ディンクの女主人・下②
1
「さて、と。私のことを分かってもらえたところで、さっきシヴァが使った二つの魔法なんだけど。どうかな、私に教えてくれないかしら?」
人一人分の空いたスペース。その隙間を埋めるように、ベアトリーチェがしだれかかる。
妖艶な眼差し。蟲惑的に小さく開かれた唇。漏れる甘い吐息。呼吸の度に上下する豊満な胸。白磁の肌が、天井からの魔石灯の灯りを浴びて柔く輝く。
その様子を向かい側で見ていたマルクスが、小さく唾を飲み込んだ。
この世の者とは思えない妖艶な美女に頼まれれば、男であればどんな無茶でも叶えたくなるだろう。
それほどの美貌を前にシヴァは――
「それは無理かなあ」
あっさりと要求を跳ね除けたのだった。
断った理由は以前、格ゲーのキャラの能力で打ちのめしたオィンガスが弟子入りを希望したのを断った時と同じである。
その理由とは、ゲームの能力をどう教えろと? である。
今回使った『コンフィグ』にしろ『スケープ・ゴート』にしろ、どちらもゲームの魔法であり、使ったシヴァも単に魔法名を唱えただけで、あとは発動を待つだけというお手軽さである。
そもEFⅩⅥの魔法には詠唱すら存在しない。魔法の理論も無い。
いや、もしかしたら細かい設定ではあるのかもしれないが、設定にあまり興味がないシヴァは知らない。
故に教えられない。故に断るしかない。
ちなみにシヴァがベアトリーチェの妖艶さに平然と耐えられたのは、ひとえにステータスの高さゆえである。抵抗値を表す精神力が働いたのだ。そういう意味で彼女の持つ妖艶さはすでに、『魅了』の魔法の域に達していると言っても過言ではない。
「やっぱそうなるか。残念」
断られたベアトリーチェは、言うほどに残念がっているようには見えなかった。むしろどこか面白がっているようにシヴァには見えた。
事実、彼女は面白がっていた。
シヴァが自分に惑わされなかったからだ。
ベアトリーチェは自分の容姿や仕草が男を惹きつけることを幼い頃から知っていた。
人は美しい物に目を奪われる。まさにベアトリーチェがそうだった。誰も彼もが彼女を見ずにはいられない。
だが、度を過ぎた美はそれだけで呪いになることも、ベアトリーチェは知っている。
彼女の美貌に、彼女の一挙手一投足に心囚われた男たちに襲われかけたことは一度や二度ではない。何せ実の父親にまで襲われかけたのだから。
その度に生まれ持っていた魔法の才で撃退していたが。
ベアトリーチェの魔法を恐れ、次第に襲われることは減っていったが、それでも彼女に惑わされる者は後を絶たなかった。
それは、彼女に心安らぐ時間が無かったことを意味する。
先代のディンクの女主人がベアトリーチェの元へふらりとやってきたのは、彼女が十歳の時であった。
先代の魔女は腰の曲がった老女であった。
この時ベアトリーチェは部屋に居たのだが、この老女がどうやって入ってきたか分からなかった。
また、老女の眼光は鋭く、見つめられたベアトリーチェはどうやって侵入してきたのか問いただすことも出来ず身を強張めた。
「ふん。男が好きそうな顔をしているね。そりゃ襲われもするさ。今は無事に撃退できているようだが、アンタそのうち見ず知らずの男に純潔を奪われるだろうね」
無遠慮に見ていた老女は、やはり無遠慮にそう言い放った。それはベアトリーチェが危惧していたことであり、老女の言葉に幼い少女は心に釘を打ち込まれたような痛みを覚えたものだったが、
「それが嫌だったらあたしに付いてきな。魔力も才能もそう悪くない。お前にあたしの知識や力をくれてやろう。そうすりゃ、馬鹿な男たちに襲われることも純潔を奪われる未来もなくなるさ」
続く老女の言葉は逆に心に響いたのだった。
そして、少女は老婆に付いていき師事を受け、数年で何代目かの『ディンクの女主人』となった。
