその事実に目を細めつつ、パラパラ漫画の内容を確かめると、口角を上げた。なるほど、私の居場所を突き止めたのか、と。これは自分の部屋を突き止めた、敵意ある人間が来たときのみ発動する自動防衛型のパラパラ漫画だった。
名付けたタイトルは『欺瞞』。相手の目をごまかし、騙して追い返す内容にピッタリの題名だろう。
それにしても。
意外と早かったなと感心するとともに、どうせ徒労に終わるのにご苦労なことだと馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
サライの描いたパラパラ漫画の内容は絶対であり、必ず現実でも同じ展開となる。少なくとも今まではそうであった。
だから今回もきっとそうなる。
自分の泊まっている部屋の番号を知られていてもたどり着けない。そして部屋を通り過ぎてしまえばここへ来た目的すらも見失う。そんな内容のパラパラ漫画を描いたのだから。この異能が発動した時点で、未来は確定したも同然。つまりは自分の身の安全も保障されたも同然。
だから。
サライは興味を失ったとばかりに今もめくられ続けている本を眺めるのをやめて、読書へと戻った。
パラパラ漫画が止まった時には、招かざる客はこの宿から帰っていることだろうから。
2
同時刻。
三階に上りついたシヴァは、部屋番号のプレートを確認しながら、ゆっくりと廊下を歩いていた。
探すは三〇四号室。その番号を頭の中で反芻しつつ、三〇一号室から順繰りに見ていくのだが……どうにも違和感があった。
頭の中で反芻している部屋番号。単純な三桁の数字であるのに、それを正しく認識できているような、できていないような。そんな違和感。
違和感でいえばもう一つ。
目の前で確認している部屋番号もまた、正しく認識できていないような気がするシヴァ。網膜を通して得た視覚情報が脳に上手く伝達されていないかのように目の前を通り過ぎていく……気がする。今過ぎた部屋は、はて、何号室だったか。
何かおかしいと思いつつも、何がおかしいのか分からないままに数えて四つ目、お目当ての部屋の前へと来たシヴァは――三〇四号室を素通りした。そこが探していた部屋であることも気づかない……いや、気づけないままに、上手く認識できない部屋番号を頭の中で反芻しながら、今しがた通り過ぎた三〇四号室を捜して、捜して、果てには見つけられぬまま、廊下の端まできてしまった。
この時すでに、シヴァはここに来た目的を見失いつつあった。
どこを探したかったのか。
誰を捜してここに来たのだったか。
それらが全て記憶の奥、もやの彼方へと連れ去られようとした、次の瞬間――シヴァの頭が小刻みに震えたかのような振動に見舞われた。
それはある意味、慣れ親しんだ振動。
「――っ!?」
この振動は本来、彼の“頭“ではなく、”手“に馴染んだモノ。ゲームをやっているときに、何らかの動作や行動によって起こるコントローラーのバイブレーション機能。今頭で感じたのはその振動そのものだったのだ。
と、同時に、記憶のもやの奥へと連れ去られそうになっていた、ここに来た目的を思い出した。
三〇四号室に潜伏している貌無しことサライ・マカライの捕縛ないし排除。
それが自分の受けた依頼だと思い出したシヴァは、目の前の部屋の番号を確認する。
三〇九号室。
先ほどまでの曖昧さはなく、正しく認識できている。自分が探している三〇四号室もそう。問題なく反芻できる。
先ほどまで認識できていなかったのは、恐らくは貌無しの妨害。どうやったのかは皆目見当がつかないが、この認識機能の低下を引き起こす妨害によって、貌無しと呼ばれる暗殺者は今まで誰に見つかることなく逃げおおせていたのだろうことは確信した。
そしてシヴァが唐突に目的を思い出せたのには、先ほどの振動で見当がついている。
敵の『異常化攻撃』に対する抵抗。
レジスト成功のさいにコントローラーが震えるのはEFシリーズの定番演出であるからして間違いないだろう。
そう思い、メニュー画面にある『行動・戦闘の履歴』に目を通せば【欺瞞のレジストに成功しました】とあった。欺瞞というのが貌無しが行った異常化攻撃らしい。欺瞞とは敵の目を欺くことの意。なるほど納得である。
