4-7 本当のこと①
<矢吹 涼司>
久しぶりに微睡んだ気がする。
どこか神経を引っ掻くような疼きが、少しだけ大人しくなっていて。
おれは多分、オウガになって初めて、本当に熟睡したのかもしれない。
気づくと、目の前に朝倉がいて。
妙に軽い身体に違和感を覚えて視線を動かすと、おれは壁から自由になっていた。
……あ?
ちょっと、状況が呑み込めない。
さすがに手足には特殊鋼の枷が嵌められ、そこから伸びたワイヤーの一端は壁に固定されていたが、両手首の間は自由の利く長さがあって、さほど不自由には感じなかった。
……っていうか、彩乃は?!
焦りかけたとき、視界の端に彩乃が見えた。寝袋にくるまって、スヤスヤと寝息を立てている。
……ちょっと頭が痛んだ。
おれ、意識を失ってたのか? いつから? そもそも何で自由になってるんだよ。
「おはよう、涼司。気分はどう?」
その声を聞いた途端、妙に腹立たしい気分になった。
まあ、どうせこいつが何かしたんだろう。そんなことは分かってるんだが。
「おれを自由にして、大丈夫だとでも思ってんのか?」
この枷には大した拘束力なんてないだろう。先日まで嵌められていたものとそう変わらない上に、自由度が増してる。多分これなら、本気を出せば引きちぎれる……。
「でも、大丈夫だろう?」
からかうように言われて、おれは憮然としてしまった。
こいつ多分、勘違いしてやがるな……。
「その枷はまぁ、気休めみたいなものだって分かってるよ。他の奴ら向けのパフォーマンスというか、そうだね、アクセサリーとでも思ってくれればいいんじゃないかな」
いや、そういう意味じゃないんだが。
それにしても、何だか朝倉はさばけて見えた。
何かこいつ、雰囲気が変わったか……?
「これ、どうやったんだよ。彩乃は何で起きないんだ?」
「企業秘密」
涼しい顔で言われて、少しだけイラっと来た。
「と言いたいところだけど、液状金属だよ。特定の振動で溶解するようにできてるんだ。だからあっという間に溶かしたり固めたりできるってわけ。彩乃ちゃんには、余り余計なことを知られたくないから、少しだけ薬で眠ってもらったんだ」
へぇ?
気づくと、おれは朝倉の首を縊り上げていた。
朝倉は少しだけ驚いたようにして、でもすぐに涼しい顔で笑ってくる。
「殺す? でも、彩乃ちゃんの前でだけは、止めてもらえるとありがたいんだけど」
相変わらず分かってねぇ様子なのに達観されて、おれは溜息をついた。
ついでに、朝倉をそこらの椅子に放ってやる。
「お前さ、おれが正気に戻ったとか、そう思ってるんだろ」
朝倉は椅子ごと壁にぶちあたって、咳き込みながらも頷いた。
「その割にひどい扱いを受けてるなとは思うけど、……まぁ、お前には借りが多すぎるからね」
おれはもう一度溜息をついた。
「違ぇよ。いや、違わないけど、違う。いいか、一度しか言わないからよく聞けよ。おれは別に、昨日とあんまり変わってねぇ。多分、お前の言う正気って奴に戻ったわけじゃねぇよ。だからあんまり、信用すんな」
「そういうことを言えるのが、正気に戻った証だと思うけど。現に今だって、俺を殺そうとしなかっただろう?」
おれは思わず、天井を仰ぎ見た。
だから、それを根拠にするのが間違いなんだよ。
「今までだって、別に殺そうとなんかしてねぇよ。ちょっと、からかってやっただけじゃないか。大体お前等、あれくらいで死んだりなんかしないだろ」
朝倉が少しだけ強張った顔をした。
ああ、ちょっとは伝わったかな。
「それならお前、久瀬も殺す気じゃなかったって言う気か」
言われて、猛烈に胸の奥が灼けた。
……あいつか、あいつな。けど。
「当たり前だろう? ここまでされて、逆にあいつを利用しなかったら、勿体ないじゃねぇか」
ひどく疑わし気な視線が飛んできて、というより『嘘だろうそれは』と断じる視線に肩を竦める。
「まぁ、1度目はやばかったかな。ちょっと勢い余った。あれは確かに、殺すところだった」
「だから、」
「今だって変わらねぇよ。何かのきっかけがあれば、いつでもああなる」
朝倉が黙り込んで、おれはもう一度肩を竦めてやった。
多分おれは、もう戻れないところまで来ちまったんだろう。
暴れ回るおれも、冷たい機械みたいなおれも、彩乃に対して弱いところを晒しちまうおれも、全部おれだ。嘘じゃない。
朝倉は何か、……飼い慣らせ、みたいなことを言っていたけど、なんていうかもう、そういうんじゃないんだ。
灼けつくような熱さに身を任せて暴れ回ったら、最高に胸がすくだろうと思うし、凍りつきそうに無感動なおれなんか、面倒がなくてそれもいいなと思うし、こんな風にどこか引いて考えるおれもおれだけど、どれが正気の自分でどれが狂人だとか、もうそういうことじゃないんだ。
たぶん、境みたいなものが溶けてしまったんだろう。……前に久瀬から『正気と狂気の境を失くした』って言われたけど、多分そうだ。どこかで、タガってやつが外れちまったんだろう。
ちょっとしたきっかけで、どの自分が前面に出るかが変わる。境なんて分らないし、制御もできない。きっともう、これを元に戻せたりなんかしない。
だからそう、安心されても困るんだよ。
まあ、昨日はなんだか温かいものに触れた気がして、それがまだ温かいと思える自分に少しだけほっとしたけど。それすらどうでも良くなったら、多分、本当に終わりだろうなと思ったから。
何やら考え込んでいた朝倉は、それでも、あいつの中で何か折り合いでもつけたらしい。小さく息を吐いてから、口を開いた。
「まあ何にせよ、壁に塗り込められたままじゃあ、彩乃ちゃんに触れられないだろう?」
触れるって何だよ。そんな危ねぇことしねぇよ。
憮然としながら朝倉を見ると、
「彩乃ちゃんを、抱きしめてやってくれ」
……は?
唐突に妙なことを言われて、苛立ちが込み上げる。
「そんなことを言える立場じゃないのは分かってる。でも、頼む。あの子を支えてやってくれ」
言っていることの意味がわからない。
睨み付けると、朝倉は少しだけ陰のある笑いを浮かべて。
「お前には詫びなきゃならないことが多いけど。今はまだ、謝らないでおくよ。ただもう少し、付き合ってくれ――」




