ディンクの女主人・上
1
七月下旬の商業都市ディンク。その昼下がり。
すっかり夏模様の青空には天に向かってそびえる入道雲がいくつも浮かび、街路樹からはセミのような昆虫の雄達がやはりセミのような声をメスに向かって声高に歌っている。
その歌声を頼りに捕食者が忍び寄り、一瞬にして歌声は悲鳴へと変わるのも、地球と変わらぬ異世界の夏の風物詩のようだ。
中天に座を構える太陽が、その威厳を示すように燦々と陽の光を都市に投げかけるものだから、住民達にとっては堪ったものではない。
それはギルド街へ向かって目抜き通りを歩く一人の冒険者――全身を蒼を基調とした鎧で身を固める、EFⅩⅥ仕様のシヴァも例外ではない。
彼は「あっつい……」とぼやきながら、途中の屋台で買ったホワイトドリンクを飲み飲み、暑さを誤魔化していた。よく冷えたドリンクがシヴァの体に溜まった熱を腹から冷ましてくれる。が、やはり暑いことには変わりない。
昼下がりだと言うのに人通りが少ないのも気のせいではないだろう。全てはこうも暑いのが悪いとシヴァは内心で悪態を吐く。だた、唯一の救いは日本のように湿気が多くなく、カラッとしていることと、都市を吹き抜ける風が多少冷たいことか。
高さ二〇メートルの防壁に囲まれたディンクだが、夏は防壁上部に設けられた風通しの通気孔とその内部に仕込まれている風を冷やす大型の魔道具によって、冷たい空気が常時都市を循環している。
とはいえ、その魔道具の性能を上回るほどの暑さであれば、後はもう人にできる事といえば太陽に向かって悪態を吐くか、自分に正直になって己の仕事を怠けるしかないだろう。
「……ハァ。今日は俺も休もうかな」
ぬるい溜め息を吐くシヴァ。
冒険者に決まった勤務時間もなければ定休日もない。働きたい時に働き、休みたい時に休む。それが冒険者の基本スタイル。
依頼を受けていない時はほぼ毎日のようにギルドに通うシヴァは圧倒的少数派である。
今年一番の暑さに、勤労意欲を奪われかけたその時、シヴァの後ろから路面ニアーツの音が近づいてきた。
都市の住民と、都市を訪れる人々の足として無料でディンク中を巡回している七両のニアーツ。各車両には決まったルートが存在し、中にはギルド街を通るニアーツもある。どの車両がどのルートを通るかは振り分けられている車両番号か、車両横に張られた巡回図で分かる。
果たして、シヴァの後ろから来るニアーツは――
「……助かった」
どうやら当たりだったようだ。
2
ニアーツのお陰でどうにかギルドに着いたシヴァ。冒険者ギルドの扉をくぐった途端、冷たい空気が彼を迎え入れた。
ギルドの中には魔石仕掛けの冷房が効いているのだ。
シヴァが体の熱と共に汗が引いていくのを心地よく味わっていると、どこからか声を掛けられた。
「ようシヴァ! 今日も依頼探しか?」
「まあな」
ロビーに併設されているバーから声を投げかけてきたのはオッサンの愛称で親しまれている冒険者仲間のガイだった。
シヴァは依頼が張られた掲示板には向かわずに、オッサンが座るテーブルの空いた椅子に腰を下ろす。
この暑さにすぐに仕事を探す気にはなれなかったのだ。
「こんな暑い日によくも精が出るもんだ。俺なんか汗しか出ねえぞ」
通りかかったウィトレスにビールを注文するシヴァに、オッサンことドワーフのガイは床に着かない足をぶらつかせながら苦笑を漏らす。
注文したビールはすぐに運ばれてきた。
「依頼は早い者勝ちだからな……とはいえ、この分だと急ぐ必要もなかったか」
シヴァはビールを一口飲み、ごった返しているバーをぐるりを見渡してため息をついた。
まだ昼下がりだというのに、店内はすでに満員状態。誰も彼も暑さで依頼を受ける気にならないのだろう。仕事や時間に縛られない冒険者たちらしい。
「ま、この暑さじゃな。てか、お前好みの変わった依頼なんざいつ来ても余ってらぁ」
「ふむ。確かにそれもそうだな」
