#1「魔女狩りの夜、救いの鉤爪」
「おっと……しまった」
ろうそくに照らされた薄暗いレンガの部屋で、小さな金属器具を手から滑らせた男は、思わず小さな声でそう言った。
金属器具はカラカラと音を立てて、同じ部屋に居合わせた少女の足元に転がった。椅子に座ったその少女が、それを拾い上げて男に渡す。男はそれに対して礼を言う──恐らくそれが、一般的に予想されるやり取りであろう。
だが、少女はそうしなかった。足元に落とし物が転がってきながら、不親切にもそれを拾わなかった。
何故なら。
「っ…………ぎっ………………あ゛ぁっ……」
少女は、自身の小指の爪を剥がされた激痛に耐えるのに、ただただ必死だったからだ。
指先が燃えるように熱い。擦り傷に薬を塗られると酷く染みるが、その痛みを5倍にしても、この苦痛には遠く及ばないだろう。剥き出しの神経を酸に浸すが如き、この地獄には。
「さて……続きをしようか」
痛みに泣く少女に手当をし、面倒を見てやること──それもまた、大人として本来当然であろう。だが、十字架が描かれた純白の神官衣に身を包んだその男もまた、そういった一般的に予想される行動からは逸脱した。
「ひっ…………! や、やだっ」
「嫌なら答えろ。魔女の秘薬をどこで手に入れた? 誰から買った?」
男は少女の薬指に、金属器具を──爪を剥がす装置を取り付けた。
つい数分前に身に覚えのある感覚がフラッシュバックし、少女は震え上がった。しかし、逃げようとはしなかった。
逃げられないのだ。目隠しをされ、椅子に手足を拘束された少女は。
「し、知らっ……あれ、外国から、来た、お、お医者さまが……おかあさ、あの薬で、な、なお……あ、治る、って……」
「嘘だな」
本当だった。少女のいる村に偶然訪れた旅の医者は、所持していた薬で彼女の母を病から救った。
「あの白い粒……あれはどう見ても、薬草を使った薬ではない。魔女の魔法の産物だ」
「ち、違くてっ……!」
本当だった。医者が渡した白い粒は、外国で作られた最新鋭の薬品だった。だが医学の進歩で劣るこの国の司祭である男は、その薬品の存在を知らず、未知の物体ゆえに魔女の作ったものだと決めつけた。
そう。少女は魔女、あるいは魔女に深く関わった罪人だと、疑いをかけられているのだ。
疑われた──それだけで彼女は、縛り付けられ、爪を剥がされたのだ。
「本当に、違う……お、お願い、助けて……痛いの、やだ…………火炙りも、やだぁ…………!!」
「認めないのなら、仕方ないな。我が主に背く悪は、裁かなくては」
「!!」
金属器具が音を立てた直後、何の罪もない少女は、再び痛ましい絶叫を上げた。
滴る血も、涙も、この国──宗教に牛耳られた国家"アーヴァル"の、日常だった。
これが、この国の"魔女狩り"だった。
「ソドル司祭補佐。お疲れ様です」
「ああ、そちらこそご苦労」
審問室での仕事を終えた男──ソドルは、暗い廊下を歩いてきた若い男と言葉を交わした。ソドルの服より装飾は少ないが、彼もまた白い衣服に身を包んでいる。声ははきはきしているが、もうすぐ夜10時を回るというのもあり、瞼は少し重そうだ。
「口を割りましたか? 彼女」
「いや、剥いでも焼いてもダメだな。だが、あの白いのが動かぬ証拠だ。必ず吐かせる」
「……お言葉ですが……その、ご気分の方は平気なのですか? いくら魔女が相手とはいえ、私なら、とても……」
若い男は、ソドルにそう尋ねた。彼なりにソドルの精神面を案じていたのだ。罪人かどうか確定もしていない少女を痛めつけるなど、普通の神経では出来ない仕事だと思っていたから。
「ひっ!?」
だが、親切心が時に逆鱗に触れることもある。
「悪しき魔女に慈悲をかけるつもりか? 君は、主の教えに背こうというのか? ん?」
