第86話 交番前で号泣
委員長さんこと火藤さんによるお説教で、今日一日で既にズタズタだった俺のハートはトドメを食らった。ガチしょんぼり沈殿丸である。死語である。でも死語を敢えて使う俺の強気を誰か褒めてください。
「工藤君、駅はそっちじゃありません」
「そうだな」
「まさか……寄り道するつもりですか!」
褒められるどころか怒られてしまった。しかも大声で。
俺は今日何回怒られたり罵倒されたりすればいいのん? ドMの人でも鬱陶しいダメージ量だよ。つまりノーマルの俺には致死量。辛さのあまりため息がポンポン出ちゃう。
「はあ……」
「無視しないでください! みんなのリーダーである委員長を無視しちゃ駄目なんです!」
俺の横には火藤さんが立ち並ぶ。結び垂らした髪をピョンピョンと揺らして先程と変わらずお説教モード継続中。
「まっすぐ帰ってください」
「そのつもりです」
「じゃあどうして駅に行かないんですか!」
「電車通学じゃないからです」
バスで帰るよと付け加えると、火藤さんはきょとんと口を半開きにして固まった。なぜ固まる。
同時に微かに聞こえてくる、ガガガッと何かを処理する音。パソコン?
「バス……バスで帰っているんですか」
「うん、バス通学」
「……」
「え、何さ」
「そっか……電車じゃなくてもバスで登下校は出来るんだ」
しばらく表情が硬直していた火藤さん、目を開いて感心したようにほうほうと何度も何度も頷いている。
……いや、馬鹿なの? バス通学なんて然程珍しくない。目から鱗っ、みたいな顔しないでよ。
「はっ、分かりました! そうやって嘘をついて私を騙すつもりですね」
「なぜそうなる」
「そこまでして寄り道したいんですかこの寄り道マン!」
「あだ名のクオリティが酷く低い! 言わなきゃ良かったレベル!」
究極完全態グレートアホゲロ男ぐらいのセンスを見せてよ。
「バス通学だなんて聞いたことありません!」
うへぇ、ぷりぷりと憤怒ってる。どうやら俺の言ったバス通学とはまやかしの登下校法だと思っているらしい。
なんだそれ、怒る着眼点がおかしい……。ああ、証拠を提示すれば納得してくれるか。
「見て」
パスケースを火藤さんに差し出す。去年の誕生日に久奈がプレゼントしてくれた可愛らしいデザインのパスケースにはIC定期券が入っている。
「こ、これは……」
「やっと分かってくれたか」
「誰から盗んだんですか!」
「何も分かってくれないんだね!?」
なぜ頑なに信じない!? たかがバス通学だってことをなんで信じてくれないんだよおおおぉ。
「偽装するなんて油断なりませんね。危うく騙されるところでした」
火藤さんは胸を張って満足げに鼻を鳴らす。
いやいや、あなたの住む地域ではたまたま流行ってなかっただけでバスでの通学通勤はごく一般的でしょ。
だというのに恐ろしい程までにバス通学という概念を信じてくれない火藤さんは俺を見てほくそ笑む。自分の推理がズバリ当たったとドヤ顔で……え、えぇー……?
「騙されませんよ。残念でしたねこの盗人マン!」
「残念なのは火藤さんの頭とネーミングセンスだっての……」
「クラスの秩序を乱すばかりかバス通学という架空の通学手段をでっち上げ、さらには定期を盗むとは極悪非道! あなたを連行します!」
火藤さんは俺の手首を掴むとぐいぐい引っ張る。
「連行ってなんだ」
「交番に連れて行きます」
「おい嘘だろマジで言ってんの!?」
なんだその正義の!な感じの言い方っ。
確かに俺は学校での素行は悪かったよ。だが今のは何一つとして悪いことはしていない! 定期は俺の物だしバス通学は架空の通学手段ではないっつーに!
