④ 万能の天才
少年は一心に目の前の虫の動きを見ていた。
かと思うと、そよぐ風に揺れる草花を注視したり、木々の間から降って来る枯葉の動きを見つめたりしていた。
その一つ一つの視線には、鬼気迫るような集中力が込められていた。
そして近づいてくる京子に対して、始めにチラリと目を向け、次にしっかり顔を向けて凝視した。
中世のイタリアの田舎に住む彼にとって、黄色いワンピースの上からコートを羽織った東洋人の女性は、さぞや珍しい姿だったのだろう。
※ 注意
以下の会話は全てイタリア語で行われています。
しかし、物語の進行上、日本語で書かれています。
「こんにちは。お姐さん。」
健気にも彼は、まず自分から京子に挨拶をした。
私のことを❝おばさん❞と言わなかったから、合格よ。
勝手ながら、京子はそう認定した。
「こんにちは。初めまして。私は京子です。あなたのお名前は?」
「僕はレオナルド。ここでお父さんがやって来るのを、待っているんだ。」
「そうなのね。ところで、さっきから何を見ていたの?」
「この世の全て。僕は僕の世界の全部のことを知りたいんだ。そしていつか僕の想像することを、全てやってみたいんだ。」
「そう。それは素敵な野望ね。」
まるでどこかの❝永遠の17歳❞が言っていたようなセリフだな、と京子は思った。
「お姐さんは、ここで何をしているの?ここは外国の人なんか滅多にやってこ来ない田舎だよ?」
「そうなんだ。今私は旅行中で、とても遠くからやって来たのよ。ねえ、ここは何という村なの?」
「ヴィンチ村だよ。やっぱり大した観光地も無いし、あんまり外国じゃ知られて無いよね?」
「!?」
京子は驚いた。
サン・ジェルマンがわざわざ接触させたということは、間違いない。
この少年はレオナルド・ダ・ヴィンチだ。
後の世で❝万能の天才❞と呼ばれる、正にその人だった。
「ねえ、お姐さん。」
「何かしら?」
「お姐さんはキレイな顔をしているね。僕はお姐さんの絵を描いてみたいな。」
今すぐにでも飛びつきたくなるような、何とも光栄な話である。
「…でも、今日はダメだな。また今度ね。」
あらあら、乙女心をくすぐるのが上手なこと。
「もうすぐお父さんが帰って来るんだ。お父さんはウチに時々しか帰って来ない。だから、都会の珍しい話が聞ける今日みたいな日は、とても貴重なんだ。」
5歳にしては語彙が豊富だ。
さすがは天才の片鱗、と言ったところかしら。
京子は勝手に少年を値踏みした。
「…まあ、でも、近いうちに私なんかが足元にも及ばない、凄い天才ぶりを発揮するのよね。」
京子はつい、口に出して言ってしまった。
レオナルドはそんな京子を、不思議そうに眺めていたのだった。




