続編・圧倒的な武力で攻め込んだはずのエリート青年将軍、騎馬民族の刃の前に雌堕ち寸前。勝利を捨てて花嫁になります。
純白のワンピースドレスに包まれた肉体は、あまりにも軽すぎた。
手足を縛っていた麻縄を擦り切ったのは、アランが祝宴の幕開けとして大杯の酒を飲み干した、わずか数秒の隙だった。
天幕を固定する杭の根元に落ちていた、三日月刀の研ぎ石。
その鋭利な角へ必死に手首を擦りつけ、皮を擦り剥きながらも自由を得た。
(笑わせるな……! 帝国騎士団司令官の私を、ただの花嫁扱いしたことが貴様の命取りだ!)
身を屈め、薄暗い天幕の隙間から滑り出る。
夜の砂漠を吹き抜ける風は冷たく、素肌に直接触れる緑色の生地が、嫌な音を立てて脚に纏わりついた。
今まで着慣れていた頑強なプレートアーマーの重みも、腰に下がっていた愛剣の重量感もない。
爪先に至るまで華奢で、重心の著しく高い女性特有の身体。走るたびに胸元のリボンが跳ね、ライトブラウンの長い髪が視界を遮る。
自分の身体でありながら、あまりにも思い通りにならないもどかしさに、歯噛みする。
だが、頭脳までが「少女」に変えられたわけではない。
(現在の時刻は二時。我が軍の配置は、ここから北に三里の砂丘裏。巡回の騎兵に見つかる前に、あの岩陰へ隠れ——)
地形の起伏と月明かりの角度を計算し、砂の上を無音で滑るように進む。
帝国陸軍士官学校を首席で卒業したジュンにとって、夜襲や逃亡の戦術など初歩の初歩だ。慣れない高揚感と、脚の長さにそぐわない不自然な歩幅に戸惑いながらも、ジュンは確実に敵陣の死角を突いていた。
「どこへ行く、俺の愛しい花嫁」
低く、地鳴りのような声が頭上から降ってきた。
「うっ、貴様は!?」
振り返る暇すらなかった。
背後から伸びてきた丸太のように太い腕が、ジュンの細い腰を軽々と抱え上げる。そのまま宙へと持ち上げられ、硬い胸板へと押し付けられた。
アランだ。酒の匂いなど欠片もさせず、野獣特有の静かな足取りで追いついていたのだ。
「放せ……っ! 無礼者!」
「暴れるな。その特別なドレスは、暴れるために作ったものじゃない」
脚をバタつかせて暴れても、鉄の締め付けのような腕は微動だにしなかった。
アランの大きな手が、ジュンの亜麻色の髪を優しく撫でつける。その仕草の丁寧さが、かえってゾッとするほどの支配力を物語っていた。
「諦めろ、ジュン。俺の天幕から逃げおおせられる人間など、この砂漠には——」
アランが言葉を言い切る前に、夜空が奇妙な焦げ茶色に染まった。
――ヒュオオオオオオオン!
風を切り裂く、不穏な高音が鼓膜を刺す。
直後。
ドドドドドドドドドオン!!
アランの天幕から目と鼻の先、祝宴の篝火が炊かれていた広場に、巨大な火炎の柱がいくつも立ち昇った。
爆風と熱波が押し寄せ、ジュンの美しい髪と純白のドレスを激しく吹き煽る。悲鳴と、馬のいななき、肉が焼ける臭いが一瞬にして夜の砂漠を支配した。
「火矢……か!? いや、これは帝国の『重投石機』による油壺の着弾……!?」
ジュンは目を見開いた。
間違いない。あの着弾の正確さ、そして使用されている特殊燃焼油の煙の匂い。
あれは帝国第五騎士団が保有する、秘匿兵器の部隊だ。
(バカな……! 私は『敵将との単独交渉に入る。いかなる理由があろうとも、明朝の合図までは待機せよ』と厳命しておいたはずだぞ!?)
