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第八話:硝煙なき、最初の戦場

 王都の華やかな社交界や、陰謀渦巻く宮廷ではない。私の百回目の人生における最初の戦場は、南部の領地、ラトクリフの町となった。ここは、腐敗派閥の役人たちが長年搾取を続けてきた、最も疲弊した土地の一つだ。


「お嬢様、このような場所まで、自らお越しになるなんて……」


 父が付けてくれた護衛騎士と、数人の文官たちは、土埃の舞う町の光景に顔をしかめている。しかし、私は馬車から降り立つと、固く乾いた大地を、自らの足で確かめるように踏みしめた。机上の空論で経済は動かない。現場の空気、人々の顔、そして、土地の匂い。全てを、この身で感じ取る必要があった。


 案の定、町の代官、バートン子爵の歓迎は、丁寧さの仮面の下に、あからさまな敵意と軽侮が透けていた。彼は、ヘムロック伯爵の息がかかった、典型的な搾取役人だ。


「これはこれは、スカーレット様。このような辺鄙な土地まで、ようこそおいでくださいました。ご婦人には、少々骨が折れる視察になりましょうな」


 その言葉は、「女子供の出る幕ではない」と、暗に告げていた。


 私は、彼の挑発には乗らず、にこやかに微笑んだ。


「ええ、本当に。ですが、わたくし、数字を眺めるよりも、自分の足で歩き、自分の目で見る方が性に合っておりまして。早速ですが、バートン子爵。この町の小麦の『特別税』について、お話を伺えますか?」


 特別税。それは、表向きは「凶作に備えるための備蓄税」とされながら、実際には、そのほとんどがバートン子爵と、彼と癒着する商人ギルドの懐に入っていることを、私は過去のループで得た情報から知っていた。


 私の、あまりにも的を射た質問に、子爵の顔が一瞬、ひきつった。


「……そ、それは、先代からの慣習でして。民も、納得の上で納めております」

「まあ、そうなのですか? ですが、わたくしの計算では、この税率では、農民の方々は冬を越すための種籾すら、手元に残らないはず。それとも、このラトクリフの民は、霞を食べて生きる術でもお持ちなのかしら?」


 私の皮肉に、子爵はぐっと言葉を詰まらせる。


 その日の午後は、彼らの用意した偽りの歓迎会や、体裁だけの視察を全てキャンセルし、私は町のパン屋や、小さな織物工房を、直接訪ねて回った。


 最初は、突然現れた豪奢な令嬢に、人々は怯え、警戒していた。しかし、私が彼らの抱える問題――不当に高い小麦の仕入れ値や、ギルドによる販売妨害など――を、正確に言い当ててみせると、その表情は驚きへと変わっていった。


「な、なんで、あんた様がそんなことを……」

「わたくしは、この町を立て直しに来たのです。皆さんの、本当の暮らしを知るために」


 そして、私は「切り札」を切った。


 セオドア殿下との事前の打ち合わせ通り、彼の国の商人たちが、「偶然を装って」町を訪れたのだ。


「ロックフォード家と、シルヴァランド王家の正式な契約に基づき、我々は、皆さんの小麦を、現在のギルドの買い取り価格の、三倍の値段で買い取らせていただきたい」


 その申し出に、町の人々は、最初は信じられないという顔をしていたが、やがて、広場は歓喜の渦に包まれた。


 その夜、私は代官の用意した屋敷ではなく、町の小さな宿屋に滞在した。バートン子爵が、怒りに顔を震わせながら、商人ギルドの長と密会しているだろうことは、想像に難くない。


 眠りにつこうとした、その時。部屋のドアが、そっとノックされた。


 ドアを開けると、そこに立っていたのは、昼間に訪れたパン屋の主人だった。彼は、私の前に、深々と頭を下げる。


「スカーレット様……。俺たち、今まで貴族様なんて、誰も信じてこなかった。けど、あんた様は違う。どうか、これを……」


 彼が差し出したのは、古い布に包まれた、一冊の汚れた帳簿だった。


「……これは?」

「バートン様と、ギルドの連中の、裏金の流れです。いつか、誰かがこの町を救ってくれると信じて、親父の代から、ずっと隠し持っていたもんです」


 それは、私が喉から手が出るほど欲しかった、腐敗の動かぬ証拠だった。


 人々の心は、まだ死んではいなかったのだ。私の行動が、彼らの心に眠っていた、小さな勇気の種火に、火をつけたのだ。


「……ありがとう。必ず、あなたたちの想いに応えてみせます」


 帳簿を受け取った私の手に、確かな重みが感じられた。


 硝煙なき戦場の、最初の戦い。私は、民という、何よりも強い味方を得て、確実な一歩を刻んだ。


 しかし、その夜、王都から届けられた定期連絡の書簡の中に、一枚だけ、違う紙が紛れ込んでいるのに、私は気づいた。そこには、美しい筆記体で、ただ一言だけ。


『――庭の薔薇は、あまり見事に咲きすぎると、時として、心無い者に枝を折られることもございます』


 差出人の名はない。


 けれど、その穏やかで、ねっとりとした脅迫の匂いは、侍従長ヘムロック伯爵のものだと、私の百回の経験が、明確に告げていた。


 真の敵が、ついに私を「脅威」として認識した瞬間だった。


 私は、その手紙をランプの火で静かに燃やしながら、不敵な笑みを浮かべた。


 望むところですわ、侍従長。あなたのその腐りきった庭を、根こそぎひっくり返してみせましょう。

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