先代がどうしてベアトリーチェに目をつけたのかは定かではない。
知識と魔力、ギルドや街を取り仕切る豪商たちへのコネまでをひっくるめて引き渡した先代の魔女は、現れたときと同様にふらりとベアトリーチェの元から去っていってしまったので、真相は知れずじまい。
だがあの時、先代に『保護』されていなければ、ベアトリーチェは現在まで生娘のままでいることはできなかっただろう。
理由はどうあれ、ベアトリーチェは先代に恩を感じていた。だからこそ、魔法を極めようと思った。代々の魔女が作り上げてきた魔法の中には未完成の物が割りと多くあったからだ。
それを自分が完成させる。それが恩返しになると信じて。
元より誰に教わるでもなく魔法が扱えた彼女であったが、そのような事情から魔法以外に興味を持たない性格となってしまった。
ともあれ、先代から引き継いだ魔法の中に『インビジブル』があった。
それを普段から使い、男たちの視線から逃れてきたのだ。
今思えば、先代の魔女がベアトリーチェの部屋に誰にも知られずに忍び込めたのは、この魔法を使ったからだろう。
ともあれ、年々美しさを増していくベアトリーチェの美貌が放つ妖艶さは幼少時の比ではない。
彼女が見つめるだけで、いや、存在するだけで『魅了』の魔法と変わらないのであれば、確かにそれは呪いであった。
ベアトリーチェの吐息は男たちにとって美酒であり。
彼女の言葉は麻薬であり。
彼女の願いは勇者が女神から託される使命と同義であった。
だがそれを、シヴァは平然と断って見せたのだ。
それが愉快と言わずしてなんと言おうか。
(やはりこのシヴァという男、面白い)
魔法を教えて貰えないのは残念だけど、それは予想の範囲内。
教えてもらえないのであれば、盗めば良いだけだ。
自分の情報を見たであろう魔法は皆目つかないが、最初に使った『スケープ・ゴート』とかいう魔法であればどうにかなるだろう。
ベアトリーチェが持つ膨大な知識。ステータスの数値で言えば知識:5000に直感:240が組み合わされば、全く同じ魔法でなくてもそれに近い物ができるはずだ。
直感とは、魔法使いや魔女にとってすなわち閃きである。知識に裏打ちされた閃きは、時に新しい技術を生み出す。
代々の魔女が悩んできた不可視化の魔法。その完成形がおぼろげながらも、今代のディンクの女主人たるベアトリーチェの頭の中に描かれ始めていた。
それだけでシヴァと出会ったのは幸運と言える。
加えて、彼はまだまだオリジナル魔法を持っていると見た。
それが見たい。見てみたい。
ベアトリーチェは静かに高まる鼓動に気付くことなく、シヴァを見つめ続けるのだった。
彼女の興味はもはやシヴァの持つ魔法だけに留まらず、シヴァ自身にまで及んでいたのである。
2
「じゃあダンジョンの打ち合わせをするか。マルクス、俺たちがダンジョンに潜るのはいつでも良いのか?」
「うむ。だけど、できるだけ早いとなおBetterと言っておこう。ベアトリーチェ様の思惑があったとはいえ、腕が良いと評判の君にダンジョンに慣れて欲しいと言ったのは、僕の偽ざる本心だからね」
「それじゃ――今から行くか。ベアトリーチェもそれで良いか?」
シヴァは少し考え、そう言った。
「おいおいシヴァ殿。『功遅は拙速に如かず』という諺があるがね、それは余りにもせっかちと言うものだ。ゥレッスン、3『急がば回れ』だよ」
こんな時にもドヤ顔でレッスンを、しかも数までしっかりと覚えているとは。シヴァは呆れつつも言う。
「何、ただダンジョンを見てくるだけだ。危険だと判断したらすぐに引き上げるさ」
それなら問題ないだろう? と言うシヴァに対し、
「しかしだね」
マルクスはそれでも難色を示した。だが――
