第三十七話 春を待ちながら
翌朝、クラウスの部屋の前に外套を置きに行った。
扉を叩こうとして——「持っていろ」と声がした。
開いていない扉の向こうから。
「……は?」
扉が少し開いた。クラウスの顔が見える。
「寒い。持っていろ」
「でも辺境伯様のものですから」
「予備がある」
それだけ言って、扉が閉まった。
イレーネは廊下に立ったまま、外套を持っていた。
「……そうですか」
仕方なく、持って戻った。
冬の工房は、染料植物が使えない分、調査と記録の作業になった。
地下蔵から布を一枚ずつ持ち出して、色名の対応を確認し、染料の推定を記録する。クラウスの外套を羽織りながら帳面に書き込んでいると、廊下に足音がした。
「まだ持っていたのか」
「……はい。寒いので」
クラウスが工房の戸口に立っていた。外套を見て、何も言わなかった。
「中に入りますか」
「少しだけ」
クラウスが入ってきて、布の並ぶ作業台を見た。
「今日は何をしている」
「古い布の色名を整理しています。地下蔵から持ち出した布と、ヨハンさんから聞いた色名を照合していて」
「霧朝という名前を見た。あれも地下蔵の布か」
「はい。裏に刺繍してありました」
「……霧朝の色は、まだ作れていないのか」
「まだです。春に染料が手に入れば試してみます」
「そうか」とクラウスは言って、作業台の布を一枚見た。
しばらく沈黙があった。
「来年、旧染料園でどんな色が作れそうか」
「茜はほぼ確実です。藍も先年より良い色が出ると思います。あとは——黄蘗が育てば黄色も。刈安の野生化したものが染料園に残っていますが、秋になれば……」
「祈り色は」
「来年こそは、近いところまで行けると思います。まだ何かが足りないので」
「……そうか」とクラウスは言った。「来年、祈り色を……」
「はい、来年こそは」とイレーネが続けた。
「……そうか」
クラウスは頷いた。
それから作業台の布をもう一度見て、「外は寒い」と言った。
「はい」
「外套は持っていろ」
出ていった。
「……先の話ができた」
外套を胸元で引き寄せながら、帳面に向かった。
春になったら染めたい色のリストがある。茜、藍、刈安、霧朝の候補植物——一つずつ書いていくと、ページが埋まった。
今は冬だ。でも、春は来る。
それだけが確かだった。
次話も更新されます。引き続きよろしくお願いします。