それにしても。
全能力をカンストし、そんじょそこらの異常化攻撃を跳ね除けるシヴァに短時間とはいえ異常状態に陥らせてみせた貌無し。さすがは各国の一部貴族などが仕事を頼みこむ一流の暗殺者といったところか。しかも精神操作系ときた。なかなかに恐ろしい。
抵抗できて本当に良かったと胸をなでおろすシヴァ。
とはいえ、一度抵抗に成功すればそれ以降はかかることはないので、貌無しの『欺瞞』とやらに警戒する必要はなくなった。
だからといって油断する気はない。妨害を受けたということは、敵はすでにシヴァの存在に気付いている証左でもあるからだ。『欺瞞』を防いだとはいえ、妨害の方法がアレ一つとは思えない。思ってはいけない。
気を引き締めながら廊下を引き返し、三〇四号室の前へと戻ってきたシヴァは、眼前の扉を睨みつけた。
2.5
「ん?」
異音に気づいたサライは再び顔を机上へと移す。そこでは先程までとは違う動きを見せる本の姿があった。
準繰りの動きを止め、数ページ進んでは一ページ戻り、一ページ進んでは数ページ戻る。かと思いきやこれまで通りの動きを見せたかと思えば逆再生かのように先頭ページまで戻り、また進む。時には進むか戻るかを悩むような素振りすら見せる。
このような動きを見たことのないサライは困惑し、この世界にはない異世界の言葉を、同じくこの世界にはない異世界の言語で口にした。
「……Did you have a bug?」
怪訝な眼差しで見守る中、挙動不審な動きを見せていた本は、遂に糸が切れた操り人形のように、パタンと音を立てながら力なく表紙を閉じたのだった。
それきり、うんともすんとも言わなくなった本を見やりながらサライは確信する。
どうやったかは知らないが、自分を捜しに来た敵は、自分の異能を破ったようだと。
今まで破られたことのないサライは少なからず動揺を受けた。が、それも心の表面にさざ波が起きた程度。さざ波はそれ以上の大きな波にふくれることなく、すぐに凪いだ。
破られたのは数あるパラパラ漫画の一つだけで、サライの持つ異能自体が破られたわけではない。
彼は座ったまま首を巡らせて部屋の中を見渡す。
机の上、ベッドの上、使っていない椅子の上。他にも様々なところに本が置かれていた。その数二〇冊以上。それら全てにパラパラ漫画が描かれている。
分散配置しているのは、自分の異能のネタを相手に知られ、万が一本を攻撃されて失うことを回避するためである。一か所に纏めて置いていれば一度の攻撃で全てを失う恐れがあるが、分散していればその限りではない。
サライは自分の異能に絶対の自信を持っているが、盲信はしていないつもりだ。だから必要以上のリスクは回避する。だからこその分散配置。先程あげた場所以外――ベッドの下など、部屋に入ってきただけでは視線の届かない所にも本を置いてある。あまり自分から離れすぎると発動しなくなるので部屋の外などには置いてはいないが、それでも相手の意表はつけるだろう。見える範囲の本を片したと思って油断した相手には特に。
これまでは使ったことのない、飽くまでも保険の意味合いが強かった手。
されど、今回の相手はどうやら厄介な敵のようだ。保険はいくらあっても無駄にはならないだろう。
サライは部屋の中を点検するかのように見渡していた視線を、施錠した扉へと向けた。
その向こうに佇んでいるであろう、まだ見ぬ敵を値踏みするかのように。
扉を無理に破壊して入ってこようとすれば、壊された扉と同じく侵入者の体が粉々になるパラパラ漫画がある。
ノックして誘い出そうとすれば、サライの声を真似た入室を認める声がする。それに応じて扉を開けば、そこは部屋の中ではなく怪物の口の中で丸のみにされるパラパラ漫画もあった。
他にも入室を拒むパラパラ漫画は多々あるが、正解はただ一つ。正規の鍵を使って解錠すること。ただし、カウンターで鍵を借りようとすればそれを妨害するパラパラ漫画も豊富に用意している。
描いたパラパラ漫画を現実に反映できる異能を持っていながら、この用意周到さ。だからこそ彼は三十年以上、ただの一度も捕まったことはない。
(さあどうする? 招かざるお客人)
サライはお手並み拝見とばかりに薄っすらと笑うのだった。