「ちが……や、その……訂正、いたします」
今回がまさにそれだ──若い男は、突如ソドルに壁に叩きつけられて、そう思った。
「ふん……そもそも何だ。君の仕事は外の夜間警備のはず。何故教会地下のこの廊下にいる」
「そ、そうです! 実は報告がありまして……顔を隠した怪しい集団が、この教会に近──」
若い男の声は、それ以上紡がれることは無かった。
「!?」
突如砕けて降ってきた天井のレンガが、彼を押し潰して気絶させたからだ。
「な……何者だ!?」
ソドルはすぐさま、神官衣のマントの内側に隠していた短剣を抜いた。
砂煙の中から、やけに小柄な人影の、そのディテールが露わになっていく。
「レジスタンスのフーガ・リゼット。覚えなくていいよ」
「き、貴様っ!?」
現れたのは、色褪せたローブで全身を覆い、穴だらけの革靴を履いた、年端もいかぬ少女だった。だがソドルは、襲撃者が女子供だったことに驚いたのではない。
「その耳……貴様、主がお与えくださった人の在り方を冒涜するつもりか!?」
ソドルが驚き、そして怒ったのは、少女、もといフーガの短い赤毛。
その上に二つ付いた、猫のような獣耳に対してであった。それはまさにソドルにとって、いや普通の人間にとって、あり得ない異形だったからだ。
「まあ人じゃないからね。魔女の眷属だから」
「ま……魔女だと!? 奴め、やはりそうか! 僕をここへ呼び寄せたのか……!!」
「は?」
ガレキから降りたフーガは、ソドルが視線を移した先──廊下の横の、空いたドアから見える室内の様子を凝視した。
「!」
そして、見た。凄惨なほど血を垂らして項垂れる、椅子に拘束された少女の姿を。
「……あれがあの子の言ってた"お姉ちゃん"か。拷問をしたの? どう見ても普通の女の子じゃん」
「拷問ではない、異端審問だ。さっき魔女の眷属と言ったな? あの娘が貴様の飼い主か?」
「違う、あたしのご主人は別にいる。だから、あの子は解放してあげて」
「……くくっ」
真剣な面持ちで頼んだフーガとは反対に、ソドルはその口元を奇妙な笑みに歪ませた。
「ハッタリが下手すぎるな、穢れた猫畜生がッ!!」
そして、彼は高速で駆けながら、短剣の切先をフーガの胸に向けて突き立てた。
(反応すらできていない……死ねッ!!)
その場から動こうとしないフーガを見て、ソドルは勝利を確信し。
刹那、尖った刃が血肉を穿った。
「…………はぁ…………?」
穿たれたのは、ソドルの肉体の方だったが。
「……あれぇ……? お、おれ、折れぇ……なんでぇ……?」
間抜けなその声が言う通りだった。フーガの胸に突き刺そうとした瞬間、ソドルの短剣は甲高い金属音と共に折れていた。
「遅いよね。弱いものいじめしかして来なかったから?」
対して、怒りを顔に滲ませるフーガは。
獣の如き尖った左手の爪で、ソドルの短剣を斬り折った直後、残った右手で彼の腹を貫いていた。
「最後通告。あの子を解放して、手当して、謝罪しろ。すぐに神職を辞めて、2度と拷問はしないと誓え。それが出来るなら、片腕一本で許──」
「黙れェ!!」
急所は外していた。まだ、彼の命を救うことはできた。だがフーガの最後の慈悲を遮り、ソドルは叫んだ。腹抉ってるのに、大した根性だな──フーガは内心感心する。だからと言って、信仰を盲信する鬼畜を許す気など無いが。
「き、貴様は……貴様は呪われている!! 貴様は神の敵!! 存在そのものが神に背いている!! すぐに天罰が下り、貴様は永遠の地獄に落とされるぞ!! ぐぶっ……!!」
血反吐を吐きながら叫ぶその様を見て、フーガが思ったことは一つだった。
(……罪のない子を痛めつけるのは、人の道に背いてるだろ)
直後、フーガが腕を振り上げると、その鋭い爪はソドルの心臓の鼓動と、その人生を終わらせた。




