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慟哭の夜を笑っていけ  作者: 水城リオ
第4章 混沌の向こう
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4-6 兄妹

 

「兄貴、また来ちゃった」


 その声に、涼司は閉じていた瞼を気怠そうに押し上げた。それから両手いっぱいに荷物を抱えた彩乃ちゃんを見て、眉を顰める。


「ん、嵩張るなぁ、これ……」


 そんなことを呟きながら部屋の中に入ってきた彩乃ちゃんに、ひどく戸惑った表情を浮かべる。それから、すぐに顔を険しくした。恐らく、その後に続くであろう俺に思念波でも放とうとしたんだろう。

 だけど、俺が姿を見せないことに気づいて、凄まじく険のある目でカメラを睨み上げてきた。


 ……あー、そう怖い顔で睨むなって。


 分厚い隔壁を隔てたところにいる今の俺には、さすがに物理的な衝撃波は届かない。だけど、怒気を孕んだ殺気はビンビン伝わってくるわけで。もし俺も彩乃ちゃんと一緒に部屋に入っていたら、また2、3回は意識が飛ぶくらいの攻撃を受けただろう。


 やっぱり、彩乃ちゃんを一人で行かせて正解だったな。


 俺がそこらに血塗れで転がったりなんかしたら、さすがに彩乃ちゃんも、おちおち話なんかできないだろう。それじゃあ、同じことの繰り返しだ。


 正直、もし彩乃ちゃんに対しても軽薄度100%の涼司のままだったら、どこから手を付けていいか迷うところだった。けど、幸いにも涼司は相変わらずのだんまりモードだ。むっつりと黙り込むだけの涼司なら、既にある程度の正気に戻っているはずだ。彼女一人にしても、決して致命的なことはしないだろう。


 とはいえ、そう何度も施設を破壊されては叶わないから、万一に備えて多少の対策は講じていたし、こうして監視カメラ越しに二人の様子も見ているわけで。複数のカメラが作動しているから、しっかりと色々な角度から二人の様子が見て取れる。


 単に覗き見みたいで気が引けたが、さすがに完全に二人きりにするわけにもいかない。気は咎めつつ、別の仕事をすることで、ずっと聞き耳を立てているわけでないことを自分に言い訳してしまう。

 全く、誰に何の言い訳をしているんだか……。


 そんな俺の自嘲をよそに、カメラの向こうでは彩乃ちゃんが、少しむくれた調子で話を始めていた。


「わざわざ、はるばる海を越えてきた妹に、ちょっとはねぎらいの言葉とかないかなぁ」


 相変わらず無表情で沈黙する涼司に、彩乃ちゃんは溜息をつきながら、自分の寝袋を広げる。


「まぁ、いいけどね。こうなったら、こっちだって持久戦のつもりだから。兄貴が応えてくれるまで、色々と勝手に喋るんだから」


 涼司が少しだけ、面倒そうな表情を浮かべる。

 そんなところも、昔と何も変わっていない気がして、少しだけ胸が疼いた。


「あ! やなんだったら、ちゃんと返事してよね。あたしだって暖簾(のれん)に腕押しじゃあ、張り合いないし。独り言を延々と言い続けるなんて、ちょっと馬鹿みたいじゃない? というか、イタイ? ……あ、これって自分で自分にダメージが……」


 早速、滔々と話し始めた彩乃ちゃんに、今度ははっきりと溜息が聞こえた。

 ん?

 思わず、監視画像に見入ってしまう。

 反応した? もう?


 涼司はもう一度溜息をつき、それから、吐き捨てるように口を開いた。


「お前、おれのことが怖いんだろ?」


 正直、驚いた。こんなに早く、まともな反応を返してくれるとは思わなかった。

 ……いや、いいことなんだが。いい方向に期待を裏切られて、文句なんてあるはずもないんだが。

 それにしても、そんなに妹の独り言が嫌だったんだろうか。何かトラウマでもあったかな?


 彩乃ちゃんも少しだけ驚いたように涼司を見上げ、それからバツが悪そうに笑った。


「うん、ちょっと怖かった、びびっちゃった。それは認める。でもね」


 真っすぐに涼司を見上げる。


「兄貴は、兄貴だよ、あたしにとってはね」


 目を逸らさずに真っすぐ兄を見上げる彼女は、とても真摯で誠実に見えて。

 涼司は随分と長い間、そのまま妹を見返して、それからようやく色の無い声で応じた。


「おれが今まで何してきたのか、分かってて言ってんのか」

「あー……、うん、まあ」


 ポリポリと頬を掻く。

 これには、少しだけ胸が痛んだ。

 彼女には既に、涼司の記録映像を見てもらっていた。決して避けては通れないそれ、涼司が食事をするさまを。時に理性を失い、一心不乱に喰い散らかす姿を。


 涼司も、彼女にだけは見られたくなかっただろうし、彼女にとっても、そんな姿を目にするのは衝撃だっただろう。俺でさえ、初めて目の当たりにしたときは、立っていられないほどだったから。


