暗殺者・指名依頼
序
八月上旬。
朝からあいにくの雨模様のようで、外からの雨音が室内に静かに響いている。気分は陰鬱な空と同じく下り調子。それでも仕事にとエンドレス・ファンタジーⅩⅥ仕様で家を出たシヴァは、玄関先の庇から重苦しい鉛色の空を見上げてため息を漏らす。どしゃ降りというほどでもないけども、それなりの雨量。
気温を下げてくれるのは嬉しいけど、外を歩く身としてはあまり嬉しくないなぁともう一度ため息。諦めてマントのフードを被ると、庇から出て職場たる冒険者ギルドへと向かう。
雨に濡れるのは好きではないが、雨の中を歩くのは好きだ。矛盾した考えだとシヴァも思うが、好きなものは好きなのだから仕方ない。
例えば雨粒がマントをたたく音。例えば雨に濡れて黒光りする歩道。分厚い雲が太陽の光を遮るから薄暗いので、朝から灯りをともす街灯。雨粒を弾く青々とした葉と雫を抱える花々。雨の中をゆく路面ニアーツが雨風景に映える。そんな中を歩くのが好きだ。思わず鼻歌をこぼすくらいには。
よし、今日は簡単な依頼を探そう。無ければ休みの方向で。そのままギルドのバーで外を眺めながら一杯、てのもいいなぁ。
そんなことを考えながら軽い足取りで街を行く。
こうしてシヴァの一日が始まった――
1
「シヴァ様に指名依頼が入っております」
――はずだった。
ギルドに着いて、なにか簡単な依頼はないかと受付に行けば、そこで仕事モードのリリィからの言葉に「……えぇ~?」と心底いやそうな声を漏らすシヴァ。
指名依頼。特定の冒険者を名指しで依頼を申し込む制度。
依頼達成率が高い冒険者が指名される場合が多く、それは信頼度が高い証明であり、指名依頼をされること自体誉れなことともいえる。当然、報酬も通常よりも高い。
だが、大抵の場合、面倒な仕事内容であることが多い。それもそのはずで、面倒もしくは厄介な内容だからこそ、信頼のおける冒険者に高い報酬を支払って頼るのだ。
これまで幾つか受けたことがあったシヴァは、恐らく今回のも面倒で厄介な依頼に違いないと、E・FⅩⅥの能力、直感:9999を無駄に働かせつつぼやく。今日は簡単な依頼だけ受けるつもりだったんだがなあ、と。
「なあリリィ、それって断ることはできるか?」
「残念ながら依頼主は当ギルドの副所長ですので」
ということは、強制依頼。ギルド直々の指名依頼に対して、ギルド所属の組合員は拒否権を持たないとする規約がある。
「つまりは断れない……か」
がくりと受付カウンターに額をつけるシヴァに「ご愁傷様です」と苦笑を返すリリィ。
「……それで、仕事の内容はここで聞けばいいのか?」
気を取り直してカウンターから顔を上げつつ訊ねる。
「いえ、副所長からはいつもの応接室に来てほしい、との言伝を受けています」
そちらの方でお聞きになってください。とのリリィに、二回しか行ったことのない応接室を『いつもの』というのはどうなんだろうな。とシヴァが苦笑交じりに言いながら席を立てば、向こうは小さく笑う。その笑顔にシヴァも周りの男性冒険者も見惚れてしまった。美人の笑顔は絵になるからね。仕方ないね。
仕事、頑張ってくださいね。との励ましの言葉に背中を押されながら指定の応接間へと足を向けるシヴァ。
(副所長直々の指名依頼、か。どんな依頼かなぁ。面倒じゃないといいけど……無理だろうなあ)
2
「やあシヴァ殿。急に呼び立ててしまってすまないね」
職員の案内で通された応接間で待たされること二十分ほど。ふかふかのソファーに腰を沈めながら、出された紅茶としっとりとしたクッキーを楽しみつつ、正面の大きな窓から雨の街を眺めていると、後ろの扉が開く音とともに最近聞きなれてきた男性の声が。
振り向けば予想通り、冒険者ギルド副所長という肩書を持つマルクスがいた。
「構わない。で? 指名依頼ということだったがどういった内容だ?」
