第28.5話 相馬の周りの女性たち・上
序
閉じられたカーテンの隙間から入り込む陽光が、線を引くようにして暗い室内を横断している。
「んん~~――――っ、ふぁあ」
部屋の主たる青年がベットの上で半身を起こし、眠っている間に凝り固まった体をほぐすようにして伸びをする。
目に涙を溜めて欠伸を漏らしているのは、シヴァこと柴崎相馬であった。
一七〇センチ中ごろの身長に程よく引き締まった体。平凡な顔つきは、とある友人から『ギャルゲの主人公のようだ』と評されるほどに、これといった特徴がない。
そんな彼が今いるのは異世界の自宅ではなく、日本は群馬県にある自らが所有するマンション宅であった。
友人のオタルに猫人族のミアの写真を渡してから数日が経っていたが、その間シヴァはずっと地球にいたのだ。
シヴァは枕元に置いてあったスマホで時刻を確認する。
朝の十一時過ぎ。
朝と言うよりは昼に近いが、会社勤めをしているわけではないシヴァには関係のないことであった。
両親から譲り受けたマンションやアパートを幾つか所有し、その全てが黒字を出しているので働く必要がないのだった。
「……コンビニ行くかぁ」
もぞもぞとベットから這い出し、外に出るための準備を始める半ニートの二十五歳。それがシヴァである。
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自宅を出たシヴァは、エレベーターを使ってロビーへと降りた。
オートロック式の出入り口には向かわず、その横にある管理人室へと足を伸ばす。
御用聞き用の窓から中を覗くと、椅子に座ってタブレットで本を読んでいる女性がひとり。
「よっす、昨日ぶりー」
シヴァの声に、中にいた人物が本を読むのを止めて顔を上げる。
「おはよう、相馬君。相変わらず朝が遅いね。土曜とはいえ、もう少し早く起きたら?」
「考えとく」
窓を開けて挨拶してきたのは、シヴァとそう歳の変わらない女性であった。
名前は木下奈々。歳は二十五。
シヴァの小学校時代からの友人であり、今はこのマンションに住みこみで働く管理人でもある。
クリッとした愛嬌のある瞳が印象的な、年齢よりもやや幼く見える顔。ほっそりとしているが、ちゃんと女性らしいラインを描いている体。
そして、膝から下が無い右足。
そこには義足が装着されていた。ナノカーボン製の骨とシリコンの肌で作られた義足は一見するだけでは生足と見紛うほどに精巧だ。
そう、この奈々という女性こそ、シヴァが異世界の友人であるオルドに話し、オルドと恋仲にあるグレーテルと同じ先天性欠損症の友人であった。
「こーら、女性の足をジロジロ見ない」
「っと、悪い悪い」
「見るなとは言わないけど、見るときは許可を取るように」
「分かった。で、調子はどうよ?」
「いつも通り。義足の調子も悪くないしね」
言って、義足をはめたほうの太ももをポンポンと叩く。
「だからジロジロ見ない」
「へいへい」
めっ! という風に眦を上げる奈々。と、ふわりと良い匂いが彼女のほうから漂ってきた。
「ん? なんか良い匂いするな」
「ああ、さっきお風呂に入ったからね」
スンスンと鼻を効かすシヴァに、表情を和らげた奈々が答えた。
「朝風呂かあ」
ということは、この匂いは入浴剤のものだろうか。
「シュワシュワ系?」
「シュワシュワ系」
「いいよなあ、アレ。こう、泡が一番激しいときに肩まで浸かると、もう天国」
シヴァがそう言うと、奈々は「相馬君、親父臭いよ」とクスクスと笑い出した。
「ああ、何だか俺も風呂に入りたくなってきた」
「ウチで入ってく?」
「奈々が一緒に入ってくれるんならな」
奈々が冗談めかして言うもんだから、シヴァもつい調子に乗ってしまう。
「いいけど、私は高いよ? 具体的に言えば相馬君の生涯賃金の半分」
「高っ! ってか、それって何気にプロポーズだよな」
「で、どうする? 一緒に入る?」
「遠慮する」
降参といった感じに両手を上げるシヴァに、「そっか、残念」とクスクス笑う奈々。
知り合ってから早十六年。二人の関係はまさに気が置けない友人であった。
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「あー、シヴァがまた管理人さんといちゃいちゃしてるー!」
シヴァと奈々が談笑していると、後ろから幼い声が飛んできたので、シヴァは「んん?」と振り返った。
