⑨ 秘密の昼食会場
「じゃあ、そろそろお暇しましょうか、京子さん?」
そうサン・ジェルマンに促されて、京子も立ち去ろうとするが、最後にどうしても疑問に思ったことを口にした。
「この絵、ジョコンダ夫人ではなかったのですね?」
するとレオナルドが答えた。
「描き始めのころはそのつもりだったが…アレには別の絵を渡しておいたよ。この絵は描いているうちに、貴女のことを思い出してしまって、貴女に似て来てしまったんだ。コレにはもう愛着が湧いて、手放すことができそうもないな。」
「何だか申し訳ない気分です。」
「とんでもない。絵の仕上げに向けて、再び貴女に逢えて本当に良かったよ。来てくれてとても感謝しているんだ。」
レオナルドは泣き笑いしている。
「じゃあ、絵の完成を未来で楽しみにしているわね。」
「ああ、まかせておくれ。」
彼が完璧主義者ゆえに、本人が❝完成した❞と宣言した絵は、この世に一枚も無いことは有名である。その件は❝モナ・リザ❞と言えども例外ではないことは、京子も良く知っていた。
二人はレオナルドに別れを告げ、再び車中の人となった。
「なかなか良い出会いだったでしょう?」
サン・ジェルマンが胸を張った。
「サプライズが過ぎるわよ。」
そう言いながら、京子もまんざら悪い気分では無かった。
「さて、そろそろ昼食にしましょう。」
そう言いながら、彼はまた次の目的地を入力した。
北緯35度68分東経139度71分
1964年10月10日13時30分
それは京子も良く知る日付だった。
窓の外の風景が流れ出し、やがて止まる。
二人は車外に出た。
今度はちゃんとした駐車場だ。
光学迷彩もホログラムの偽装も必要ない。
周りには多くの人々が居るが、皆動きを止めて、誰の声も聞こえない。
静寂そのものだ。これは異常だ。どうしたことなのだろう。
するとサン・ジェルマンが言った。
「見かけ上の時間を止めてあるんですよ。人目が多い場合に良くやる手なんですがね。正しくは、我々の動きの方が、周りの彼らよりもはるかに速いスピードである、ということなんですが。」
…もう何でも有りってことか。
京子はすっかり呆れることにも慣れてしまった。
二人で目の前のスタジアムに入る。
京子が観客席の上段に座ると、いつの間に買って来たのか、サン・ジェルマンからサンドイッチとオレンジジュースを渡された。
「さあ、始まりますよ。」
彼はそう言うと、指をパチリと鳴らした。
とたんに時が動き出し、盛大なファンファーレとともに、各国の国旗が一斉に掲揚された。
そして天皇陛下が御臨場し、君が代演奏の後、選手団の入場となった。
まさににその時、昭和の東京オリンピックの開会式が、スタートしたのであった。