自分が捕らわれたから救出に来た、という動きではない。
この攻撃は、天幕ごとアランを、そして内通の疑いのあるジュン侯爵そのものを「跡形もなく焼き払う」ための、容赦のない全面着弾パターンだった。
「ちっ、帝国の犬どもが、行儀の悪い真似を!」
アランは舌打ちすると、抱えていたジュンを抱きかかえたまま、地を蹴った。
次の瞬間、二人がつい先ほどまで立っていた砂地に、極太の鉄矢が突き刺さり、爆発的な砂煙を上げる。
「アラン……!? 私を叩き落として逃げればいいものを、なぜ……!」
「黙っていろ! 嫁を守らん男がどこにいる!」
敵であるはずの自分を庇いながら、降り注ぐ火炎と鉄の雨の中を疾走するアラン。
その背後、遠くの砂丘の上に、整然と並ぶ銀色の光列が見えた。帝国騎士団の旗印。
そして、その中央で指揮杖を掲げているのは――
「バルト副官……?」
ジュンの胸に、氷の刃が突き刺さったような戦慄が走った。
忠実だったはずの自分の側近。
彼が今、あからさまに「司令官の死」を前提とした破滅的な陣形を組み、全軍に掃討命令を出している。
「そういうことか……」
アランは襲い来る炎を三日月刀の一閃で薙ぎ払いながら、苦々しく吐き捨てた。
「あの男、最初から貴様を戻す気などなかったのだよ、ジュン侯爵。貴様が平和交渉などと言って単身乗り込んできたのは、奴らにとって格好の『名誉の戦死』の舞台だったというわけだ」
「私が……ハメられたというのか……?」
「そうだ。貴様は去勢されたのではない。帝国という巨大な毒蛇の巣から、俺が力ずくで引きずり出してやったのだよ」
アランの言葉が、ジュンの頭の中で激しく交錯する。
平和主義を嘲笑い、裏で私腹を肥やしていたのは帝国側だったのか。
自分が誇りに思っていた第五騎士団は、すでにバルトの手によって私兵化されていたというのか。
「さあ選べ、ジュン!」
アランは崩れ落ちた天幕の影にジュンを押し込み、巨大な三日月刀を構え直した。その背中には、ジュンの身代わりとなって受けた火矢の熱で、皮の鎧が焦げた臭いが漂っている。
「このまま俺の背中に隠れて、帝国の裏切り者に焼き殺されるか。それとも、その女の身体で俺の手を取り、奴らの首を狩りに行くか!」
前線からは、迫り来る帝国甲冑騎兵の重い足音が響いてくる。
自分をハメた冷酷な副官の軍勢と、自分を強引に女に変え、だが今まさに命懸けで庇ってくれている野蛮な敵将。
ライトベージュの髪を振り乱し、ジュンは純白のドレスの裾を強く握りしめた。
「……私の軍を、あんな汚らわしい豚に好き勝手させられると思うか!」
「ハッ、言ったな花嫁!」
アランが狂暴に笑い、ジュンの華奢な手を取って引き寄せた。
だがその時、二人の上空の暗雲が、不気味な紫色に輝き始めた。
「――聞こえるか、愚かなる遊牧の民よ。そして、哀れな前司令官ジュン侯爵」
戦場全体に響き渡る、魔法で拡声されたバルト副官の冷酷な声。
「侯爵閣下は敵の罠に落ち、無念にも命を落とされた! 異端の蛮族を根絶やしにし、閣下の仇を討つため……これより『対城級・重極魔導砲』の照射を開始する!」
砂漠の夜空に、巨大な魔法陣が何重にも展開されていく。
それは、着弾地点のあらゆる生命を分子レベルで消滅させる、帝国禁忌の破壊兵器。
照準の焦点は――まさに、ジュンとアランが立つ、この場所だった。
◇
天幕の焦げた皮の臭いと、砂漠の夜風が運ぶ生臭い鉄の匂い。
足元を揺らすのは、上空で重なり合う重極魔導砲の同調振動だ。
幾重にも重なった紫銀の魔導陣が空を削り取り、砂漠の闇を狂った光で塗りつぶしていく。
「アラン、離せ! 重極魔導砲の展開術式なら叩き込んである! 第一・第二の外環を遮断できれば、照準は狂う!」
ジュンは白いドレスの裾を大きく引き裂き、脚の可動域を確保しながら叫んだ。