 彼女も、完全に凍り付いていた。

 始めは茫然として、一体、何の悪い冗談かと引き攣った笑みを浮かべて。でも、俺たちの方を振り返って、嘘でも何でもない事実なのだと理解すると、とっさに口元を手で覆った。爪が喰い込むくらい両手で強く押さえつけて、込み上げる何かを必死で堪えて。真っ赤に充血した目で、それでも決して目を逸らすまいと、食い入るように画面を睨み続けていた。欧州の遠征先から回収した記録映像の下りでは、もう、軋む音が聞こえそうなほど奥歯を噛み締めながら、ひたすら声を殺して泣いていた。


 なのに今は、そんな様子などおくびも出さずに、ただ、いたずらを見つかった子供のような顔をして。

「えーと、うん、ごめん、見ちゃった」


 涼司は顔を歪めた。

「……なのにお前、そんなこと言ってんのか」


「ん」

 彩乃ちゃんが、ニカっと笑う。


 涼司は痛みを覚えたような顔をして、それから視線を逸らした。どんな顔をすればいいのか分からない、そんな風に見えた。

 怒ればいいのか、喜べばいいのか、でもこの嫌悪する感情は何なのか。そんな葛藤が垣間見えた気もしたが、……あいつの中で渦巻く感情を、俺が正確に推し量れるはずもなかった。

 それから、何となく会話が途切れた。


 彩乃ちゃんも、敢えてそれ以上は話しかけたりしなかった。

 持ち込んだクッションやら寝袋やらの塩梅をぽむぽむと叩いて確かめたり、魔法瓶から注いだハーブティーにちまちま口をつけたりして。そのママゴトの様な不思議な時間は、彩乃ちゃんが寝袋に入り込むまで続いた。

 それはなんだか、どこかで相手を気遣いながらも、何かが整理されるのを待っているような、そんな優しい時間に見えた。


「あたし、今日はここで寝るけどいいよね」


 ようやく声をかけた彩乃ちゃんに、涼司は小さく肩を竦めた。


「……駄目って言っても、寝るんだろ」


 彩乃ちゃんは「へへー」と寝返りを打ちながら、兄を見上げた。


「そういえば、兄貴も寝るの?」


 涼司は少しだけ考えるようにして、それからやっぱり肩を竦めた。


「寝なくても平気みてぇだ。けど、まぁ、習慣で大抵は寝てるかな」

「そっか。そうなんだぁ……」


 彩乃ちゃんは何となく嬉しそうにもぞもぞする。身体に密着するタイプのイモ虫型の寝袋にくるまっているせいで、傍から見てもちょっとかわいい。

 涼司も絶対、そう思ったに違いないのに。


「……お前、寝る気あんのか?」


 憮然とした声なんか出して。

 彩乃ちゃんは抗議の声を上げた。


「えぇーあるよぅ。でも、ここって明るいから、そんなに簡単に寝つけないんだもん」


 これはもちろん、半分は嘘だろう。兄弟二人きりの他愛ない会話。昔と何も変わらない気がして、もったいなくて、寝ることなんかできないんじゃないだろうか。

 カメラ越しの二人を見ながら、少しだけ羨ましく思う。俺には兄妹がいないから、そんな感覚を味わったことはないけれど。


 でもまぁ、ちょっとだけ演出してやるか。

 部屋の明かりを最低限に落としてやると、感嘆の声が上がった。


「あ! すごい、超能力だ! 兄貴がやったの?」


 涼司の声がますます呆れた色を帯びた。


「ちげぇよ、あいつ等が監視してんだよ」

「なんだー、そっかぁ、ちぇー」


 涼司のため息が聞こえる。


「いいから、もう寝ろ」

「……うん」


 灯りは落ちたが、暗視カメラだ。二人の様子ははっきりと分かる。彩乃ちゃんは一度だけ寝返りを打つようにして、シュラフの中に顔をうずめた。


 それから20分ほどそのままで、さすがに俺も少し仮眠をとろうかと迷っていた頃。不意に小さく声が聞こえた。


「……兄貴、もう寝た?」


 短い沈黙があって、


「いや」

「……ね、兄貴」


 シュラフが擦れるような音の後、微かな声が聞こえた。高感度でなければとても拾えないだろう、ぽつりと呟くような声。


「今までずっと、苦しかった?」


 今度はかなり長い間があった。


「どうだろう。もう、よくわからねぇな」

「……うん」


 いつの間にか、彼女は涼司の拘束された壁の真下まで来ていた。

 そこでシュラフを抱えたまま、壁に背を預けて寄り添うように座り込む。

 まるで、少しでも彼の熱を感じたいとでも言うかのように。


「お前、そのまま寝たら風邪ひくぞ。……てか、近い。あんまりおれに、近づくなって」


 薄暗がりの中から聞こえる涼司の声は、あいつらしい気遣いに満ちている気がして。なぜだか無性に、泣きたくなった。


「大変、だったね」


 涼司が目を見開く。


「どうせまた、頑張りすぎたんでしょ……?」


 彩乃ちゃんが言葉を吐き出す。まるで糸を紡ぐみたいな、優しい響き。


「いっつも一人で、無茶ばっかりするんだからさぁ……」

 囁くような、仄かな響き。


「でも、これからは少しは頼ってね? もう、守ってもらってばっかりの小さなあたしじゃ、ないんだからさぁ」


 涼司が顔を歪める。ほんの微かに嗚咽のようなものが聞こえた気がした。

 でも、彩乃ちゃんはそれに気付かないように、シュラフの中に潜り込む。


「おやすみ、兄貴……。また明日ね」


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