「私は構わないわ」
「ベアトリーチェ様まで……」
ベアトリーチェまでもが言うと、言葉を詰まらせてしまった。
街の発足当時から貢献してきた『ディンクの女主人』の発言は重い。ともすれば、街の有力者たちの言葉よりも。
その二つ名を受け継ぐ魔女が言うのだ。一ギルドの副所長たるマルクスに反論できるはずもない。
「ぬぬぅ……。分かりました」
唸った末に、とうとう認めたのだった。渋々という感じであったが。
「よし、早速行こう。……と、言いたいところだが、ベアトリーチェ」
勢いよくソファーから立ち上がったシヴァが、隣の魔女を見やる。
「何? 何か取りに帰る物でも――」
「ダンジョンの場所は知っているか?」
「…………ええ、問題なく」
その質問は予想できなかったのか、若干ベアトリーチェの視線が冷たい。
「……すまん。頼む」
ベアトリーチェの視線に耐えられず、目を逸らしながら頭を下げるシヴァに、彼女は目尻を和らげながら「任されたわ」と請け負ったのだった。
3
シヴァとベアトリーチェが出て行った後、一人残ったマルクスはソファーに腰を沈めながら思案に耽っていた。
(まさか、あのベアトリーチェ様よりも強い人がいるとはね)
しかもその相手は純粋な魔法使いではなく魔法戦士。相当な出鱈目だ。
(いやはや、世界は広い。勉学とは人生そのものだ、とは誰の格言だったかな? おっと、僕の名言だったか)
僕、良いこと言うなあ。とドヤ顔で自分を褒め称えるマルクスだったが、すぐにまた思案に耽る。
ベアトリーチェを上回る実力らしいシヴァが魔法ギルドではなく冒険者ギルドに所属していることは、ギルド全体のパワーバランスから見て幸運だった。
ディンクの女主人というのは、いわば切り札だ。それを上回る札すら魔法ギルドという一極に集中するのは好ましくない。
とはいえ、懸念もある。
シヴァの人格ではない。それも懸念の一つであったが、実際に話してみて、少しではあるが彼の人となりも分かった。シヴァは自らの力に溺れるような人間ではないだろうから、さほど危険視する必要はないと判断していた。これからも動向に注意する必要はあるだろうが。
では、マルクスが懸念していることは何か。
それは街の有力者たちのことであった。
ベアトリーチェは魔法ギルドの切り札であると同時に、彼らの切り札でもあるのだ。
そんな彼女を上回るワイルドカード。それがシヴァだ。
シヴァの実力が知られると、彼らがどう動くか判断に難しい。
ベアトリーチェがシヴァに興味を示していることから下手な手は打ってこないとは思うが。
(自分へのレッスン2、『油断大敵』。後手を打つ前に、先手を取らないとね)
幸い、まだ下位ランクであるシヴァの詳しい情報は彼らの手には出回っていないはずだ。出回っているにしても、これまで何のアプローチもないことから眉唾な話にしか思っていないのだろう。
であれば、まだ十分に手は打てる。
マルクスはテーブルの上にある呼び鈴を鳴らし、すぐに訪れた職員に命令を出した。
「現時刻をもってシヴァ殿の情報を機密扱いとする。加えて、現在流れているシヴァ殿の情報にいくらか尾びれをつけて拡散しろ。それこそ、聞いただけで鼻で笑うようなものをね」
職員は静かに頭を下げ、命令を実行に移すべく退室していった。
「せっかく手に入れた切り札だ。自分たちの既得権益を守ることにしか能のない者たちに横取りされては堪らないからね。覚えておくといい、無能なる有力者たち。『情報と切り札を有効に使う者にこそ、女神は微笑む』という格言を。ちなみに、これも僕の名言だ。それも覚えておくと良い」
やっぱ僕って良いこと言うなあ。と髭をしごきながら、誰も居ない応接室でドヤ顔をするマルクスであった。
第29話・了
第30話 ダンジョンに続く