マルクスが対面のソファーに座るのを待って、挨拶もなしにシヴァが用件を問う。礼儀がなっていないが、組合員が断れない案件を持ってくる奴には十分だ。
そんなシヴァの心情をお見通しなのか、副所長は別段イヤな顔一つ見せずに、むしろせっかちだなあと言わんばかりの苦笑を漏らしながら口を開いた。実に大人である。
「シヴァ殿は『貌無し』という暗殺者を知っているかい?」
「貌無し?」
異世界歴数ヵ月のシヴァに聞き覚えがあるはずもなく。しかも暗殺者という。こちらで一般的に有名な人物もまだまだ把握できてもいないのに、そんな裏稼業の人間なぞ殊更知るはずもない。シヴァは正直に首を横に振って知らないと答えた。
「まあ、シヴァ殿が知らないのも無理もない。貌無しという暗殺者は裏の世界ではとても有名でね、知らない者はいないといえるくらいさ」
そこまで言ったところで職員が入って来て、マルクスの分の紅茶を置いて出ていく。それを見送ったマルクスは唇を紅茶で湿らせたあと、もう一度口を開く。
「貌無し――名前はサライ・マカライ。灼熱の国ウルの地方都市生まれの四十代男性。身長は一七〇中ごろで中肉中背。人相はこんな感じだね」
マルクスから人相書きを渡されたシヴァはそれを見る。背は平均、顔立ちも平均。金の頭髪はやや薄い。ということ以外はパっとしない、どこにでもいそうな中年男性。強いて言えば、特徴がないのが特徴か。恐らくこの人相書きを手に、件の男性が目の前を通っても見逃してしまうかもしれない。そんな人物。
ある意味、暗殺者としては都合のいい顔ともいえる。
シヴァの人物評に「言い得て妙だね」と薄く笑いながらマルクスは説明を続ける。
「その男は二十代ごろから裏の世界で名前が知られるようになり、瞬く間に知らぬ者はいないと言われるようになった大物さ」
なぜなら――
「貌無しは依頼された仕事を一度たりとも失敗したことがないからね。狙われた相手は護衛をつけていてもいつの間にか死んでいる。誰にも教えていない場所にいても殺される。厳重な警備を布いていても不可解な死を遂げる。だから国や身分を問わず人気者さ」
手口は不明。殺害方法も不明。魔法を使われた形跡もなく、毒物などの形跡もない。
そも、いづれもが訳の分からない死に方をしているのだ。
突然、全身が風船のように膨らんだかと思った瞬間に破裂して死亡。全身がねじくれて死亡。血液が沸騰して死亡。食事中に突然テーブルクロスが独りでに複雑に折りたたまれて虎の形となり、それに襲われて食い殺される等々。
貌無しによる犯行と思われる暗殺事件は、いづれも常軌を逸している。
世界を股にかけて仕事をする、貌無しサライとはそういう暗殺者さ。とマルクスは締めくくる。
「……なるほど。……なるほどね」
シヴァは小さく頷いた。そして内心で頭を抱えもした。
そんな危険極まりない人物の名が挙がり、説明もされる。シヴァの直感:9999が嫌な予感をビンビンに感じ取る。まあ、ここまで分かりやすければ誰でも気づくと思うが。
「まさかとは思うが、指名依頼というのは俺にその暗殺者を?」
「うむ。貌無しを捕縛、もしくは排除してほしい」
マジかー。と天井を仰ぐシヴァ。
そんなよくわからない手口を使う暗殺者の捕縛? 排除? 随分と無茶を言う。
能力オールカンストしているE・FⅩⅥで臨めば多分、恐らく、きっと負けるとは思わないが、これは絶対面倒で厄介な依頼になるに違いない。そこは断言できるぞとシヴァは誰にでもなく胸を張る。
と、そこでシヴァは気づく。
「いや。そもそも、だ。本名や年齢、顔や出身国までわかっててなぜ未だに捕まっていない」
そこまで特定しているということは、それなりに証拠や裏付けが済んでいるということのはずで。それに、
「いかに不可解な手を使うとはいえ相手は独りなんだ。数を頼りに攻めればいかようにもできるはずだろう?」