声が高く澄んでいることへの違和感など、もはやどうでもよかった。
帝国軍士官学校で学び、誰よりも魔導兵器の構造を熟知しているのは自分だ。
「言うと思ったよ、俺の花嫁」
アランは不敵に唇を歪めると、ジュンの華奢な腰を片腕でしっかりと引き寄せた。
「だがな、理屈で戦うのは帝国のやり方だ。俺たちの戦い方を見せてやる」
「なにをするつもりだ、アラン」
アランが右腕の三日月刀を大きく掲げる。
刀身に刻まれた無数の傷と、使い込まれた柄。彼が踏み込んだ瞬間、砂丘が爆発したかのように跳ね上がった。
速い。
華奢な少女の身体に変貌したジュンには、アランの動きを目で追うのがやっとだった。
アランはジュンの体重をほとんど感じさせていないかのように軽々と抱えたまま、迫り来る帝国騎士団の包囲網へと一騎当千の勢いで突っ込んでいく。
「全軍、突撃だ! 異端の蛮族と裏切り者の前司令官を一人残さず磨り潰せ!」
バルト副官の冷酷な怒号が響く。
先陣を切って躍り出てきたのは、かつてジュンの配下だった第三重騎士隊だ。全身を分厚い板状の甲冑で固め、巨盾を構えた鉄の壁。
「下がれ、アラン! 重騎士の集団突撃を正面から受けるのは自殺行為――」
「黙って見ていろ!」
アランの一声が、ジュンの思考を叩き切った。
アランは重騎士が放つ槍の閃光を、紙一重で身を捻ってかわす。その拍子に、ジュンのライトベージュの長い髪が夜風に舞い、アランの頬を撫でた。
ズギン――!
アランの振り下ろした三日月刀が、重騎士の重厚な巨盾を、まるで熟した果実でも割るかのように真っ二つに切り裂いた。
衝撃波が吹き荒れ、後続の騎兵たちが馬ごと転倒する。
(バカな……! 鉄の盾を、魔力付与もなしに腕力と刃の角度だけで……!?)
「見たか、ジュン。俺たちの刀はな、固いものを切るためにあるんじゃない。流れる風を切るためにある」
アランの息が、ジュンの耳元で荒く弾ける。
その熱い体温と、力強い鼓動。抱きすくめられた腕の強固さに、ジュンの胸の奥が妙に熱く痺れた。
だが、驚きに目を見張るジュンの視界に、アランの背中が映る。
純白のドレスを汚さないよう、ジュンを庇う姿勢を崩さなかったアランの背皮には、先ほどの火矢による痛々しい火傷と、追撃の矢が浅く刺さったままの血の痕があった。
「……どうしてだ」
ジュンはアランの胸元を握りしめた。柔らかく滑らかな己の指先が、アランの粗末な胸当てにしがみつく。
「なぜ私を殺さなかった? 去勢し、魔術でこのような姿に変えてまで……私を生かした理由はなんだ! 降伏勧告に来た敵将だぞ! 首を刎ねて晒し首にすれば、お前の戦功になったはずだ!」
走りながら、アランは低く笑った。その瞳には、夜空の魔導陣にも負けない鋭い光が宿っている。
「首を刎ねたら、お前は死ぬだろうが」
「当たり前だ!」
「俺は、お前を殺したくなかったのだ」
短く、呆気ないほどストレートな言葉。
ジュンは息を飲んだ。
「初めて戦場で見た時からだ、ジュン侯爵。平和だの無血開城だのと、青臭い綺麗事を本気で信じて、十万の軍勢の先頭に立つバカな男。……だが、その大きな紫の瞳だけは、濁り切った帝国の豚どもとは違っていた」
アランの手が、抱え直す動作のついでに、ジュンの亜麻色の髪を慈しむように一撫でする。
「帝国の貴族という皮を被ったままでは、お前はいずれ裏切られて死ぬ。なら、俺が奪うしかなかった。男としての身分も、帝国での地位も、全部削ぎ落として俺の女にしてしまえば――誰もお前を政治の道具にはできん」
「な……」
言葉を失う。
去勢も、TS魔術も、荒っぽい花嫁衣装も。
すべては、この野蛮で屈強な男なりの、あまりにも歪で、あまりにも一途な「保護」の手法だったというのか。
(私は……守られていたというのか。最初から……!)
