One:100年の時を超えて
無機質な天井に見られながら僕は100年の眠りから目覚めた。腕時計は2528年8月3日9時46分を示している。100年前に第三次世界大戦が勃発し、核と銃弾の雨によって人類は滅亡した。家族だって、同期の研究者だって、そしてあの蝉川博士だって例に洩れず亡くなった。僕はといえば≪ One hundred year cold sleep capsule≫、通称100年カプセルに入ったことで死亡を免れた。この世界には今、僕しかいない。その事実に打ちひしがれる。
この100年カプセル自体はまだ試作段階であり、使用した人間がどうなるのかはよくわかっていなかった。だが、どうやら100年眠ってもなお目覚めてすぐ腕時計を確認する習慣は消えないらしい。僕は記念すべき100年カプセルの被験者第一号となった。それは同時に最後の被験者であることも意味する。まさか研究者として働いていた100年前の僕はこうなると思っていなかっただろう。
僕はもう一度、腕時計に目をやる。僅かばかり時刻が進んだのみで、2528年8月3日であることは変わらない。「時間が分からなければ人間ではない」と変なことを言って高い耐久性を誇る腕時計を一週間で作ったのは、僕が働く研究施設の長である蝉川博士だ。蝉川博士は若い頃にアメリカへ渡り、多様な人種の人々と研究に勤しんでいたという。海外へ行くことがそのとき初めての経験だったそうで、世界の広さを実感したのち日本に帰国し今の研究施設を立ち上げた。そのフットワークが軽すぎる人生に僕はもはや畏怖の念を抱いてしまう。蝉川博士には兄弟がいなかったようであるから、一人っ子なのも自由奔放な性格に影響しているのではないかと思う。ちなみに蝉川博士は妙な部分で趣向を凝らす人でもあった。腕時計と言っておきながら写真の撮影や録音、翻訳ができたりする。僕はやりたいことをやって生きる蝉川博士に憧れていた。
僕はよいしょと体を上げて、100年ぶりに研究施設内を歩き回ることにした。部屋から出るためのドアにロックはかかっていなかった。100年カプセルが起動すると同時に100年の間ロックがかかる設定になっていたので、開いていなかったらどうしようかと実は本気で心配していた。わざわざ100年カプセルを使ったのにそのまま部屋で野垂れ死んでは冗談じゃない。
部屋を出てふと振り向くと、ドアに銃弾の跡が幾つもあったことにぞっとした。このドアが頑丈でなければ今の僕はなかったんじゃないか。しかし、それも束の間ですぐに「まあそうだよな」とすんなり受け入れていた。自分でも驚いた。無意識のうちに敵軍が攻め込んできていた覚悟をしていたらしい。
足を進めれば想像通りではあったが、やはり研究施設内はどこを見ても荒らされていた。研究室、放射線室、分娩室、食堂、娯楽室、研究者たちの私室...。100年前はあれだけきっちりと片付いていたのに、今は割れた試験管を含めた実験器具や蛍光灯などが散乱し、壁には大量の銃弾が埋め込まれている。無論、どこの国だかは知らないが敵軍の仕業であろう。それでも血や白骨化した死体がないのは、研究者全員が捕虜にされて地上に出されたからだろうか。僕はその時、満杯の水を入れたコップが倒れて溢れ出したように、次々と仲間の顔と思い出が頭に浮かんでは消えた。研究があまりに上手くいかずに危うく暴走しかけた仲間を止める僕。百物語を完遂させようと不眠不休で順番に語り続けた夏の夜。調子に乗った仲間が不注意で花瓶を割り笑顔が一瞬のうちに消えた顔。
そして───蝉川博士。
蝉川博士はもういない。それどころか誰もいない。僕はその事実を突きつけられた。頭では目覚めた瞬間から理解していた。だけど、あの親身で誰にも平等に優しくした蝉川博士はもういないのか。研究成果と思い出をともに積み上げた仲間はいないのか。
鼻の奥がつんと痛くなった。起きることは、もうわかっていた。僕はぽつんと涙を落とし、もう気づいた頃には涙が溢れ出てくる。僕は立ってることもできなくなり、床にうずくまった。ガラスの破片で怪我するなどどうでも良かった。ただ泣きたかった。ひたすら涙を流し、流し、顔の周りには小さな水溜りのようなものができる。僕は100年カプセルに入る直前のことを鮮明に思い出していた。




