S.L.F.
「S.L.F.とは《神霊解放戦線》の略、英語で”Spiritual Liberation Front”」
説教も炊き出しも終わった後、自衛隊の隊員達を率いていた男が牧野先生の愚痴とも相談ともつかない話に付き合って説明をしてくれた。教会員達は知っていても太基達には初耳なので、その辺りは気を遣いながら話してくれている。
「大層な名前」
ぽつりと紫珠乃が呟く。その呟きが聞こえたのか、説明している鈍渡と名乗った男は肩をすくめてみせた。太基が『アバター』として認識したのもこの男なのだが、今は黒い靄の気配は薄い。とても遠くから離れて見つめられているような感覚だ。
「ちなみにDSというのはディープステートの略ですかね。昔からある陰謀論の中でも有名どころかと。SNSが使えない分、注目されたいだけの馬鹿はほぼ無し。対面でのコミュニケーションで広がる噂だから拡散速度も緩やかだ。反面、文字として残らないから拡散範囲と内容の把握が面倒臭い」
自衛隊としても、困難とは言いつつ情報収集は欠かしていない。そうして集まってきた噂話の内容はといえば。
・旧日本政府と自衛隊は対抗策として人工地震の軍事運用を研究していた。だから例のあの日の地震は人工地震である。
・ディープステートは台湾有事を敢えて引き起こし、それを皮切りに世界大戦を仕掛けた。本当の日本はその前線になって、人工地震の技術を武器に立ち回っている
・自衛隊はアメリカのディープステートと共同作戦を展開している。日本国内でそれを知られてはならないから、ディープステートのために自衛隊が日本を制圧してインターネットを遮断した。
・ディープステートはアメリカのシリコンバレーも抱き込んで《認知戦による世界の支配》を望んでいる。
・未来の子供達の平和を守るためには自衛隊が利用されている現状を阻止し、外国勢力を排除しなければならない。
「彼等の主張を要約すると『日本がディープステートに支配されて世界大戦に加担している』と」
「馬鹿なの?」
「馬鹿を通り越して狂ってる」
「隊長、言い方……」
紫珠乃はあっさり馬鹿だと切り捨てた。鈍渡さんもうんざりしていることを隠そうともしない。
「ははは、悪いな川端」
「絶対悪いって思ってないですよね……とにかく、そういう状況でキリスト教っていうのは欧米勢力、つまりディープステートとかいうのと同じ側だと見られやすいです。今朝みたいに明らかに嫌がらせされたなら、ちょっと身辺気をつけていただいたほうがいいかと」
「その神霊解放戦線っていうのが襲撃してくるってことですか?」
「そうですね、分かりやすく暴力に訴えるか嫌がらせか分かりませんが、警戒しててください」
警戒しろ。そう言われたところであくまでも一般人だというのに、どうしろというのか。誰もが困惑して顔を見合わせるばかりだ。
「もうっ! 来るなら来てみいっちゅうねん! 人に拳振り上げる奴が教会に来るなら上等や!」
「何でそうなるんだ?!」
「兄さん、人に拳振り上げる奴がそのまま無事で済むと思うか? やられたらやり返す、そうなってまうのが人間の弱さやと思わんか?」
「それはそうでしょう。だから先生には警戒してくれと」
「それで扉閉ざしたらアカンねん。拳振り上げるんやない、隣人を愛してやれって誰かが言うてやらんと。神様は拳振り上げる奴が悔い改めるのを喜ぶお方や。誰かにやり返されて喜ぶお方やあらへん」
牧野先生がパッと教会員達を振り向く。さっきまで困惑していた教会員達が苦笑いしながら頷いていた。牧野先生はどんな人も絶対に切り捨てない。ジョーさんは例外として、全員がいい歳したオジさん、爺さん集団である彼らは牧野先生との付き合いも長い。諦めて腹を括るということを知っていた。
「それで何かあったら俺達に知らせがくるんだが」
「もしかして神霊解放戦線に対抗する任務で大阪にいるんですか?」
いつの間にか文里が鈍渡さんに質問していた。待ってましたと言わんばかりに手を挙げている。どこまでも好奇心に忠実だ。きっと訊いてみたくて仕方がなかったに違いない。その様子が可笑しくて、太基は噴き出しそうだった。
「いや、大阪府を中心に西日本一帯の危機対応で。作戦名『JFT-大和』、日本がもう一度世界と繋がった時に備えた危機管理……といえば格好良いですが。現状は生活支援と治安維持です。五年近く国外、及び東日本との繋がりが遮断されていますので」
「はあ、それで類例を見ない長期任務なんですね。確かに急に海外と隔離されたなら、逆に急に元に戻ることもあり得ます。その時、国防はどうしても考えなければならない」