そこにいたのは小学校低学年と思しき男女が三人。いずれもこのマンションの住人だ。
「なんだ、お前らか。今から遊びに行くのか?」
「おー! 川でザリガニ捕まえてくる! 俺のゴッドハンデが唸るぜ!」
「お兄ちゃんも行く?」
「それよかチューしろ、チュー!」
「ん、がんばって掴まえてこい、信二。あとゴッドハンデじゃなくてゴッドハンドな。悪い、果歩。お兄ちゃんは奈々とイチャイチャするのに忙しいから行けない。健、お前にチューしてやろうか?」
シヴァは、自分にまとわりつき、まくしたてる子ども達に答えていく。
名前を覚えていることからも分かるとおり、この子たちは顔なじみである。といっても、このマンションに住んでいる子ども達とはほぼ全員、顔なじみではあるが。だからといってシヴァにそういった性癖があるわけではない。
ワーキングプアの家庭を優先的に受け入れているこのマンションの特性上、働きに出ている親のかわりに子ども達の世話はマンションの住民全体で見ているのだ。オーナーであるシヴァも例外ではなく、たまに子ども達の面倒を見ており、面識があるのだ。
しかも子ども達の反応を見る限り、なかなかに好かれているようでもある。
「それじゃあ行ってくるぜー!」「行ってくるねー!」「チューしろー!」
「気をつけてけよー」
はーい! と声を揃えて自動ドアを抜けて走っていく子ども達を見送っていると、奈々がクスクスと笑い出した。
「相変わらず人気があるね、相馬君」
「俺は身内を全力で甘やかすタイプだからな」
「お陰でウチも助かってます、オーナー様」
「いやいやこちらこそ。面倒な管理人職、ご苦労様です」
畏まって頭を下げる奈々に、シヴァも丁寧に頭を下げる。同時に噴き出す二人。
奈々がここで働いているのは、シヴァの厚意に他ならない。
奈々の家は母子家庭なのだが、いわゆるワーキングプアであった。
女手一つで奈々を育ててきた母親だったが、六年前に長年の無理がたたって体を壊し、それまで働いていた会社を辞めざるをえなくなった。
奈々も母親の看病のため、会社を辞職。元々苦しかった家計は一気に悪化。借りていた安アパートの家賃すら満足に払えないほどであった。
それを偶然知ったシヴァが、だったらとこのマンションの管理人を勧めたのだ。
住み込みであるため住む場所の心配はなく、業務も簡単なものばかりなので母親の看病もしやすい。また、このマンションはワーキングプア家庭を支援していることから、市と県の両方から補助金をもらっているので家賃も驚くほどに安い。
最初、シヴァから誘いを受けた奈々は渋ったものだが、母親のことを思い、彼の厚意に甘えることにし、今に至る。
生活に余裕ができたことで奈々の母親の容態も落ち着き、最近では娘の手伝いなどをするまでに回復を見せていた。
ちなみに、木下親子の住まいは管理人室と隣接する隣の部屋がそうであり、中で繋がっていたりする。これは、シヴァが母親の看病をする奈々のことを考え、改築したものだ。
――身内を全力で甘やかす。
シヴァの言葉に偽りはない。
自分の資産目当てに近づく人間にはことさら冷たいが、一度身内と迎えた人間にはことさら甘いのが、シヴァという男であった。
ここに住む子ども達もシヴァからすれば身内であり、だからこそ全力で甘やかす。もちろん、悪い事をすればきちんと叱りもするが、基本的には甘い。
子どもの面倒を見れる人がいない時は預かるし、勉強を見たり一緒に遊びもする。また、小学生までの子には誕生日プレゼントやクリスマスプレゼントもやったりする。
子ども達からすれば、シヴァは気の良い兄みたいな存在なのだろう。
だが、こういうことを長年やっていれば、シヴァに恋心を抱く子も出てくる。
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「あれ、相馬お兄ちゃん? どこか行くの?」
制服姿の中学生くらいの女の子が自動ドアを抜けて入ってくるなり、奈々と話し込むシヴァを見つけて声をかけてきた。
ショートヘヤーに幼さの残る顔。起伏は乏しいがスラリとした体は、何かスポーツをしているのか引き締まって見える。そのためか、薄っすらと日に焼けた小麦色の肌と相まって少女に活発的な印象を与えていた。
彼女の名前は叶野唯。近くの中学校に通う二年生だ。
「ちょっと昼飯を買いにな。唯は休日なのに学校だったのか?」
「部活の朝錬。ほら」
言って、肩から提げたスポーツバックを見せた。唯は陸上部なのだ。