「ほら行きますよ」
「嫌じゃあああ」
「くっ、う、動いてくださいっ」
俺が動かずその場で踏みとどまると火藤さんが声を荒げる。
力ずくで動かすことが出来ないらしく自身の小さな体を振り子のよう揺らして引っ張ってくるも、俺は不動。動いてたまるか。
「どうして動かないんですか」
「俺は盗人マンではないから」
「言い訳は交番でしてください! 行きますよ」
「……」
「い、行きますってば」
「……」
「い、行くのっ」
「……」
「ひうぅ、う、動いてよぉ……!」
顔を真っ赤にして俺を引っ張り続ける火藤さん。小さい体、小さいお胸、小さな力、そして毅然たる態度と大きな正義感。
真面目で責任感が強いのは分かるけどさ……どことなくポンコツ臭がするのはなぜだろう。
「ぐすっ、く、工藤君の馬鹿ぁ、どうして言うこと聞いてくれないのぉ!」
「あぁもう分かったよ」
俺は諦めて足を動かす。
大きな瞳に涙を浮かべていた火藤さんは、俺が動いたのを見ると再び胸を張ってドヤ顔浮かべた。感情の切り替えいと速し。
「分かればいいんです。さあ行きますよ」
散々な一日はまだ続くらしい。いつになったら帰れるんだか……。
火藤さんに連れられて交番の前に立つ。おー、眼前に国家権力が。
「さ、行きますよ」
「やめない? 行っても時間の無駄だと思う」
「駄目です。お巡りさんに工藤君を叱ってもらいますっ」
正義感溢れる火藤さんは俺の手首を掴んだまま交番へ向けて……歩かない。
え、今回俺はさっきのような抵抗していないぞ。
「火藤さん?」
「……」
足先が震えて肩も小刻みに揺れていた。
「どしたの」
「な、なんでもないです」
上ずった声は明らかに緊張が色濃く、瞳をぎゅ~!と閉じて下唇を噛んでいた。前へ進もうとするけど足は進まず、最後は一歩下がってしまった。
「お、お巡りさん怖い……」
子供か! 警察の有無言わせない謎の圧力に屈してしまうのは共感出来るがじゃあなんでここまで来たんだよ。
「行かないなら俺帰るよ」
「駄目です! 今から行きます、行きま…………あうぅ、明日行きます」
「ニートか!」
明日から本気出すってか。明日やろうは馬鹿野郎って高校受験の時に習ったでしょうが。
「きょ、今日はこの辺でやめておいてあげます」
交番に入るのが怖いらしく、火藤さんは遂には一歩どころか何歩も下がっていく。
が、途中で止まってしまう。俺が動かないから逃げられないのだ。
「う、動いてください」
「……」
「どうして動いてくれないの……怖いから離れたいの!」
「……」
「ひうぅ、工藤君の馬鹿ぁ……!」
馬鹿はあなたじゃないんですかね!?
あなたが連行すると泣いて言うから渋々従ってここまで来たのに何もせず帰るって何それどゆこと!?
どちらにせよ結局泣きそうになっているじゃねーかー。あと離れたかったら俺の手を離して一人で逃げればいいと思うよ。
「学級委員長の言うことが聞けないんですかっ」
「委員長つっても今日決まったばかりだし」
「それでも委員長は委員長なんだもんっ、みんなを先導する立派なリーダーになってみせるもん!」
すいませんリーダー、あなた先導どころか後退していってますよ。
「ん? 君達ここで何をしているんだい」
後ろから声をかけられた。
振り返ると、群青色の制服を着た警察官が訝しげな表情で俺と火藤さんを見つめていた。
「ひゃううううぅ!?」
すると火藤さんが絶命するんかってビビる程の悲鳴を漏らした。
歯をガタガタ震わせ、青ざめた顔をプルプル震わせて、もう全身バイブレーション状態。極寒の地で棒立ちしているかのよう。
ちょ、焦りすぎだって。交番の前に立っていたら話しかけられて当然だ。ここは冷静に返答すればいいんだよ。
「すみません、何もありません」
「からかっては駄目だよ。ここから離……ん、君大丈夫か?」
俺が謝り、お巡りさんがやれやれと肩を落とした時だった。俺らは異変に気づいた。火藤さんの、異様な泣き姿を。
お巡りさんが話しかけるも火藤さんは泣いてばかり。
「ひうううぅごめんなさいぃ……!」
泣く。涙ボロボロこぼして泣く。これでもかって程に泣く。泣きながら震えているから頬にジグザグの涙の痕ができている。
……と、というか待って。号泣して謝ったりしたらマジで俺らが何かやらかしたみたいな雰囲気に、
「怪しいな。ちょっと君達、中に入ってもらおうか」
ほらこうなるじゃねぇか!
疑わしきは事情聴取、それが警察の流儀。あかんっ、これあかん流れやで!?
「待ってくださいお巡りさん! 俺ら本当に何もやっていません」
「じゃあなんでこの子は泣いているんだ」
「きっと国家権力が怖い系女子なんです。だから決して怪しいわけじ」
「ひうううぅぅごべんなざいぃぃ……っ!」
ちなみに火藤さんはお巡りさんに交番の中に入れと促された時点でさらに大泣きしている。今なんて俺の腕にしがみついて涙がとめどなく溢れて俺の腕がビチャビチャ。
あなた何なの!? 何がしたかったの!?
「制服を着ているけど、君本当に高校生? 小学生じゃないよね?」
「ひぅ、ご、ごうごうぜいです!」
すいませんリーダー、高校生って言えてないです。
「やっぱり変だな。君がこの子に無理矢理制服を着させたんじゃないのか?」
泣き喚く火藤さんを見てポツリと呟いたお巡りさんが先程とは打って変わって不信感バリバリの鋭利な視線を俺に向けてきた。ふぁ!? え、嘘、こんな飛び火ってある!?
「いやいやいやいやいやいや!? なんでそーなるんすかっ。小学生に制服プレイ強要してあまつさえ交番の前を徘徊するわけがない。なんだその難易度!?」
「犯人は時として常人には理解し難い動機を持つからね。いいから中に入りなさい」
お巡りさんに連れられてすぐ前の交番へと入る。
うっそだろ、え、マジ? え、ええええぇ……? 変な容疑で事情聴取されるハメになるなんて……。
「ごべんばざい~……っ、ひぐぅ」
ホントお前のせいだからな!? マジ反省しろよ!?