それこそ捕縛や排除も可能なはず。
シヴァの指摘に二度頷いたマルクス。
「シヴァ殿の言い分は正しい。相手を特定することはできた。場合によっては潜伏先の国や場所も判明したことも何度かある。もちろんそこに、警備隊や騎士団で襲撃したこともね――だけれども、貌無しが今も生きていることが、その結果だ」
つまりは全滅、もしくは取り逃した。たった独りの暗殺者に、警備隊や騎士団がしてやられたのだ。
そもそも、居場所を把握できたのは、この三〇年でたったの三回。それも幸運に幸運が重なった結果のこと。
どんなに各国が網を張っても、警戒しても、それを容易くすり抜けて入国、仕事を果たし、出ていく。もしかしたら協力者がいるかもしれないが、それだけでは説明がつかないことも多い。
余りにも目撃者がいない。いても少ない。
余りにも足取りがつかめない。
判明するのは全てが終わったあと。その時には国を出ていった後なので、どうにもできない。
「……俺にそんな奴を相手にしろと? そも、隠れながら世界中を歩き回っているんなら居場所なんて――……もしかして、居場所が?」
各国が手を焼くほど、隠れ上手な暗殺者の捕縛ないし排除の依頼をする。それはつまり、居場所が判明しているのでは? とシヴァが思い至ると、
「まさしくそのもしやさ、シヴァ殿。居場所までは分かってはいないけど、貌無しは今、この街にいる。それは確実だ」
「マジかよ」
詳しく話を聞くシヴァ。
どうやら一週間ほど前、とある商会の会長が自宅のベッドで奇怪な死に方をしたという。
死因は窒息死。目撃者である使用人たちの証言によると、独りでに動いた毛布による犯行らしい。
もちろん当初は警ら隊も騎士団も信じなかったが、別方向からの情報により、使用人たちの証言の信憑性が増したのだった。
それは国の諜報機関からもたらされた情報。
――貌無しが国内に潜伏しており、何らかの仕事を負ってディンクに潜伏している可能性大。
この情報が正しいのであれば。貌無しがこの街に潜伏しているのなら。ヤツならば。ヤツの犯行であれば。
使用人たちの『毛布が独りでに動いて主を窒息死させた』という突拍子もない証言も、嘘ではないのかもしれない。
斯くして警ら隊や騎士団総出による貌無しの捜索が始まった――のだが。
街中隈なく探しても、影の一つも見当たらない。見つからない。
なのに偶に目撃情報が寄せられる。時には捜査員の視界の端に映る。
まるで自分たちをあざ笑うかのように、姿をちらつかせる。ほんの少しだけ、足跡をのこす。
確かにいるのだ。確かに潜んでいるのだ。この街に。自分たちの足元に。
なのに探せない。捕らえられない。潜伏先が分からない。
「……正直に言って、僕たちでは奴を捕らえるのは至難の業どころか、不可能だろう」
業腹だがね。と肩をすくめるマルクス。仕草こそ軽いが、その表情には確かな悔しさが滲んでいた。
「だからこその君だ、シヴァ殿。単独での迷宮攻略。その実力と能力を貸してほしい」
膝に手をつき、深々と頭を下げて頼み込んでくるマルクスの頭頂部をしばらく眺めていたシヴァは。
「……分かった。引き受けよう」
ため息一つ吐き出すとともに、頷いたのだった。
「恩に着る」
「まあ、どうせ断れない指名依頼だしな。この紅茶を飲んだら早速取り掛かるよ」
分かった。と苦笑を漏らすマルクスに、シヴァは鼻を鳴らしながら視線を切った。
気は乗らない。面倒そうだし、手口の分からない暗殺方法を持つ裏稼業の人間なんかとやりあいたくはない。……たくはないけど、引き受けないといけないような気がしたのだ。
この予感も、直感:9999によるものか? そう思いつつ紅茶を飲もうとカップを持ち上げて――眉をしかめた。
「……待ってる間に全部飲んだんだったか……」
こうして絶対に面倒になるであろう依頼が始まった。




