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慟哭の夜を笑っていけ  作者: 水城リオ
第4章 混沌の向こう
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4-5 妹

 久瀬と対面して3日後。

 彩乃ちゃんを連れて部屋に入ったときの涼司の反応は、まあ、想定の範疇だった。

 正直、ちょっと死ぬかと思った。


 問答無用で襲ってきた思念波は、まるで灼熱の嵐だった。辺りを舐めつくす勢いで噴出した憎悪の念に、完全に意識が飛んだ。


 気づくと、彩乃ちゃんが俺の下敷きになっていて。倒れ込みそうな俺をどうにか支えようと踏ん張り、敢え無く一緒に倒れ込んだみたいだった。


「ごめん! 大丈夫かい?」


 慌てて身体をどけながら問うと、彩乃ちゃんは「うーんん」と可愛い呻き声を出しながら、なんとか上半身を起こした。


「……ハイ、何とか。でも、」

 訝しみながら俺を見上げる。

「突然、どうしたんですか?」


 俺はちらりと涼司を見た。

 あいつはまだ、怒りに燃える目で俺を見ている。けど、何も言わなかった。


 ……やっぱり、脈ありだな。


 さっきは問答無用な思念波に放ってきたくせに、彩乃ちゃんが俺に潰されそうになっているのを見て、それを止めた。

 無意識にでも力を制御したんだろう。少なくとも今は、ある程度、正気に戻っているはずだった。


「君は何ともなかった?」


 彩乃ちゃんが不思議そうにしながら、こくりと頷く。


 涼司の思念波は、一定レベルのオウガ因子を取り込んだ者にしか作用しない。これで涼司も、彼女にはオウガ因子のないことを悟っただろう。つまりは、モルモットになどされていないことの証明というわけだ。


 だが、これはある意味、俺にだけ攻撃できることを意味するわけで。

 案の定、


『帰れ!』


 爆風のような念に煽られて、また意識が飛びかける。


「朝倉さんっ!!」


 悲鳴のような声に、おれはなんとか手を上げて応えた。


「大丈夫、大したことないから」

 もちろん大嘘だったが、まぁ、女の子の前では、多少は格好をつけたいじゃないか。


「でもっ、それ……!」


 上ずった声で言われて、頭を押さえていた手をどける。

 と、結構な血糊がべっとりと手に纏わりついた。

 うわ……。


 全然気づかなかった。

 いや、確かに頭はズキズキしたが、思念波を至近距離から浴びたせいだと思っていたのに。

 ついに、物理的な衝撃波まで与えられるようになったのか。そりゃすごい……。


 妙なことに関心しながら彩乃ちゃんに目を向けると、大丈夫、彼女に怪我はない。

 しかし、オウガ因子がないからとはいえ、こんな風に至近距離にいる対象を区別して物理攻撃できるとは。

 これ、ほとんど反則じゃないか?


 そもそも、オウガ因子をもたない一般人がオウガの身体能力についていけるはずもなく、といって、オウガ因子を取り込んで身体能力を高めた相手には、思念波や衝撃波で対抗できる、となれば。

 完璧に制御できたら、ほぼ無敵と言えるかもしれない。

 ……まぁ、あくまで単体の戦力差で較べたらの話だが。


「君は平気なんだよね?」


 苦笑しながら尋ねたおれに、彩乃ちゃんは目を見開く。


「あたしは、全然……」


 言葉尻がすぼんでいく。

 身体が、少し震えていた。膝の震えを必死に堪えていて、兄の方を見ることもできていない。


 ……ああ、これは。


「一度、戻ろうか」

 そう声をかけると、彼女は弾かれたように顔を上げ、それから口を開きかける。


 だが、

『二度と来んな!!』


 俺は今度こそ、風圧に数メートルは吹っ飛ばされたらしい。壁に激突し、さすがに息が詰まる。

 全く、拒絶感が半端ない。でも、息の根を止めるほどでないあたりが、涼司らしい気がして、俺はなんだかうれしくなった。


 やっぱりこいつ、根本のところでは全然変わってないな……。


 口に嗤いでも浮かんでいたのかもしれない。

 彩乃ちゃんが、引き攣った顔で俺を見ていた。別の意味で、おぞましいものでも見たような表情。


 あー……、そりゃそうか、甚振られて喜んでいるネジの飛んだ男に見えるか。


 どう取り繕おうか少しだけ悩んでいると、まぁ頭の方はともかく、身体は平気そうだと分かったんだろう。目を閉じて深呼吸すると、すぐに涼司の方を向き直り、ぎりっと睨んだ。