「その通りです。そのための心構えがあるかどうかだけでも違うので折に触れて色んな方に国防の話をしています。手応えは少ないですが」
「お疲れ様です。しかし、『日本がもう一度世界と繋がった時』と仰いましたが、もしかして東日本も鎖国状態か……」
「や、あくまで仮定です。確実なのは西日本。我々、色んなパターンを想定してはいますが、市民の皆様には一番簡単かつ想定しておいてほしいパターンでお話ししてます」
「そういうことでしたか。うーん、東京とは切り離されていないんじゃないかって密かに期待してたんだけどなあ……国家公務員の給与って国からですし」
「その辺り、当面の隊員の生活に関わるところは主に大阪府と色々話し合いです。生還したら改めて国と話し合いでしょうか」
彼らが話しているうちに漸く少しだけ日が傾いてきた。とはいえまだまだ暑くて日陰にいても容赦無く喉が渇いてくる。
最低限の水で鍋を洗う作業も終わりそうだった。次は教会に帰って明日の水を確保する手伝いだ。汚れた水を蒸留して水を得なければならない。帰ろうとする太基達のもとにさっきの市役所の人、南波さんが歩いてきた。
「皆さん、いつもありがとうございます! えーと、君は誰だっけ? 初めてかな? 初めてなら何か気付いたこととかあったら教えて欲しいんだけど」
「玖村です。気付いたことは無いです、ごめんなさい。とにかく水が無くて大変で、いっぱいいっぱいで。この辺、湧水とか無いんですよね?」
訊いてから愚問だったと後悔した。湧水なんて無いから少しの水にさえ事欠くというのに。
「湧水は無いねえ。あったとして飲めるような綺麗な水かどうかは分からないけど」
「湧水って綺麗じゃないんですか?」
太基の実家は、すぐ近くに湧水が出る場所が二ヶ所あった。祖父はそのまま飲んで平気だと言った。
「えー、動物の死骸や糞を通ってくるかもしれないじゃない」
「でもそのうちただの土に還るじゃないですか、そういう悪いものも全部。だから深いところから湧いてくる水は大丈夫かなって」
この辺りは祖父の受け売りで話しているので自信は無い。実はいい加減にしか解っていないことを口にしているのが段々と申し訳なくなってくる。
「そんなものかなあ。でもそう言えば上水道の水も川か湖から取水していたんだった。僕はそういう理系っぽいことは全く駄目だから考えた事もなかったけど」
「上水道?」
「飲める水を街の全部に行き渡るようにすることね。地震で断水して、一時、一部地域で復旧したこともあったけど消毒薬が無くなったとかで放棄されてそのままだ。そうか、上水道の仕組みか湧水の仕組みを調べて『あとは消毒だけ』の水に出来れば、それだけで全然違うなあ。よし、取り敢えず根回しかな!」
そのまま南波さんは太基に一緒に来るように合図をして歩き出した。
「鈍渡さーん! 鈍渡さんって理系だっけー? 何系ー?」
「工学! 叫ばんでも聞こえてるって」
「煮沸消毒だけで飲める水の用意って考えたことある?」
「あるぞ。川の水の濾過と沈澱だな」
「あったんだ。躓いた理由は?」
「衛生面。特に下流が酷い。自分の拠点近くの側溝から垂れ流しにする奴が多すぎる」
「皆がそうしてるから仕方ないか。ね、玖村君の町ではどうだったの?」
今度はいきなり太基へ質問がとぶ。太基を引っ張ってきたのはこのためか。
「僕の家は山奥の一軒家で、近くに湧水がありました。下流の浜松だと川の水を殆どそのまま使ってて。トイレとか地面に穴掘っただけで自然に土に還るのに任せてるとこがいっぱいあって」
「うん、やっぱり下水だねえ」
「浜松の事は一緒に来ている壹拾さん達のほうが詳しいです。とにかく、今みたいに山の樹が無くなってるのは駄目だと思います。奈良で熊とか鹿が出たり、伊勢でツツジ毒入り蜂蜜が出回ったりしてる原因かもしれないので」
「そんなことになってるの? 鈍渡さん知ってた?」
「知らん。事実なら対策しなきゃならんが、俺達もそこまで自由には動けん。南波ちゃん、楽しいお仕事の時間じゃないか?」
「いい感じに纏めてこいってことね。オーケー、二人とも突然市役所に呼んだりするかも。よろしくねー」
ぶんぶん手を振って、南波さんはあっという間に居なくなってしまった。それを見送ってから鈍渡さんも立ち上がる。明日に備えて帰投するそうだ。文里に一礼した後、太基のほうに向き直った。
「さて、俺はあくまで任務を優先したいんでな。今のところ君の後ろやあっちの母子に憑いてるモノと事を構えるつもりはない。当面、気配を抑えててもらえると有難いね」
分かったね、と言い聞かせるように鈍渡さんは太基の頭をぐしゃぐしゃと大きな手で撫でていった。