己の甘さと、この男の底知れない深情けに、胸が締め付けられるような感情が押し寄せる。
男だった頃には知らなかった、胸の奥がキューと締め付けられるような、甘やかで熱い疼き。
だが、揺らぎに浸る時間など、砂漠の神は与えてくれなかった。
――頭上で、空が割れるような落雷音が響いた。
「同調完了! 『対城級・重極魔導砲』――放てえええっ!」
バルトの叫びとともに、天を覆う紫銀の魔法陣が全エネルギーを一点に凝縮させる。
直径数十メートルにおよぶ光の柱が、熱線を撒き散らしながら、一直線に二人めがけて降り注いできた。
空間そのものが歪み、地面の砂が瞬時にガラス化していく絶対的な死の光。
「させない……!」
ジュンはアランの首に華奢な腕を回し、全力で叫んだ。
「アラン! 刀を左四十五度に傾けろ! 帝国の魔力回路は、右回転の螺旋を描いて収束する! その結節点を切れば――」
「言いたいことは分かった!」
アランはジュンの助言を瞬時に理解し、足元を爆発させるように踏み込んだ。
死の光芒が二人を飲み込む直前、アランは ジュンを自分の身体の下へと抱き込み、死角を作るように背を丸めた。
「アラン――!?」
「逃がさねえよ、俺の花嫁……!」
三日月刀が、紫銀の光の奔流と激突する。
凄まじい金属音と、肉が焼ける嫌な音が響き渡った。
アランの全身から血が噴き出す。
それでも男は膝を折らず、ジュンの頭を抱え込み、すべての衝撃と熱量をその背中で受け止め続けた。
ジュンを包む真っ白なドレスには、一筋の火の粉すら触れさせない。
「アラン! アラン!!」
視界が、眩い白光に包まれる。
光が収まりかけたその時、ジュンの耳に届いたのは、アランの手から三日月刀が落ちる、カランという虚しい音だった。
「……へっ、うまくいった、な……」
ボロボロになったアランの身体が、力なくジュンの胸元へと倒れ込んでくる。
その背中は凄惨な傷で満たされ、呼吸は浅く、意識は急速に失われつつあった。
「アラン! 目を開けろ、アラン!」
少女の細い腕で、倒れ伏す大きな男を抱きしめる。
熱かった彼の体温が、夜の砂漠の冷気の中に急速に奪われていく。
「ははは! 素晴らしい! 蛮族の首領は倒れた!」
砂煙の向こうから、重装歩兵を引き連れたバルト副官が、勝ち誇った笑みを浮かべて歩み寄ってくる。
「前司令官ジュン侯爵の『遺体』も、これで綺麗さっぱり消滅したわけだ。……ん? 待てよ、そこにいる美少女は誰だ? 蛮族の女か?」
バルトの卑しい視線が、白いドレスを乱し、傷ついたアランを抱きしめるジュンの姿を舐めるように捉える。
「ほう……なかなかの上物ではないか。侯爵の仇討ちの記念に、我が天幕へ連れて行くとしようか」
下品な笑い声が、焦土と化した戦場に響き渡る。
抱きしめたアランの鼓動が、途切れ途切れに弱くなっていくのを感じながら。
ジュンは美しい長い髪を揺らし、ゆっくりと顔を上げた。
大きな紫色の瞳から、戸惑いや迷いは完全に消え去っていた。
そこに宿っていたのは、かつて帝国軍を震撼させた天才戦術家としての凄絶な冷光と、大切なものを踏みにじられた花嫁としての、激しい怒りの炎だった。
ジュンは、砂に突き刺さっていたアランの三日月刀の柄へ、滑らかな白い手を伸ばした。
◇
砂漠の冷たい風が、ジュンの亜麻色の髪を激しく吹き煽る。
手の中で重く冷たい、アランの三日月刀。
かつて重厚なミスリル鋼の細身剣を愛用していた自分にとって、この湾曲した無骨な鉄の塊はあまりに不格好で、そして途方もなく重かった。
だが、その滑り止めの革が巻かれた柄には、先ほどまでジュンの身体を抱きしめていたアランの体温と、荒々しい汗の匂いが、確かに残っていた。
「くっくっく……哀れだな、蛮族の女よ。死んだ男の刃を握りしめたところで何になる?」
バルト副官が下品な笑みを浮かべ、腰の指揮剣を抜いた。
周囲を囲むのは、かつてジュンの手足となって動いていた帝国第五騎士団の精鋭兵たちだ。
彼らはジュンが去勢され、美少女へ変貌させられたことなど露知らず、単に「敵将に付き従う哀れな生贄の女」として歪んだ視線を投げかけてくる。
「前司令官ジュン侯爵は、我が国の名誉のために戦死した。そして貴様は、その仇討ちの証として我が天幕で弄ばれる運命なのだ。諦めて剣を捨てろ」
バルトが優越感に浸りながら一歩を踏み出した、その瞬間。
ドッ――!!