「兄貴! 変なことしないで!!」


 ……うん、勘のいい子だ。そして切り替えも早い。

 そのまま、ノシノシとでもいうような勢いで兄の下に歩いていき、涼司を見上げた。


「だって、兄貴、なんでしょう……?」


 どこか祈るような響きを乗せた声。

 思わず、唇を噛んでしまった。


 間近で対面する兄。長い間、死んだと聞かされてきた相手。

 その相手が目の前にいると言っても、変わり果てた姿のはずだ。

 涼司の身体は今も高強度の壁に塗り込められていて、そこから上半身だけ張り出した様は、悪趣味な芸術のようだ。

 おまけに、すっかり色の抜け落ちた髪と、血のように赤い瞳。そして何より、その身に纏う空気が全く違っているはずで。


 どこかすがるような視線を向ける妹に、涼司は冷えた視線を返し、そのまま興味なさげに目を閉じた。

 ただの一言もなく、もう、俺に対する思念波もない。先ほどまでの激情が嘘のように消失し、感情の欠落したような無機質な空気だけが伝わってくる。


 俺は内心で溜息をついた。

 まあ、一筋縄でいくとは思っていないさ。彼女が折れてさえいなければ、な。


「いったん、戻ろうか」

 改めて声をかけると、彼女はビクリと肩を震わせ、今度は素直に従ってきた。


 部屋を出る際、俯き加減にした横顔を伺うと、何だか悔しそうな顔が垣間見えて。とてつもなく怒りに燃えた瞳を見た気がして、俺はちょっと笑ってしまった。

 大丈夫そうだな、これなら。


 で、別室に戻った途端、彩乃ちゃんは憤慨したように机を叩いた。


「何あれ!」


 それは何に対しての怒りなのか。

 兄貴をあんな目に遭わせた俺たちに対する怒りか、そっけない兄に対する怒りか、それとも――怯えてしまった自分自身への怒りか。

 恐らく、全部なんだろう。


「朝倉さん!」


 噛みつくような視線で見上げられ、「何だい?」俺は苦笑しながら先を促した。


「あたしの好きにしていいって言いましたよね? だったら、あたし、あそこに詰めます!!」

「……詰める?」

「しばらく、あそこで寝泊まりします!!」


 その申し出には、ちょっと以上に驚いた。


「だって、もうあんまり時間がないんでしょう?」


 それはそうなんだが。

 久瀬の約束を取り付けてから、既に丸3日は経っている。

 涼司の父親を説き伏せ、家族を呼びに行かせ、この島に連れてこさせて。硬い表情の母親と妹に掻い摘んで事情を説明して。

 といっても、天地がひっくり返るような告白の連続だっただろう。多少なりとも気持ちの整理をつけてもらうまでに1日は必要で。むしろ、この短い期間によく事態を受け入れて協力してくれたものだと感心する。自分の発案ではあったものの。


 涼司の口から家族の話を聞いたことは数えるほどしかなかったが、そのわずかな会話からでも、あいつが家族を心底大事にしていることは伝わってきた。俺の家を基準にすると、それはかなり理解し難い感情だったが、こうして彼女たちの姿を見ていれば、その理由もまぁ、分かろうというものだった。


「兄貴、絶対にあたしを認識してた。なのに、あの態度って……!」


 俺は思わず、笑ってしまった。

 あいつの妹は、こんな感じだったんだな……。


 今さらのように、そう思う。

 組織に入ってからは、何度となく彼女の隠し撮り画像を見ていたが、直接話すのは今回が初めてだった。ようやく、彼女の素の表情を垣間見た気がした。

 そしてそれは、どこかであの女――、結城を思い起こさせた。


 ああ、そうか。あいつの女の趣味は、妹由来だったのか。


 あいつに言ったら多分、ぶっ飛ばされそうなことを考えてしまう。

 でも、あながち間違っちゃいないだろう。捻くれ方にかなり差はあるが、どことなく似た雰囲気を感じた。

 ……ったく、あのシスコンめ。


「今何か、すごく失礼なことを考えてません?」


 敏感に何かを嗅ぎ取ったのか、彩乃ちゃんは大いにむくれた顔をする。

 ……っと、いけない。


「いやいや、気のせい気のせい。で、寝泊まりね。分かった、手配するよう取り計らうよ」

 話を逸らそうと大きくかぶりを振ってから、姿勢を正す。


「で、本当なら、こんなことを言えた義理じゃないんだけど、」

 改めて深々と頭を下げる。


「涼司のこと、よろしく頼む」


 そう言って顔を上げると、彩乃ちゃんは、ひどく複雑そうな顔をしていた。

 まぁ、そりゃあそうだろう。俺は今回、彩乃ちゃんの協力を取り付けるにあたって、俺が涼司に犯した罪を洗いざらい告白していたから。


「……意味が、分からないですし」


 苦笑すると、彩乃ちゃんは溜息をついてから、切替えたように宣言した。


「とりあえずは、ごはんにします!」


 ――ごはん?

 さすがに面食らっていると、


「シャワーを浴びて、それからすぐ、あそこに戻ります。だから、朝倉さん! もろもろの場所とか手順とか、すぐに教えてください!」


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