「お疲れさん。あ、そうだ、部活帰りだったらまだご飯まだだろ。一緒に食べに行くか?」
コンビニで済ますつもりだったが、部活でお腹を空かせていそうな唯を見てあっさりと予定を変更。身内に甘いと自負するのは伊達ではない。
「行く! 急いで着替えてくるからちょっと待ってて相馬お兄ちゃん!」
シヴァが提案すると、唯はすぐさま弾んだ声で返事を返し、階段へと走りだす。彼女の様子は、ご飯というよりも、シヴァと出かけられるから嬉しそうだ。
「そのままでも別に構わんぞー」
「汗臭いからやだー!」
「……別に匂わなかったけどな」
そう零すが、さすがは陸上部とだけあってすでに唯の姿は見えなかった。
「ふふっ、女の子はオシャレなんだよ。だけどホントに人気者だね、相馬君」
一部始終を見ていた奈々が笑いながら言えば、シヴァはポリポリと頬をかくしかない。
唯もシヴァに面倒を見てもらっていた一人で、その付き合いは四年ほどになる。多感な時期に面倒を見てもらっていたこともあって、唯の中にはシヴァに対する恋心があった。
「あ、奈々も一緒に行くか?」
「んー……それじゃ、お言葉に甘えようかな」
唯ちゃんには悪いけどね。との言葉は小さく、シヴァに耳には届かなかった。奈々は唯の気持ちに気付いているのだ。
「ちょっとお母さんに代わりお願いしてくるね」
席を立つ奈々。すぐに奥のほうから「お母さーん」と呼ぶ彼女の声が聞こえてきた。奈々の母親も随分と元気になったし、少しの間ならば大丈夫だろう。
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しばらくして三人が揃ったのだが、めかしこんできた唯がシヴァの隣に立つ奈々を見た途端に少し顔を曇らせた。
「あっと、奈々さんも一緒だったんだ」
「ん、大勢で食べたほうが美味しいだろ?」
「そうだけどさ」
奈々のことが嫌いなわけではない。むしろ好きなほうなのだが、シヴァと二人きりだと思っていたのでつい不満が顔に出ただけだ。
拗ねたように言う唯の耳元に、苦笑した奈々がそっと顔を寄せて――
「邪魔してごめんね?」
「いいいえいえいえ!」
一言謝れば、自分の気持ちを悟られていると知った唯が、今度は慌てて両手を振りながら奈々に謝り返す。
(も、もしかして気付いてた?)
(うん♪ 唯ちゃん分かりやすいし)
ひそひそと話し合う二人。
(うあ~……もしかして相馬お兄ちゃんにも気付かれてるかな?)
(それは大丈夫そうだよ。今はまだ唯ちゃんのこと妹みたいにしか思ってないっぽいから、懐かれてるくらいにしか思ってないんじゃないかな?)
(む~……気付かれてないのは良かったけど、それはそれで嫌だな)
不貞腐れる少女に、奈々はしょうがないなあとクスクス笑う。
(それじゃ、今度相馬君が好きそうな服を見繕ってあげるよ)
(ホントに!?)
(ホント。次の休みにでも買い物に行こっか)
(よろしくお願いします!)
(お願いされちゃいます。それじゃ、脱・妹を目指してがんばろ~♪)
(オー!)
小さく拳を突き上げる二人。
「何をひそひそとしてるんだ、お前らは」
シヴァがジト目を向けるが、ちゃんと会話が終わるのを待っていたあたり、律儀だ。
「何でもなーい」
「うん、なんでもないよ!」
ねー? と声を揃える奈々と唯。
だけど、ふと唯は思う。
――奈々さんは、相馬お兄ちゃんのことをどう思っているんだろう?
もしかして自分と好きなんだろうか? だけどすぐさま、その考えを頭を振って追い出す。
――だって。
ちらりと奈々をほうを見る。
「?」
唯の視線に気付き、首を傾げる奈々は当たり前だが大人っぽく、シヴァと並んでもおかしくない。
もし奈々がシヴァの事を好きならば、強敵だ。
――ただでさえ相馬お兄ちゃんの周りには、お兄ちゃんを狙っている(と思われる)女性が多いのに!
ここに奈々まで参戦となると、妹どまりである唯の勝ち目はさらに低くなる。
だけど負けない! ふんすと気合を入れる唯。それを微笑ましく見つめる奈々。
「ひそひそ話しも終わったようだし。そんじゃま、そろそろご飯食べに行くか。二人とも何が食べたい?」
「私は唯ちゃんに合わせるよ」
「ん~……じゃあステーキ! 特上!」
「おー、特上のステーキかー。さらりと高いものをねだるとか、子供は遠慮がなくて良いね。……ってか特上のステーキってなんだ?」
両手に花を従え、マンションを出る。
今日の昼食は随分と華やかに、そして賑やかになりそうだ。