バルトの足元、わずか一ミリの砂地が暴風とともに炸裂した。
あまりの衝撃にバルトは尻餅をつき、悲鳴を上げて後退する。
「な、なんだ……!? 何が起きた!?」
砂煙の向こうで、純白のワンピースを纏った美少女が、三日月刀を静かに引き直していた。
その構えは遊牧民のそれではない。帝国陸軍士官学校で教官すら凌駕した、ジュン侯爵独自の『絶対防御領域』の足さばき――。
「バルト副官」
高く澄んだソプラノの声が、凍てつくような冷気とともに戦場を支配する。
「私の前で『軍の規律』を汚すなと言ったはずだ。……忘れたとは言わせないぞ」
「ひっ……!? な、なにを……その技、まさか……閣下……!?」
バルトの顔から血の気が引いていく。
目の前に立つのは、あどけなくも美しい十七歳ほどの少女。
だが、その大きな紫色の瞳に宿る威圧感、そして一寸の狂いもなく空気を斬り裂く剣術の精妙さは、紛れもなく「あの天才司令官」のものだった。
「バルト。貴様は私を殺そうとしただけではない。帝国軍の誇りをドブに捨て、秘匿兵器を私利私欲で乱用した」
ジュンは真っ白なドレスの裾をひらりと翻し、軽やかに砂を踏みしめた。
女性となった身体は、筋肉の絶対量では男に及ばない。だが、軽やかさ、関節の柔らかさ、そして重心の低さは、男の身体よりも遥かに素早く、鋭い一撃を可能にする。
「アランが教えてくれた……この刀は、流れる風を切るためにあると!」
ジュンは爪先で砂を蹴り上げると、一瞬で重装歩兵の懐へ滑り込んだ。
甲冑の隙間、魔力回路の結節点、そして重心の支点。
帝国軍の装備の「弱点」を誰よりも知るジュンの一閃は、アランの圧倒的な腕力とは異なる、完璧な物理計算に基づいた「絶対の切断」となって叩きつけられた。
スパァン! スパァン!
「ぎゃあああっ!?」
「ひ、膝が……! 甲冑の上から関節だけを叩き切られた!?」
あっと言う間に三人の重装兵が、命を奪われることなく、戦頭不能となって砂の上に転がった。
恐るべき戦術眼と、遊牧民の三日月刀の融合。
白いワンピースを羽ばたかせながら戦場を舞うその姿は、まるで砂漠に舞い降りた美しき戦乙女そのものだった。
「ひぃっ! う、撃て! 魔導砲の残留魔力をかき集めて、あの女を吹き飛ばせえええっ!」
泡を吹いて叫ぶバルトのもとへ、残された魔導陣から細い光線が放たれる。
だが、ジュンは笑った。
ライトベージュの髪を揺らし、すれ違いざまにアランの腰から奪い取っていた小さな秘術の紫布を、三日月刀の刀身へ巻きつける。
「遊牧民の秘術と、帝国の魔術……相性は最悪だが、干渉させれば『爆発』を起こす!」
ズドッ――!!
