第五十三話 なぜ黙っていたのか
「十五年間」とイレーネは言った。「十五年間、この事実を知っていたのに——なぜ教えてくれなかったのですか」
怒っていると分かった。自分で分かった。
怒りを覚えることは珍しいのに、今は抑えられなかった。令の期限が切れていた。十年前に切れていた。それを知っていた人がここにいた。しかし何も言わなかった。春祭りの準備をして、色の旗を出した時も、ディートリヒが来た時も、「今は問題ない」と言った時も——何も言わなかった。
「……言っても意味がなかった」
クラウスが答えた。
「意味がない? それはどういう意味ですか」
「染める者がいない土地に、染色の権利があっても使えない」
「……」
言葉が、胸に入った。
「染める者がいない」という書き付けが、書斎の書類の隅にあった。あれは本当のことだったのだ。令の期限が切れた時、グラウエンには染める者がいなかった。染色の伝統が途絶えていた。権利が復活しても、使える者がいない。
「でも——」とイレーネは続けた。「今はわたしがいます。わたしが来てから、染め始めてから——なぜ今も黙っていたのですか」
クラウスが視線を少し外した。
「手続きが必要だった。証明する書類が必要だった。準備ができていない状態で話せば——かえって混乱する」
「準備ができてから、話すつもりでしたか」
「……そうだ」
「いつ」
「令の期限切れを正式に認めさせる書類が揃った時」
「それは——いつになりますか」
「……分からない」
怒りが、別の感情に変わりかけていた。
「この人は何かを守ろうとしていた」という感覚が来た。何を守ろうとしていたのかは、まだ分からない。でも、ただ隠していたのではない。「準備ができていない状態で話せばかえって混乱する」という言葉は、誰かを守ろうとする言葉だ。
「あなたが来るまでは」とクラウスが言った。「この令のことを、誰かに話す理由がなかった」
「……わたしが来てから、理由ができたということですか」
「あなたが来てから——」
続きが来なかった。
「来てから、何ですか」
クラウスが沈黙した。窓の外を向いた。いつもの「答えない」沈黙ではない。答えを探している沈黙だ。
言葉が見つからないのか。言い方が分からないのか。
どちらかは分からなかった。
「……今日はここまでにしろ」とクラウスが言った。
「まだ話の途中です」
「今日はここまでだ。続きは明日話す」
それ以上は言わなかった。
部屋を出た。廊下に出て、扉が閉まった。
「十五年間、一人で」という言葉が頭の中で繰り返された。
十五年前から令の期限切れを知っていた。染める者がいないと書き付けた。それを誰にも話さず、抱えてきた。何のために抱えていたのかは、まだ分からない。
「あなたが来てから——」の続きが、頭の中に残ったままだった。
明日、続きを話すと言った。
明日——その言葉が、今夜の眠れない時間をやけに長く感じさせた。
次話も更新されます。引き続きよろしくお願いします。