オッサンが大量のウィンナーが乗った皿を差し出してくれる。酒のつまみにということだろう。ありがたく一本頂く。カリカリに焼けた皮がパキッと音を立てて破れると、香ばしい匂いと共に大量の肉汁が口内を満たした。溢れる唾もろとも肉を噛み、その旨みと皮の破ける感触を味わいながら飲み込めば、またビールが欲しくなる。その欲望に忠実に、シヴァはビールをゴクゴクと喉を鳴らして飲み干した。
「――ぷはぁーっ! ああ、やっぱ今日は依頼を探すの止めるか」
暑い日に飲むビールは最高に美味い。人を駄目にするくらいに。
いやしかし、折角ここまで来て依頼も見ないというのはどうだろう。勤労精神溢れる日本人らしくシヴァが悩んでいるところに、悪魔の誘惑が。
「そうしろそうしろ。ほれ、酒を美味くする灼熱の太陽様に乾杯!」
「……だな! 乾杯!」
ジョッキがぶつかり合い、小気味良い音と共にビールの泡が踊る。
悪魔の誘惑に、シヴァ陥落。
3
「シヴァ様、少しよろしいでしょうか?」
「ん?」
ギルドの職員が声をかけてきたのは、シヴァが三杯目のジョッキを空けた時だった。
「おう、トーマスじゃないか。元気してるか?」
職員の顔を見るなりオッサンがジョッキを掲げる。職員もオッサンを見やると会釈を返した。
オッサンは顔なじみのようだが、シヴァには職員の顔に見覚えはないし、依頼を受けているわけでもないので声を掛けられる覚えもない。
「俺に何か?」
「副所長がシヴァ様に話しがあるとお探しです。お休みのところ恐縮ですが――」
ついて来いということだろう。
副所長といえばギルドのナンバー2だ。そんな人物に名指しで呼び出される覚えはないのだが、同時に断る理由もない。
(権力者に無闇に逆らっても良い事は何もないだろうしな)
「分かった、案内してくれ」
「シヴァ、副所長に呼ばれるなんざ何かしでかしたか?」
ニマニマと笑みを浮かべながら冗談交じりに聞いてくるオッサンに、シヴァは肩を竦めた。
「まさか。とりあえず行って来る。飲んだ分の代金はここに置いとくよ」
インベントリから取り出したギルドカードから酒代を取り出しテーブルに置く。
ギルド職員の案内で歩き出したシヴァ。向かった先は、一階ロビーの隣にあるギルド関係者のみ立ち入りが出来る区域だった。
左右に幾つもの部屋がある長い廊下を歩き、最奥にほど近い扉の前で職員が止まると、その扉をノックした。
『誰か?』
扉の向こうから誰何する男性の声に、すぐさま職員の男性が答える。
「トーマスです。シヴァ様をお連れしました」
『ご苦労。入ってもらえ』
入室の許可が下りると職員が扉を開け、シヴァに入るよう視線で促してきた。ここまで来て引き返すこともあるまい。シヴァは足を踏み出した。
部屋はこじんまりとした応接室のようだ。シヴァには価値は分からないが、高価そうな調度品が室内を飾っている。また、部屋の中央にはテーブルと四人掛けのソファーが二つあった。
そのソファーの一つに、恰幅の良い中年男性が一人。歳は五十代といったところか。
白髪交じりの髪を丁寧に後ろへ撫でつけ、口元の髭も丁寧に整えられている。
服も見たところ皺一つない上に袖口などがレースで彩られているなど、高級感が溢れている。
豪華な身なりを鑑みるに、この男性が副所長と見て間違いないだろう。
男性が座るソファーとはテーブルを挟んだもう一つのソファー。
そこには女性が一人、ゆったりと腰掛けている。
シヴァはこの女性に見覚えがあった。
身を包む漆黒のローブも。
床にまで垂れている限りなく黒に近い深紫色の長い髪も。
陶磁器めいた白肌も、まるで人形を彷彿とさせる整いすぎた美貌も。
こちらを見つめる、眠たげな、気だるそうな金色の瞳にも。
見覚えがあった。
なぜなら――
先月、ミアの写真を撮ろうとシャシカノ仕様でギルドを訪れた際に見かけた、あの妖艶な女性であったからだ。
「……」
女性を見つめ返すシヴァを、件の女性は不思議そうに首を傾げたのだった。