ジュンの三日月刀が魔導光線を正面から受け止め、そのまま紫の魔力光とともに拡散させた。
逆流したエネルギーが魔導陣を破壊し、バルトの足元で大爆発を起こす。
「ごはぁっ!?」
吹き飛ばされたバルトは、焦げた砂の上に打ち上げられ、呻き声を上げた。
その喉元に、すっと三日月刀の冷たい刃先が突きつけられる。
「終わりだ、バルト。全軍に武装解除を命令しろ。さもなくば……今度は首を叩き落とす」
大きな紫の瞳に見下ろされ、バルトはガタガタと震えながら手放しで降伏を叫んだ。
司令官の圧倒的な真実と、あまりの美しさと強さに、十万の帝国騎士団は誰一人として反論できず、静かに武器を砂の上に捨てたのだった。
朝焼けの光が、地平線を黄金色に染め上げていく。
戦いは終わった。
裏切り者のバルトは拘束され、帝国軍と遊牧の民の間には、ジュンの主導によって正式な和睦協定が結ばれた。
無用な血は一切流されず、両軍は互いの無礼を許し合い、平和な交流の歴史を踏み出したのだ。
そして、重傷を負っていたアランは――。
「う、ぐ……」
天幕の中、上質な羊毛のベッドの上で、アランが重い瞼を開けた。
全身に巻かれた包帯。激痛に顔を歪めながら身体を起こそうとすると、枕元から優しい温もりが伝わってきた。
「動いては駄目よ、アラン。まだ傷が開くわ」
アランが目を見開くと、そこには見惚れるほど綺麗な少女が座っていた。
朝日を浴びて輝くライトベージュの長い髪。吸い込まれそうな大きな紫色の瞳。
そして、その華奢でスタイルの良い身体を包んでいるのは、あの純白のワンピースだった。
「……ジュン……? 無事だったのか……」
「ええ。あなたが命懸けで守ってくれたおかげよ」
ジュンは照れくさそうに微笑むと、木彫りのカップをアランの唇へと運んでやった。中身は、彼が大好きな濃いハーブティーだ。
「……手厳しいな。俺の負けだ。帝国との和睦も、お前の手柄も……何から何まで、お前の思い通りだ」
アランは苦笑し、ハーブティーを飲み干すと、ふと寂しそうな目を向けた。
「……で、これからどうする? 帝国軍はお前を『無血開城を成し遂げた伝説の乙女』として称えているそうだぞ。元の身体に戻る方法なら、一族の長老に探させるが……」
「いらないわ」
ジュンは即答した。
驚くアランの前で、ジュンは緑のドレスの裾をそっとつまみ、可愛らしく一礼してみせた。
「元の男の姿に戻ったら、私はまた政治の泥沼に引き戻される。それに……」
ジュンは頬をぽっと朱に染め、ライトブラウンの髪の隙間から、上目遣いでアランを見つめた。
「それに……あなたに『花嫁』にされた時のあの感覚が、どうしても忘れられないの」
「な……」
絶句するアランの手を、ジュンは両手で優しく包み込んだ。
滑らかで、華奢で、驚くほど柔らかい少女の手。だがその温もりは、アランの心を激しく揺さぶった。
「男としての私は、あの夜死んだの。今ここにいるのは、あなたに命を救われ、あなたを愛してしまった……純白の花嫁よ。もう男言葉も使わない、私は女として生きていきます」
「……ジュン?」
「ええ。これからはそう呼んで。帝国と遊牧民を繋ぐ、あなたの自慢の花嫁の名前よ」
アランは呆然とした後、腹の底から愛おしさがこみ上げてくるのを抑えきれなくなった。
彼は傷の痛みも忘れ、力強い腕でジュンの細い腰を引き寄せ、その豊かな胸元へと抱きしめた。
「最高だ……! 俺の嫁は、世界で一番強くて、世界で一番可愛い!」
「きゃっ!? ちょっと、アラン、傷が開くわってば……んむっ!?」
野蛮で強引な族長の唇が、ジュンの甘く柔らかい唇を塞ぐ。
緑色のワンピースが擦れる音と、二人の重なる息遣いが、朝焼けの天幕を満たしていく。
かつて帝国十万の鉄騎を率いた青年貴族は、もうどこにもいない。
いたのは、不器用で愛の深い旦那様に寄り添い、幸せそうに微笑む、世界で一番美しく強い「純白の花嫁」だけだった。
完




