第三十八話 春の染料園
雪が解け始めたのは、三月の初めだった。
旧染料園に行くと、石組みの縁に沿って、細い芽が出ていた。
「……出てる」
ヨハンが隣で「冬の間、根がしっかり生きとったな」と言った。
「これは茜草ですか」
「そうだ。雪の下で眠っていただけだ。こいつらは強い」
細い芽を踏まないように気をつけながら、畑を歩いた。去年よりも芽吹いている場所が多い。冬の間に根を保護した甲斐があった。
「今年は植え直しもします。茜草の苗を増やして、あそこに藍草を移植して」とイレーネは言った。
「ちょうどいい。苗は準備しとく」
「城の人たちも手伝いに来ていいですか」
「構わん。人手があれば早い」
翌日、若い使用人が数人来た。エルナとクリス、それに新しく加わったアンナという娘。三人が土を掘り起こし、苗を植え付ける作業を手伝ってくれた。
「這い出てきた芽って……なんかかわいいですね」とエルナが言った。
「来年、これが大きくなって染料になります」とイレーネが答えた。
「一年かかるんですか」
「染料植物は育ちに時間がかかります。急ぎすぎると根が細くなって、良い色が出ません」
「染色って、待つことが多いんですね」
「ほとんどが待つことです。発酵も、植物の成長も、季節も——染色師の仕事の半分は待つことかもしれません」
エルナは少し考えてから「でも何かを待っている時間って、楽しいですよね」と言った。
「そうです」とイレーネは笑った。
旧染料園の奥、ヨハンの師匠の木の場所に行った。
冬の間に細くなっていた枝から、新芽が出ていた。小さい、薄緑の芽。この木も冬を越した。
「今年も大丈夫でしたね」とイレーネが言うと、ヨハンが「しぶとい木だ」と言った。
「実は今年つくかもしれません」
「ヨハンさん、実がなったら教えてください」
「ああ、すぐに来い」
城に戻ると、工房が少し変わっていた。
作業台の上に、帳面と道具が整列している。エルナが「使う前にきれいにしておきました」と言った。自分で判断して掃除してくれた。
「ありがとうございます」
「奥様、今日の媒染は何を使いますか」
「今日は刈安の試験をします。野生化した刈安の葉の最初の試染です。媒染はミョウバンにしましょう」
「分かりました!準備します!」
工房に明るさが戻った。
冬の間の静けさとは違う、人の気配がある。声がある。
去年の秋に工房を作ったときから、こんなに人が集まるとは思っていなかった。
でも今は、ここに集まる人がいる。染め物を覚えたいという人がいる。
色は、広がっている。
夕方、工房の帳面を閉じながらふと思った。
祈り色の再挑戦は、春が安定したら最初にやろう。前回の失敗から仮説がある。今度こそ、もう少し先まで届けられるかもしれない。
まずは、明日の試染からだ。
次話も更新されます。引き続きよろしくお願いします。




